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「酔いどれクライマー 永田東一郎物語」書評 謎めいた登山家の不思議な魅力

評者: 稲泉連 / 朝⽇新聞掲載:2023年05月06日
酔いどれクライマー永田東一郎物語 80年代ある東大生の輝き 著者:藤原 章生 出版社:山と溪谷社 ジャンル:小説

ISBN: 9784635340427
発売⽇: 2023/02/20
サイズ: 19cm/381p

「酔いどれクライマー 永田東一郎物語」 [著]藤原章生

 本書の主人公・永田東一郎は、1984年にカラコルム山脈の難峰・K7の遠征隊の隊長を務め、初登頂を成し遂げた登山家である。だが、その名を知る人はほとんどいないだろう。東京大学のスキー山岳部に所属していた彼は、25歳でK7への登頂を果たして以来、それまで情熱を注いできた登山をぱたりと止(や)めてしまったからだ。
 そうして、彼は建築事務所で働いた後、建築家として独立する。だが、生活は退廃的で、アルコールを浴びるように飲み、2005年に46歳で世を去った。本書は高校時代の永田の後輩である著者が、その謎めいた生涯をたどる一冊だ。
 読んでいると、なんと不思議な魅力を持つ人なのだろう、と思う。
 K7の頂上を極めた一方、地べたでの永田はとても狭い世界を生きたという。登山においては圧倒的な発想と想像力によって世界を広げていくにもかかわらず、実生活では生まれ育った東京・鶯谷からほとんど離れず、ときに社会や人と折り合いをどうしてもつけられない。いわば過剰にして純粋、破天荒でありながら臆病。それ故に呆(あき)れられながらも、結局は誰もが憎めなかった人、といえばいいだろうか――。
 永田は念願だったK7への登頂を成し遂げた後、日記にぽつりと呟(つぶや)くように「普通の頂上だった」と記したという。
 彼は山に何を求めたのか。その山から突如離れたのは何故だったのか。
 〈「あと一作、評伝を書かせてやろう。誰を選ぶ」と言われれば、私は即座に永田さんの名を挙げる〉
 そう記す著者はいくつもの問いを抱えながら、80年代という時代への郷愁と、そこに生きる「永田さん」の姿を後輩としての記憶を交えて描いている。
 鬱屈(うっくつ)の苦みや不器用さが裡(うち)側に突き刺さっていくような一人のクライマーの生き様が、哀切な気持ちをともなって胸に迫る人物評伝だった。
    ◇
ふじわら・あきお 1961年生まれ。毎日新聞記者、ノンフィクション作家。著書に『絵はがきにされた少年』など。