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【和歌山編】人も土地も小説もダイナミック 文芸評論家・斎藤美奈子

和歌山城からのぞむ紀の川河口=和歌山市、全日本写真連盟・山中健次さん撮影

 近畿のお荷物なんて誰がいった。近畿の重石(おもし)と呼んでほしい。和歌山には、読書の醍醐(だいご)味が堪能できる重量級の作品がそろっている。
 社会派作家のイメージが強い有吉佐和子は母方の郷里である和歌山に強い思い入れを持っていた。
 母娘三代を描いた『紀ノ川』(1959年/新潮文庫)にはその思いが詰まっている。下流に行くほど家格は下がるが景気は上がるといわれた紀の川。明治30年代、九度山(くどやま)町から下流に位置する六十谷(むそた)(和歌山市)の名家に嫁いだ主人公の花、古い因習を嫌う娘の文緒、作者がモデルと思(おぼ)しき孫娘の華子。物語は世界遺産の慈尊院(九度山町)からはじまり、華子が戦後復興された和歌山城大天守から見る河口の風景で終わる。川を背景にした文字通りの大河小説だ。

 和歌山県の作家といえば、やはり中上健次である。〈枯木灘(かれきなだ)は、貧乏なところだった。海が眼(め)の前にあっても海岸が崖っぷちになり、舟をつける港はなかった。平地はなく、すぐ山になっていた〉。『枯木灘』(1977年/河出文庫)の一節である。舞台は70年代初頭と思しき新宮市。主人公の秋幸は肉体労働に汗を流す26歳の青年だが、複雑な血縁に生まれ、自分は何者なのかという問いから逃れられない。
 『岬』にはじまり『地の果て 至上の時』へと続く三部作の中核となる作品。物語は血縁がからんだ不幸な事件に発展するのだが、一族への愛憎と熊野の風土が相まった世界は唯一無二。中上を読まずに死ぬのは人生の損失だといっておこう。
 時代を少し下って、辻原登籠の鸚鵡(おうむ)』(2016年/新潮文庫)は関西国際空港の建設計画が進む80年代の和歌山市が舞台。戦後最悪の暴力団事件・山一抗争をベースにした虚々実々の犯罪小説だ。
 登場人物はみな少しヌケててお人よし。新空港の利権を狙って失敗した不動産業者の紙谷は不正な土地売買に手を出す(おいおい)。下津町(現海南市)の出納室長・梶は公金横領に手を染める(ええー?)。山口組系暴力団の若頭・峯尾はヒットマンを引き受けるし(アホや)、市内でバーを営む紙谷の元妻カヨ子は3人と情交を結んだあげく、気がつけば犯罪の渦中にいた。カヨ子と梶を乗せた車が海沿いを回る国道42号を走るシーンは圧巻。和歌山にどっぷり浸(つ)かれる快作である。
 歴史を遡(さかのぼ)ってみよう。本州最南端の潮岬沖は、潮の流れが速い海上交通の難所。海難事故も多かった。
 捕鯨の町として知られる太地町。明治11(1878)年12月、子連れのセミクジラと格闘の末、30艘(そう)の船団が遭難、100人以上が行方不明になった。津本陽深重(じんじゅう)の海』(1978年/集英社文庫)は「背美(せみ)流れ」と呼ばれるこの事故を詳細に描いた直木賞受賞作である。
 〈太地の網代にゃ、もう昔のようには鯨が来んようになったんじゃ〉。背景には大西洋の鯨を捕り尽くして太平洋に進出した米英露の捕鯨船の影響があった。事故による人と機材の喪失で、若き鯨漁師・孫才次(まごさいじ)らも追い詰められていく。滅びゆく伝統捕鯨へのレクイエムである。
 明治23(1890)年、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が串本沖で沈没。500人以上が遭難するも、地元住人の救助で69人が生還し、母国トルコに帰還した。
 鈴木光司ブルーアウト』(2015年/小学館文庫)はこの海難事故に現代の串本町でダイビングガイドをする女性をからめて進行する。来日したトルコ人青年をガイド中、彼女らも遭難しかけるのだ。〈さあ行け。生きて、使命を果たせ。経験したことをみなに伝えるんだ〉と仲間を励まして息絶える士官にはもうウルウル。ホラー作家の印象を一変させる堂々たる海洋小説だ。

 和歌山が生んだ傑物といえば南方熊楠。神坂次郎縛られた巨人』(1987年/新潮文庫)は近年の熊楠ブームに火を付けた伝記小説である。和歌山市に生まれ、20歳で渡米。アメリカ各地を放浪した後、大英博物館に勤務。明治33(1900)年に帰国した後は、県内の植物調査に没頭する一方、田辺を拠点に神社合祀(ごうし)反対運動に奔走した。
 人も土地柄もダイナミックな和歌山県。小説もダイナミックだ。=朝日新聞2023年7月1日掲載