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「独裁者の料理人」書評 「食」という営みは善悪を超えて

評者: 長沢美津子 / 朝⽇新聞掲載:2023年06月10日
独裁者の料理人 厨房から覗いた政権の舞台裏と食卓 著者:ヴィトルト・シャブウォフスキ 出版社:白水社 ジャンル:伝記

ISBN: 9784560094822
発売⽇: 2023/04/01
サイズ: 19cm/334p

「独裁者の料理人」 [著]ヴィトルト・シャブウォフスキ

 映画館を出て誰かと話したくてたまらない時のように、頭の整理がつかない。暴君のあまりに理不尽な行いにため息をつきながら、好物だった「泥棒の魚スープ」のレシピに「これはおいしそう」と口角を上げてしまうのだから。食という営みは、やっかいである。
 イラク、ウガンダ、アルバニア、キューバ、そしてカンボジア。20世紀の独裁者たちに仕えた料理人を探し出し、当時の料理を再現したら……。とっぴなひらめきは4年を費やして実を結ぶ。読者は食卓へのダークツーリズムの参加者となって、厨房から時代の悪夢を見つめていた人の語りに耳を傾ける。繰り出される皿には、それを平らげた人の裸の顔が映っている。幼さも、弱さもすべて。
 フセインと15年を過ごしたアリ氏の場合、兵士として銃を持つのが嫌で、「射撃よりも調理の方がずっとうまくできる」と上官に訴えたのが、人生の分かれ目だった。幸か不幸か、注文された肉の串焼きが、大統領の口によく合ったのだ。
 独裁者はいつ何を言い出すか、見当がつかない。人の命が軽んじられ、暴力と裏切りの渦巻く宮殿で、厨房にだけは日常がある。大統領と不仲な妻が、それでも夫の故郷の味を教えに来たり、戦闘の続く前線に大鍋を抱えて出かけたり。
 追われる側になった主(あるじ)が宮殿を抜け出しても、アリ氏が食事を作り続けるエピソードは印象的だ。料理は善悪を超えて人を結びつける。相手を生かすことで、自分が生きる実感を持つ。人間らしさだと思う。
 著者はポーランドに生まれ、激動の東欧で、国の変化から取り残される人たちをよく知っている。ポル・ポトの料理人は「彼を愛さずにいられたかしら」とつぶやき、過去と決別できずにいた。著者はこう記す。「人は自分の人生を、何年も経って記憶している(あるいは記憶していたい)とおりに語る権利がある」。過酷な時間を生き抜いた人へのまなざしが、温かい。
    ◇
Witold Szablowski ポーランドのジャーナリスト。翻訳された著書に『踊る熊たち 冷戦後の体制転換にもがく人々』。