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これは上手い! 砂原浩太朗「藩邸差配役日日控」が満たす優れた時代小説に必要な3要素 書評家・杉江松恋の「日出る処のニューヒット」(第1回)

杉江松恋さん

選択の基準は「直木賞を受賞しそう」

 これはもう、直木賞を贈るべきなのではないか。
 砂原浩太朗『藩邸差配役日日控』(文藝春秋)を読んでそう思ったのである。

 今回から「好書好日」で連載を持つことになった。多くの読者を獲得し、小説界に新たな話題を振りまいてくれる作品を毎回ご紹介していきたいと思う。カタカナで言うとニューヒット・レビューである。作品選択の基準はいろいろ考えられるが、第一はやはり「直木賞を受賞しそう」ということになるだろう。

 となると『藩邸差配役日日控』なのである。小説の単著としては砂原の第四作にあたる。主人公は里村五郎兵衛という武士だ。年齢についての記述はないが、長女の七緒が婚期を迎えているから不惑は超えているだろう。神宮藩江戸藩邸差配役という職分である。差配役とは「藩邸の管理を中心に殿の身辺から襖障子の張替え、厨(くりや)のことまで目をくばる要」なのであるが、「何でも屋」などと陰口を叩く者もあるという。五郎兵衛は頭としてそれを束ねる立場だ。
 実際に五郎兵衛に下される命は雑多である。厨とは厨房、藩邸の台所のことで、収録作の「滝夜叉」ではそこに一人の女中を雇い入れたところ、不穏な事態になって五郎兵衛が動かなければならなくなった。そのお滝という新入りがあまりに美貌なため、男たちがみっともない鞘当てを始めたからである。やれやれ、と言いたげな五郎兵衛の顔が目に浮かぶ。

大衆小説の骨法が尽くされた構成

 巻頭の「拐し」ではいきなり事件が出来する。ご世子、つまり藩主の長男である亀千代ぎみがお忍びで桜見物のため上野の山に出かけ、そのまま行方不明になってしまったのである。天下の一大事であり、五郎兵衛の号令で一同が血眼になって若ぎみを捜し回る。緊迫感のある話を最初に持ってくるので、ぐっと物語に引き込まれる。このへんが上手い。途中で失踪に関してあることが判明し、事件解決へ向けての曙光が射すのだがぬか喜びに終わる。そうやって緊迫感に緩急をつけて読者の気持ちを操っているのだ。これまた上手い。
 実はその「あること」には五郎兵衛の身近な者が関わっている。推移している出来事と主人公の心理的な距離をぐっと近づける仕掛けだ。上手い上手い。物語が理詰めで組み立てられていることがこれでわかる。終盤の展開はもちろん、盛り上がる。最後に五郎兵衛が口にする一言もいい。ああ、仕事ができる、上から信頼される男なのだろうな、と思わされる。大衆小説の骨法が尽くされた素晴らしい出来である。

 全五話で構成された連作で、次の「黒い札」では経済事件が扱われる。藩の御用商人が改められることになり、入札が行われたのだ。そこに不正の疑惑が持ち上がる。第三話の「滝夜叉」では一転して男女の揉め事が中心、その次の「猫不知」はなんと猫探しの話だ。藩主正室のお煕の方は輿入れの時に連れてきた万寿丸という猫を我が子同様に寵愛していた。それが行方知れずになったのである。何としても捜し出せ、という命に差配役一同は憤然とする。お煕の方の心痛はよくわかるが、さむらいに猫を捜せとはあんまりではないか、というわけだ。

 差配役の中に安西主税という若侍がいる。血気盛んなところがあるかと思うと、ご用の間に町娘に声をかけたりする軽薄なところもあって憎めない男である。猫捜しに腐る安西に、五郎兵衛は言葉をかける。

 ──「亡き父が申しておったことだが」若侍のことばへ被せるように告げる。「勤めというのは、おしなべて誰かが喜ぶようにできておると」

 誰かが笑顔になるのだ、やれ、ということである。このくだりは、つなぎ目の部品になっている。前出の「黒い札」でも同様の場面があり「亡き父が申しておったことだが」と五郎兵衛は言いかけるが、急な事態が起きたため、言い終わらずそのままになっていたのだ。それを第四話で回収しているわけだ。
 連作を構成する要素は他にもある。この「猫不知」では亀千代ぎみが重要な役回りを果たす。「拐し」では失踪事件の当事者として五郎兵衛たちを慌てさせたご世子が、今度は彼らを助ける側に回るのである。そうした形で少年の成長が描かれる。この連作においては、親子関係が一つの柱になっている。亀千代が次期藩主として日々進歩を遂げていること、それを五郎兵衛が遠くから見守っていることが、物語の構造材として使われているのである。
 両者の関係は、五郎兵衛自身の家族にも目を向けさせる。妻はすでにこの世になく、七緒と澪という二人の娘を男手一つで育て上げた。そのことに読者が思いを馳せるからこそ、最終話「秋江賦」は五郎兵衛自身の物語として終息するのである。そうした形で里村五郎兵衛の肖像を読者の胸に刻み付け、物語は終わる。

時代小説の正統な継承者

 見事な連作だと言うしかない。優れた時代小説には少なくとも三つの要素が必要だと思う。第一は、現代とは違う、その時代ならではの価値観、倫理観で登場人物たちが動いていること。第二に、これも現代とは異なり、死が身近であるがゆえの生の儚さが描かれること。第三は第一の要素とは逆に、まったく時代は異なっているにもかかわらず、現代の世相を照射するような部分が物語にあること。この三つだ。『藩邸差配役日日控』はこのすべてを満たす小説である。たとえば「滝夜叉」の価値は、男の視線で運命を狂わされる女たちの吐息を描いている点にある。また「猫不知」ではお煕の方を猫狂いの無茶な御正室と決めつけているように見せかけてその実、愛情を注ぐ対象はみなそれぞれで、世界は多様であるということをきちんと書いている。現代性が十分にあるのだ。「秋江賦」ではある人物の「ひとが死ぬのは好みませぬ」という発言が大きな意味を持つことになる。

 砂原の小説家デビュー作は2016年に「決戦!小説大賞」を受賞した短篇「いのちがけ」である。その後第一長篇の『高瀬庄左衛門御留書』で山本周五郎賞・直木賞初候補となり、第二長篇『黛家の兄弟』(共に講談社)で前者を射止めた。この二作の舞台は、架空の神山藩が舞台となっている。時代小説の大家・藤沢周平には海坂藩を舞台とする作品が多数あり、葉室麟にも羽根藩ものなど同様の連作がある。そのこともあって砂川を同じ系譜の継承者と見做す声は早いうちから出ていたように思う。まだ作品数は少ないのでこれから自由に世界を構築していくはずである。単なるエピゴーネンの作者ではない、ということだけは書いておきたい。

 最初に直木賞を贈るべきではないかと書いたのは、『藩邸差配役日日控』を読んでいて文章に感心した箇所がいくつもあったからだ。たとえば「滝夜叉」の、五郎兵衛が友人と小料理屋で酒を酌み交わす場面など。そうしたなんでもない場面に心を和ませるような表現を見ると、小説としての柄の大きさを感じるものである。
 ああ、そうだ。優れた時代小説の要素、四番目を忘れていた。五感のどこかに沁みるような、味わい深い文章があることである。これがなければ、いかに構造が出来ていても優れた時代小説とは言えまい。砂原浩太朗はそのすべてを満たす書き手である。