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ジッド「地の糧」 現代が失った感覚を取り戻す

 フランス近代文学を代表する作家ジッドが1897年に発表した本作は、筆者のような文学研究者には耳の痛い書である。読書を愛し、本に囲まれて暮らすことが至福と思うような者なら、「眼(め)を書物のよごれから洗い清め」るため、「なべての書物を、いつの日に焼きつくそうぞ!!」という主張を前に苦笑せざるを得ないだろう。
 実際、この詩的エッセーは、本を読んで観念ばかりを増幅させてしまうことへのアンチテーゼなのだ(観念=ideaとは言わば頭のなかで思い浮かべるイメージである)。だから、本書をめぐって、観念的な世界からの訣別(けつべつ)が読み取れるジッドの作品『パリュード』(1895年)を参照したり、ここ最近『ペスト』で注目されているカミュが本作を読んでいることから彼との関係を探ったり、はたまた日本の文脈で言えば、『パリュード』を訳した小林秀雄から『書を捨てよ、町へ出よう』の寺山修司までのジッド受容を辿(たど)ったり云々(うんぬん)…といろいろ観念を捏(こ)ね繰り回してみてもそれらは「感覚」を通したものでなければ無用の長物なのだ。

 つまり、旅をせよ(本書の糧の一つはジッドのアルジェリア旅行である)、自然に触れよ、「各瞬間ごとに類いなき新しさを摑(つか)み給(たま)え」、ということなのであって、現代なら、スマホを置いて外界のリアルを欲望せよ!となるのかもしれない。
 ともあれ、こうしてみれば随分と逆説的な書物である。本なんて燃やしてしまえ、「私の本を棄(す)ててくれ。そこに満足していてはならない」と書かれてあるのだから。だが筆者は美しい書物に出会ったと大いに満足している。今日出海(こんひでみ)によって見事に訳出された本書では、言葉そのものに触れることができるのだ(「ビスクラの園」で始まる文章のなんと美しく触感的なことか)。そう、本書は「書を捨て」て彷徨(さまよ)う現代人が今こそ読むべきものではあるまいか。それは失われた感覚を取り戻していく旅となるに違いない。=朝日新聞2023年5月13日掲載

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 新潮文庫・605円=38刷20万7千部。1952年刊。人気バンド「ヨルシカ」が本書のオマージュ曲を発表したことで、4月に約40年ぶりに復刊。その後は3回の重版で2万9千部。