これは、小説なのだろうか。山崎修平さんの『テーゲベックのきれいな香り』(河出書房新社)は、読者を戸惑わせる。小説とは何なのか、と考えさせる小説だ。
山崎さんは、第1詩集『ロックンロールは死んだらしいよ』(思潮社)で中原中也賞最終候補。第2詩集『ダンスする食う寝る』(同)で2020年に歴程新鋭賞を受賞した気鋭の詩人。今回、初めて小説に挑んだ。
物語は、2028年の東京を舞台に始まる。詩人の「わたし」は友人との思い出や愛犬の死、「あれ」と表現される災禍のことを語る。過去の記憶といまを行ったり来たりしながら、詩とは何か、書くとは何か、言語とは何かという壮大な問いに向き合っていく。
わかりやすいストーリーはない。言葉と言葉、文章と文章の間はどこか途切れているが、不思議と心地よいリズムを持つ。全体がまるで詩のようにも感じられる。山崎さんは「新しい小説」を提示したつもりはないという。「言葉そのものを遊び、楽しみ、味わう。それは小説という形式がもともと持っている働きです」
今回小説を書いたのは、「詩を外から捉えたかったから」。一見脈絡のない文章のなかには、思わず立ち止まってしまう問いがちりばめられている。〈詩にとって肝心なことは何を書き残すかではなくて、何を書かないか。このことに尽きる〉〈書かないために書く〉。詩とは何か、書くとは何かを、一冊を通してひたすら考え続ける。読み終えると、250ページ超にわたって書かれた本書自体、何だったのか、という疑問すら抱く。だが、自然と再び、冒頭のページをめくってしまう。簡単にはつかめない作品だからこそ、何度も味わいたくなる。
「わたし」とは何か。詩とは何か。「わかろうと思って小説を書いてみたけれど、やはりわからない」。これからも、詩を、小説を書くことを通して、答えのない問いに向き合っていく。(田中瞳子)=朝日新聞2023年2月15日掲載