1. HOME
  2. 書評
  3. 「隠れ家と広場」書評 寛容な町 戦時下の迫害と抵抗

「隠れ家と広場」書評 寛容な町 戦時下の迫害と抵抗

評者: 前田健太郎 / 朝⽇新聞掲載:2023年08月05日
隠れ家と広場 移民都市アムステルダムのユダヤ人 著者:水島治郎 出版社:みすず書房 ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784622095583
発売⽇: 2023/06/20
サイズ: 20cm/222,20p

「隠れ家と広場」 [著]水島治郎

 ナチス占領下のオランダ・アムステルダムで、ユダヤ人の少女が家族と隠れ家に潜んでいた。やがて少女は収容所に送られて死を迎えるが、潜伏生活を綴(つづ)った日記帳が戦後に発見され、世界的な名声を得る。この『アンネの日記』の物語は有名だ。では、その他のユダヤ人はどうなったのか。この問いに答えられる人は多くあるまい。本書は、アンネ・フランクの物語をアムステルダムの歴史の中で語り直すことを試みる。
 そのキーワードが、「隠れ家」と「広場」だ。ナチスの台頭に際してアンネの一家がアムステルダムを移住先に選んだ理由は父親の商売上の人脈だった。だが、この町は歴史的にも宗教的な少数派に寛容な「隠れ家」であり、多くのユダヤ人が住み着いていた。同時に、そこは多様な人々が交わる「広場」の町でもある。ユダヤ人たちは広場の周囲に共同体を築き、オランダ人とも交流した。
 しかし、この寛容な町は戦争で一変する。オランダ政府だけでなくユダヤ人団体までもがナチスに協力し、約7万人のユダヤ人住民の大半が犠牲になった。
 本書は、その時代に隠れ家を提供した人々も描く。預かった児童を地方へ逃がす保育士、ユダヤ人認定を取り消すドイツ人法律家など、その顔ぶれは多彩だ。そして戦後、生き延びたユダヤ人たちは広場に戻り、助け合いつつ生活を再建する。生還したアンネの父も、広場の人々との再会を通じて娘の日記の刊行に動く。
 アンネの静かな隠れ家の外で展開した劇的なドラマの数々は、胸を打つ。重要なのは、こうした物語が近年になって発掘されたということだ。その背景には、オランダ社会の変化がある。自国をナチスの協力者として見直す中で、苛烈(かれつ)なユダヤ人迫害の実相と、それに対する多様な抵抗が新たに見出(みいだ)されたのだ。豊かな歴史を紡ぐ道は過去の忘却ではなく記憶の継承だということを、本書は読者に強く印象づけるだろう。
    ◇
みずしま・じろう 千葉大教授。専門はオランダ政治史。著書に『反転する福祉国家』『ポピュリズムとは何か』。