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【大分編】過去背負う人を励ます力 文芸評論家・斎藤美奈子

「青の洞門」は、福岡との県境近くにある競秀峰の裾野にある。江戸時代に禅海和尚と石工たちが人の手だけで掘り抜いた痕跡が残る=2019年、大分県中津市

 有名な場所の有名な作品から。

 巨岩で知られる景勝地・耶馬渓(やばけい)(中津市)には青の洞門と呼ばれるトンネルがある。江戸中期、禅海さんという禅僧らが30年を費やして掘った手掘りのトンネルだ。

 この史実を下敷きに創作された短編が菊池寛恩讐(おんしゅう)の彼方(かなた)に』(1919年/新潮文庫など)である。

 主人公の市九郎は旗本に仕えていたが、主の愛妾(あいしょう)と通じ、主を殺して江戸を出た。後に出家し了海と名乗って諸国を巡るうち、豊前の国で遭難者の絶えない交通の難所に行き着く。せめてもの贖罪(しょくざい)にと岩壁の掘削に取り組む了海。が、父の仇討(あだう)ちを念じる旗本の息子が現れて……。

 諸国を放浪した末、ここに行き着き、自らの使命を見つけた了海。大分には、過去を背負った人を励まし復活させる力があるのだろうか?

 1930年代のパリから物語がはじまる横光利一旅愁』(1946年/岩波文庫など)でも、主人公が最後にたどり着くのは大分だ。

 矢代耕一郎は日本の伝統に固執する日本主義者。西洋かぶれの久慈は論敵で、千鶴子なる女性をはさんだ恋敵でもある。帰国後、矢代は千鶴子と婚約するが、彼は内心大きな屈託を抱えていた。千鶴子はカトリック教徒。一方、矢代の先祖はキリシタン大名・大友宗麟の大砲の力で滅ぼされた城の主だったのだ。

 頓狂にも、自分を細川忠興、千鶴子を妻のガラシャ、久慈を高山右近に重ねて悩む矢代。そんな矢代が父の納骨で訪れる場所のモデルが宇佐市の城山(光岡城跡)と古刹(こさつ)である。彼の妄想はいささか問題だとしても、この場面だけは美しい。

 現代文学の中でも、大分はしばしば救済の地として描かれる。

 小野正嗣獅子渡り鼻』(2013年/講談社文庫)は母の故郷である大分の海辺の町にあずけられた少年の物語。東京で、主人公の尊(たける)は障害のある兄と2人、母にネグレクトされて育ったのだった。

 兄への思いから身動きの取れない尊の背中を押すのが、この地で生まれて海で死んだ少年・文治(の霊?)のささやきだ。佐伯市付近と思(おぼ)しき故郷のリアス式海岸を描き続けてきた小野作品の中でも傑出した一編。〈いーんじゃが、いーんじゃが、気にせんたていーんじゃが〉という文治のリフレインがすばらしい。

 2021年の本屋大賞受賞作、町田そのこ52ヘルツのクジラたち』(2020年/中公文庫)も都会で傷ついた女性が主役。

 東京から大分県の海辺の町に越してきた三島貴瑚(きこ)は、そこでひとりの少年に出会う。ヤングケアラーだった過去からようやく抜け出してきた貴瑚と、母の虐待を受けて言葉が出なくなった少年。2人が絶望の淵から立ち上がる過程で象徴的な役割を果たすのがクジラである。

 過酷な環境から逃れる手段としての転地。尊や貴瑚が大分に来たのは偶然か必然か。彼らの再生の過程を見ていると、風土が持つ治癒力について考えざるをえなくなる。

 一転、織江耕太郎百年の轍(わだち)』(2020年/書肆侃侃房〈しょしかんかんぼう〉)の舞台は林業で栄えた日田市である。

 幼い頃から親友同士だった矢島泰介と岩城智也。戦地から生還した2人は復員後、製材所で働きながら林業の未来を夢見るが、木材の輸入自由化政策で、国産材を守る闘いを余儀なくされる。出生の秘密や謎の失踪事件がからんだ社会派林業ミステリー。親子四代、100年にまたがる物語は読みごたえ抜群だ。

 さて、大分といえば温泉。植松三十里(みどり)万事オーライ』(2021年/PHP研究所)は別府観光の礎を築いた油屋熊八の一代記だ。

 四国の宇和島に生まれ、大阪で一財産築くも株で失敗、アメリカを放浪した後、熊八が別府で亀の井旅館なる小さな宿屋をはじめたのは明治44(1911)年、48歳の時だった。折しも日豊本線が開通した時代。別府港の桟橋建設に奔走し、地獄めぐりの道を整備し、観光バスを走らせ……。思えば熊八もまた最初は流れ者だったのだ。〈聖書にな、『旅人をねんごろにせよ』って言葉があるんだ。自分の家に来た知らないやつを歓迎しろ〉って。外から来た人が新しい文化の端緒を拓(ひら)く。青の洞門しかり別府温泉しかりである。=朝日新聞2023年9月2日掲載