質量がないと東京を描けない
——『windows』は、奥山さんが東京都内を歩きながら不透明なガラス窓を撮影した写真集です。不透明なガラス窓越しに室内の日用品が透けて見える、その様子に着目した経緯を教えてください。
昔から散歩をしながら、住宅の窓を眺めてその家での生活を想像することが好きでした。仕事でヨーロッパやアメリカへ行くと、それらの街ではクリアなガラス越しに家の中にある家具や生活が見通せることもあって、気後れしつつも外からよく眺めていました。
コロナ禍になり、ある意味で東京に閉じ込められたような2020年には、家の近所を散歩するようになりました。その時、外から室内を見通せる機会の少なさを実感したんです。僕は生まれも育ちも東京ですが、はじめて意識的に、東京にはもしかしたら不透明なガラス窓が多いのではないかと思いました。
7年ほど前から「TOKYO」というシリーズを撮り続けています。東京以外の都市で見つけた「東京らしい」と感じる景色を撮り集めることで、自分は一体何をもって「東京」という街を捉えているのかを浮かび上がらせる逆説的なプロジェクトなのですが、思えばそこでも自分は不透明なガラス窓を無意識でよく撮っていたんですよね。ただ、その時はしっかりと言葉では認識していなくて。コロナ禍に入った2020年に散歩をしながら「自分は不透明なガラス窓を、東京という街の一つのシンボルとして捉えているんじゃないか」とはっきり自覚して、そこからは東京都内で撮り続けるようになりました。
——不透明なガラス窓を写した写真群は、誰かの内面を描いた抽象画のようにも見えますね。
不透明なガラスは、鉱物を混ぜ合わせ、入射角と反射角を変えて光を乱反射させることで像を曖昧にしています。なので手前にあるものはある程度はっきり見えるけど、奥にあるものはぼんやりとしか映りません。クリアなガラスの場合は、その先が見通せるので、ガラスそのものではなくその向こう側にある”もの”を意識して見ることになりますが、不透明なガラスは奥にあるものが抽象化されますし、ガラス自体に模様がある場合も多いので、ガラスそのものを見ている感覚にもなりますよね。
日用品や洗濯物、飾られた花などが、不透明な窓を通して抽象的な模様になる。その模様を撮った時、一つの表情のようにも見えると感じました。なので、物理的に撮影しているのは窓ガラスであっても、不透明なスクリーンを通して東京の人々を写すことができるのではないかと。撮影していた当時は誰もが家の中で過ごす時間が増え、いかに自分の生活空間を快適にしていくのかを考えていたと思います。コロナ禍だったからこそ、窓越しの模様にそれぞれの人々の個性がより強く感じられたことも影響しているのかもしれません。
——2020年4月から22年11月までの2年半で、10万点もの窓を撮影したそうですね。
まず何よりも質量がないと数多いる東京の人たちを描いたことにならないと思ったので、とにかく数を撮り集めました。ほとんど毎日のように撮影して、通った道はマップ上で印をつけて……と、東京23区と市を歩き尽くしました。まるでGoogleストリートビューみたいな撮り方だと思います(笑)。もちろん公道から見える範囲のものだけではありますが、見つけた不透明な窓ガラスはくまなく撮っていました。
撮影時はなるべく自分の作為性を排除したかったので、壁面に対しての水平垂直、窓枠からどのぐらい外側までを画角に収めるのかなど、撮り方をルール化して撮影しました。窓が2階以上にある場合などは撮影する角度が煽りになってしまいますが、それらは後からPC上で平行に見えるように加工して、水平垂直を厳密にとって機械的な画角統一を徹底しています。
なぜ東京には不透明なガラス窓が多いのか
——写真集に収録されているエッセイ「東京の人々」では、東京にはなぜ不透明なガラス窓が多いのかを考察しています。
撮影と並行していくつかの文献を読み進めていたのですが、その中で住宅密度の高さや日本の建築様式が、不透明な窓ガラスの数に影響しているのではないか、という仮説が自分の中で浮かび上がってきました。世界有数の住宅過密地域である東京では、建物同士の間隔や道路から建物までの距離が自ずと近くなります。医学者・精神科医の木村敏は、著書『人と人との間』の中で、日本人には対人関係の気遣いを重視する性質があると書いていました。都市の環境と人々の性質が組み合わさった結果、「距離を取っているとは思われたくないが、踏み込まれたくない領域もある」という心理が「光は通すが像は通さない」不透明なガラス窓にあらわれていると言えるのかなと思いました。
近代以前の西洋建築は石やレンガを積み重ねる組積(そせき)造、日本建築は木材で梁や柱を組む軸組構造と、双方の建築様式は大きく異なります。英語の「Window」は古代北欧語で「風の穴」を意味しますが、この言葉の通り、閉じられている空間に光や風を取り入れるための穴を穿ったのが西洋の窓の起源です。一方、日本語の窓は「柱と柱の間にある場所」を意味する「間所(まと)」が語源。もともと開かれている空間を閉じるための”戸”がルーツだと考えられるんです。そして光を取り入れながら像は見通すことができない障子という存在を、不透明なガラス窓の原風景ととることもできます。
例えば、もし日本がもっと治安の悪い国だったら、窓には鉄格子が取り付けられていたりして、そう考えると窓はその国の社会を映し出すスクリーンでもあります。建築様式の歴史、社会情勢、国民性、物理的にその奥にあるもの、反射する光。ガラス窓はあらゆるものを立体的に映し出す平面物だと感じました。
人ってカテゴライズできないんだな
——東京の窓を撮り続けて、新たな発見はありましたか?
作品の制作を始める前は、撮影する地域ごとに映るものに特色が浮かび上がるのかと思い込んでいたんです。もちろん、区と市では市の方が住宅密度が低いので、撮れる窓の数が少ないというくらいで、ガラスに映るものごとに、傾向と呼べるものはなかったですね。人ってそんなにカテゴライズできないんだな、人間ってやっぱり個々に違うんだなということを、窓を通して改めて実感しました。
言葉にしたら、例えば「洗剤」という同じものが置かれていたとしても、配置の仕方ももちろん異なりますし、ガラスの模様やサイズといった物理的な違いに加えて、当たる光も異なるので、やっぱり同じような印象の模様にはならないというか……人間にしても例えば「足立区在住40代 銀行員の男性」と単語では同一の2人がいたとしても、会ってみると恐らく姿形、性格など、全く異なる2人ですよね。そのことと同じように、窓も人によってまったく異なる景色になるんですよね。
僕は世界のある1点だけを凝視し続けて、その狭い入口から奥底をひたすら掘り下げて「普遍」という広い出口へ到達するようなものづくりをしたいと常に考えています。『windows』は、不透明なガラス窓という非常に限定的な被写体だけを撮り続けることによって、「人間がいかに固有の存在か」という普遍的なテーマを描けたのではないかと思っています。
——10万点の窓というとかなり膨大な数に思えます。撮り続けることで作品について少しずつ理解を深めていったのでしょうか、それとも撮れば撮るほどわからなくなるような体験だったのでしょうか。
それでいうと後者ですね。撮っている間よりも、文献を読んだり、それに基づいて考察を深めたり、写真を選んだり、レイアウトを構成している間に理解度がぐっと深まることのほうが多かった気がしています。今作においては、”撮る”という行為そのものによって表現しようとする作為性から徹底的に距離を置いています。いかに機械的に”集める”か、その上でどれを選ぶのか、どう構成するのか、という”選択”こそが撮影行為だと意識していました。
僕は、作家として写真を通して思想や思考を社会に提示する上で、何を選び、どのようにプレゼンテーションしていくのかがとても大切だと思っています。なのでシャッターを押すという行為もさることながら、セレクトやレイアウトといった編集行為にも大きな重要性を感じています。選ばれなかった写真は、鑑賞者にとっては撮られなかったことと同意義になるので。なので今作ではセレクトやレイアウトに費やした半年間が特に重要でしたし、その時間を通して作品への理解を深めていったと感じています。
常に(仮)で突き進んでいる街
——写真集には10万点のうち724点を収録していますが、どのように選んでいったのでしょう?
東京の人々を描くため、作為性を排除した機械的な撮り方をしましたし、セレクトに関しても僕の好みや感覚では選ばないように意識しました。東京ではない「奥山」という町を描いていることにならないように気をつけていましたね。また、作品が言葉に集約されてしまうと、鑑賞者がその言葉の範疇でしか作品を捉えられなくなるので、セレクトの基準をつい言語化してしまいそうになる自分から逃れるように意識していました。
リリース文やステートメントに書かれた内容を超えないもの作りを極力したくないと考えています。美術作品や表現は、作家が自分自身で理解している制作意図の外側へと思考を促せてこそ、鑑賞者や社会との関係性を築き上げられると思うので。見る人が誰であっても均一な捉え方やメッセージがそこに居座っている作品ではつまらない。見る人がそれぞれに思考を巡らし、個人と作品を接続してしまうようなもの作りがしたい。各々が本をめくりながら、無意識のうちに作品に干渉してほしいので、捉え方に余白がある写真集を常に目指しています。
ただ、もちろん自分の中で全く言語化せずに「なんかよくわからないけどこれ」のような当てずっぽうで選ぶことも当然できません。なので強いて言葉にするのだとしたら、「その窓からいかに”個”を感じるか」でしょうか。そしてその個性も、「Aという個性は何枚選んだから、次はBにしよう」と自分なりのバランスを取りはじめることがないように注意しましたね。あくまで東京のバランス、比率のまま、724枚という最大公約数に集約していきたかったので。
——レイアウトにもこだわりを感じました。
自分で構成したのですが、本当に大変でした(笑)。写真集をめくりながらまるで東京の街を歩いているように感じてもらいたくて、1ページを一つの建物に見立てて窓を配置していったのですが、つい配置を揃えたくなってしまうんですよね。でも、それだと東京の混沌とした街並みが表現できない。かといって目をつぶって適当に配置するのでは、単に汚いだけだったりして。
東京には京都やパリのような都市計画が明確にあるわけではないので、ビルのデザインもまちまちだし、基本的には街が部分的に変化していくじゃないですか。その生き物のように変化する街の自然発生的窓の配置バランスを意識的にページへ落とし込むのは、意識的に無意識を作り出す、という矛盾と向き合うことでもあって、こんなに難しいのかと思いました。これまでも写真集のレイアウトは自分で組んだ作品が多いのですが、今回は質・量ともに一番難しかったですね。
——最後に、奥山さんにとって東京はどんな街でしょうか?
生き物みたいに、うねるように変化し続けている街ですね。すごく流動的で、常に(仮)の状態で突き進んでいるというか。工事現場もたくさんあるし、東京の都心部っていつまでも完成しないじゃないですか。その変化し続ける様相に固有性があって格好いいですし、パワフルですよね。