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映画「ビッグ・フィッシュ」が岸田奈美さんに教えてくれたホラ吹きの父の真意

©GettyImages

 わたしの父はよく、ホラを吹いた。 
 神戸の六甲山を車で抜けて帰ってくると「キタキツネがおったァ!」と大騒ぎし、風呂につかりながら追い焚きをすると「足が溶けたァ!」と沈んでいった。あたふたする母とわたしを指さし、のけぞってゲラゲラ笑うのが父だった。
 ウソとホラはちがう。
 ウソは相手をだますためにつくけど、ホラは相手を楽しませるために吹く。
 ところが、まったく楽しめないホラもあった。
 わたしが中学生にあがった頃から、ことあるごとに父が言うのだ。
「良太が小学校を卒業したらな、俺と一緒に田舎へ引っ込んで、うまい米をつくって暮らすんや。もう田んぼのあてはあるし、米づくりも学んどる!」
 良太とは、4つ下のわたしの弟のことだ。父は不動産会社を辞め、大工の弟子入りをし、やっとのことでリノベーション会社を立ち上げたところだった。映画の中に出てくるようなヴィンテージマンションを再現することに没頭したのに、米づくりなんて寝耳に水である。
弟はともかく、わたしはどうすりゃいいのか。
「知るか。お前は都会でもどこでも、好きにやっとれ!」
 突き放されてしまった。なんやねんそれとツッコミを入れながらも、父のことが好きだったわたしは、置いてけぼりにされたみたいで、ちょっと悲しかった。
 父の米づくり宣言は一度で終わらず、二度、三度、と繰り返されるので、しまいにわたしも聞くのが嫌になって、部屋にこもり泣いてしまったこともある。母は父を「ええかげんにしいや」と叱った。
 結局、弟が小学校を卒業する前に、父は心筋梗塞で急死してしまった。葬儀のあとにわかったことだけど、田んぼのあてなんか無かった。もちろん、父は米づくりも学んでいなかった。挙げ句の果てには、弟は土に触れるのが大きらいだということも発覚する。
 あれは、父のひどいホラ話だったのだ。

 ティム・バートン監督による映画『ビッグ・フィッシュ』にも、ホラ話ばかりする父・エドワードが登場する。最初は奇想天外なホラ話を楽しんでいたが、成長していくにつれうんざりし、ついには父とまったく話さなくなってしまう子・ウィルに、わたしはどうしても感情が乗り移ってしまう。
 病に倒れて死期が近づくエドワードの看病のため、三年ぶりに言葉を交わそうとするウィルだが、それでも聞かされるのはホラ話ばかり。呆れていたウィルだが「沼地に住む魔女に未来を見せてもらった」「巨人と旅をした」「なかなか捕まえられない大魚を、結婚指輪をエサにして釣り上げた」などと語られるエドワードの真実が気になりはじめ、彼の人生の足跡を辿ろうとする。
 結局それらはデタラメに作られたわけではなく、すべて真実にもとづいて作られたホラ話だった。ようするに出来事をおもしろく“盛った”わけだ。エドワードは家族や友人を楽しませたかった。楽しませながら、自分が悩んだこと、傷ついたこと、愛したこと、人生で得られたものすべてを伝えたかったのだ。器用なんだか、不器用なんだか。
 エドワードの古い友人である病院の先生は、ウィルに真実を打ち明けたあとに言う。
「本当の話はつまらんだろう。きみのお父さんの話のほうがおもしろいと思う。わたしの好みだけどね」
 そして、ウィルはこう返す。
「先生の話もいい」
 物語は語られる人によって、聞く人によって、形を変える。語られた数だけ、わかることがある。事実とは違ったとしても、違うということ自体に、真実は隠れている。

『ビッグ・フィッシュ』のポスターで、一面に敷き詰められたスイセンの黄色い花のなかで、最愛の妻を見つめるエドワード。たとえ本当はスイセンがなかったとしても、彼が家族を深く愛していたことは揺るがない。
 わたしの父のひどいホラ話は、いったいなんのために作られたのだろう。わたしのことを「俺に似て才能がある」と根拠なき自信で大げさに褒めてくれた父はどうして。
 長年の謎を解く鍵になったのが、エドワードのホラ話だった。
  ああ、もしかして。
 弟には生まれつき、ダウン症で知的障害があった。優しくておもしろいヤツで、なにも考えずに仲よく遊んでいたけど、それだけに父はこう思ったのかもしれない。お前は家族のしがらみなど心配せず、広い世界へ出ていって、好きなことをしろと。あるはずもない黄金色に輝く稲穂に囲まれ、手を振る父と弟の姿が見える。
 父はたぶん、わたしを愛してくれていたのだ。

『ビッグ・フィッシュ』を観たのは、父を亡くしてから3年後のことだ。
「どうかこれを貴女に」という祈りの手紙とともにDVDを届けてくれたのは、父の古い友人だった。