>【前編】ヨシタケシンスケさん「メメンとモリ」インタビュー 絵本作家10周年で向き合った「人はなぜ生きるのか?」はこちら
「何を言うべきか」に向き合わざるをえなくなった
――2018年7月には「好書好日」で私がヨシタケさんにお話をうかがった時は、コロナ禍のずっと前でしたよね。
(■「好書好日」 2018年7月2日配信)
そうでしたね。
――あの頃はまだ、社会との折り合いのつけ方で、まだ疑問符を持っていた場面もあったように思うんです。
そうですね。はい。
――でも、ここ2、3年間、ヨシタケさんが発信していることは、ここ10年間の絵本作家人生の中でも、特筆して、ちょっと違うステージ。思いを伝えるということに軸足を置いているように感じます。率直に申し上げれば「変わったのかな」って。
変わったのはすごく自分でも思いますね。コロナを経て、「世の中の子どもたちに何かプラスのメッセージをください」みたいな、そういう依頼が単純に増えたっていうのもあるんです。デビュー当時は、ただ本をつくって、出せてもらえて嬉しいって気持ちでやっていたんですけど、5年目を過ぎたあたりから、「あの本を書いた人の言うことだったら聞いてくれると思うんで、何か言ってください」ってメッセージを求められることが増えたんです。
その時、「何を言うべきだろうか」っていうことに改めて向き合わざるを得なくなってきた。自分がふだん考えていること、「僕はこう思うけどね」っていうのを、言わなきゃいけなくなってきた。あと、言うことが面白くなってきたっていうのもあるし。長くやっていることで変化していくことの、作家としての変化に面白がれるようになったんです。
――10年前には持ち得なかった思い。
あまり緊張しすぎると、「良いことを言おう」みたいな感じで説教臭くなっちゃう。そうはなりたくないけれども、バランスを取りつつ、どうにかまだ最初の頃の気持ちが残っている間に、過渡期の今、何かできるんじゃないか、というか。
歳を追うごとに、考え方がどんどん変化していく時、ちょうどこの5年ぐらいがひとつの変化の軌跡になっていて。最初の頃のことも覚えていつつ、その次に出てくる、次にやらなきゃいけないことも見えてきた。それをどういうバランスで選んでいくのか、考えることが増えました。そういうことを考えること自体が嫌いじゃないってことも自分でわかったんです。
「今の子たち、未来を怖がっている」
――社会情勢に敏感になった、ということも含まれるのでしょうか。
「敏感に取り入れていこう」とする姿勢は全然ないし、むしろ耳をふさいで、テレビも見ず、耳をふさいでいるけれども、それでも入ってくる。ここ数年の世の中のバタバタ具合。最近の子どもたちの話を聞くと、今の子たち、未来を怖がっているなって感じたり。「たしかにそうだよな」って。
――子どもたちが「未来を怖がっている」というのは。
学校を訪れて子どもたちと話したり、質問事項を寄せてもらったりすると、「大人って楽しいんですか?」って。「未来って良いものなんですか?」「社会って楽しいんですか?」って皆、心底心配していて。多かれ少なかれ、誰でもそうだけれども、この時代、「この後お前ら大変だからな」っていうことばっかり言われ続けた子たちの、希望の無さ、みたいな。単純に「かわいそうだな」って思っちゃう部分もあるんです。その時に何を言えるか、お小遣いあげたりはできないけれど、何かそういう考え方をひとつだけでもあげたいなって。
まあ、「歳取ったな」っていうことなんですけど(笑)。でもなんか本当、そういうどんどん世の中が悪くなっていく時、「社会が不幸である」ってことと、「君たち一人ひとりが不幸である」ってことは、本来関係のないことなんだよって。みんなが不幸だから自分も不幸じゃなきゃいけないわけじゃないんだよって。それを(本として)カタチにしていければ、「自分も助かる」って気がするんですよね。5年、10年先の自分も救える。説教臭い内容が増えてきたけど、そこもちょっと面白おかしくしたいんだけど、ついつい焦って言葉が直截的になりがちなっていうのは、悩みどころなんですけどね。
――実際、経済的に困窮する子たちも増えていますし、「社会が不幸である」という言葉は、いかなる世代でも同意せざるを得ない状況になっていますよね。
本当に二極化されてきていて。「未来は楽しいぜ」って思える人たちと、「何にも良いことないじゃん」って言わせられ続ける人たちと。真ん中、中間層がいなくなっているのは、本当にそうだなっていうのをすごく肌で感じています。その時に、今、大人側の人間として何を言えるのか。何も言わなくても良いけど、言わないとすると、それはどういう理由から言わないのか、みたいなね。
コロナを経て、何かモノを言うにしても言わないにしても、理由が必要になってきた世の中だなと思います。もともと、「言いたいことがそんなにないから、作家にはなれない」と思っていたくせに、いざ、やり始めて「言える」ってわかると、言いたいことが出てくる。ここ数年の、この僕の本の変化って、僕の中での焦りなんでしょうね。
ここ数年の変化は「焦り」
――「焦り」というのは……? 表現できる立場にいるからこそ、責務を全うしなければいけないという思いでしょうか。
そういう、勝手な「やらなきゃ」感みたいなところがから出てくる暑苦しさを、一番嫌いだったはずなのに(笑)。
――ヨシタケさんが、新しい矜持を探しているなかで、「焦り」を覚えるのでしょうか。
ここ数年の変化は、一言で言えば「焦り」なんですよね。どんどん10年、歳を取ってきて、人生がどんどん引き算になっていって、「あと1冊しかつくれないとしたら、何を言うか」みたいな時に、「焦りとの戦いだな」と。最初に始めた頃はわからなかったですけど、作家っていう職業って結局、何かを途中で終わるしかないんですよね。志半ばで死ぬしかない。「あれもやりたかった、これもやりたかった、あれは途中なのに」っていう時点で終わるしかない仕事。
――「思い起こすことは何もない」という状態は、あり得ないということですね。
そうそう。「すべてやりきった」っていうことって、基本はあり得ないはずで。この「ゾッとする」感。「結局、最後、ハッピーエンドはあり得ない」っていうか。やればやるほど無力感にさいなまれるみたいな境地があるんだな、と。それが余計、焦りを加速させる。そのことで作品がつまんなくなる人っているだろうなっていう思い。他人に書いたものを見せるっていう仕事が持つ「業」みたいなものに、すごく興味があるんです。
作品そのものよりも、迷いながら生きている作家の人たちって面白い。ヘンな仕事だなと思うし。本に携わる人たち、音楽もそうですけど、そういうことに対して「へえ」っていう驚きは常にあって。やっぱり8年なら8年、10年なら10年の発見がやっぱりあるわけですよ。そういう変化をその都度丁寧に拾いたいし、楽しんでいけるのが一番良いかなと思いますけどね。
物語に残らないものをどう残していくか
――『メメンとモリ』の3つめのお話は「つまらないえいが」。つまらない映画を観てしまい、時間もムダだった、っていうところから、「でもそうじゃないかも? そもそも、楽しいことは人生の目標か?」というお話が始まります。映画自体は完成品としてパッケージされたものだから、どうしようもないけれど、「はたして1回観ただけで判断して良いのか」と。
もともとお皿の話が長かったやつを2つに分けて、その後半部分のテーマを映画にしたんです。3つの話で、お皿があって、雪だるまがあって、最後、軸になるものがあればいいなっていうところで映画にしたんです。やっぱりそれも「望まない未来」。「こんなにつまらないと思ってなかった」っていう。「損した」「こうだと思わなかった」「がっかり」。
――現実世界では、客席で怒り出すお客さんもいたりしますよね。
「でも、そんなことだらけじゃないか」っていう。生きていることって、つまりそういうこと。つまらない映画ばっかり観させられる。つまらない映画を面白がろうとしても、「つまらないものはつまらないよな」っていうことも含めて表わしたかったんです。
ふだん、物語になりそうもない、物語にならない部分ってこういう部分だよねって。雪だるまもそうだし、割れちゃったお皿もそうだし。記録に残らない、物語に残らないものをどう残していくかが、ひとつ、僕がやりたいことかなって思ったところですね。
――メメンとモリの掛け合いは、今後も続くのでしょうか。次の構想は。
この掛け合いが自分の中で気持ち良かったので、また次の別のことでできることはあるなとは思いますけど、今のところはないんです。雪だるまの中にギュッと入れられたみたいな、別のフォーマットに落とし込みたいお話ができた時、彼らに外に出してもらうことはあり得るし、そういう選択肢が1冊つくるごとに増えていくのは、本をつくっていくとても楽しみだなって思います。
また彼らに登場してほしい思いもあるし、彼らとは違うモノをつくって、彼らにはできないことをその人たちに託す、みたいなことも面白いだろうし。そういうのを考えるのは好きですね。最近、新しい本を考えるのが趣味で、書くのが仕事なんだなって思います。考えるのが好きなんです。
――『りんごかもしれない』や『もうぬげない』のように、単体でどんどん掘り下げて楽しめるお話も魅力的ですが、今回のように、いくつかの作品が合わさり、各々めいめいの主題が呼応し合いながら大テーマに繋がっていくお話も、大きな魅力です。
やっていて楽しかったんですよ。「あ、ここはこことつながるな」みたいな、「伏線とか見えちゃったりして」みたいな(笑)。物語をつくっていくことの面白さって、こういうことなんだろうな。
だんだん「黒がにじんで来た」
――これって何ですか。3つのお話がそれぞれ始まる直前、ぐるぐるぐるーって見開きページを黒く塗っていますよね。
あははは(笑)。これは場面転換で、「今の話、終わりますよ」っていう。暗転ですね。
――まったくの「真っ黒」のページにしなかったのは、何か思い入れがあるのでしょうか。
「真っ黒にしちゃうと何かつまんないな」と思って。何か、この方がゾッとするじゃないですか(笑)。ギリギリまで塗りつぶされている感じ。ヤン・ファーブルっていうアーティストの人がいて、その人、『ファーブル昆虫記』のアンリ・ファーブルの曾孫さんなんですけど、その人の作品で、普通の洋館(の作品)なんです、真っ黒なんですよ。真っ黒なんですけど、近くで見ると、ボールペンで(青く)塗り潰しているんですね。
――へえ!
ほぼ真っ黒なんですけど、すごく近くで見ると、ボールペンだけで家ごと塗りつぶしている作品があって。僕、実物は見ていないですけど。とにかく、時間がかかっている!
――労力もかかっている!
「お前、何やってんの?!」っていう(笑)。そういうのが結構好きで。「すごいな」って。アートの力のひとつ。気に入っているやつなんですけど、それに近いというか。「塗り潰している俺がいる」っていう。
――このページだって、1、2分じゃ描けないですもんね。
「面倒くさい」って言いながらやっているけど、ちょっと楽しいんですよね。塗りつぶしすぎると真っ黒になっちゃうし、って考えながらやっている時間も楽しかった。文字を1個1個書く、文章を書いていく時間も、何も考えずに塗りつぶす時間も、同じ時間軸の中で流れているのが面白いと思いながら。ただの闇じゃない。
それこそ僕の描く本にも「かわいい」とか「面白い」とか言ってくれるけど、それは本当に僕の、もともとある真っ黒な、意地悪なところを必死で白く塗りつぶした白なんですよ(笑)。よく見ると、黒いものを白く、一所懸命塗り潰そうとした白。だからこそ、「いい感じの白」になっているのかなって思うこともあったり。
――過去のインタビューでも語っておられたように、もともとのヨシタケさんご自身が持つ「闇」を、ここでもちょっと感じるような。
そうそう。もともとある暗さだったり、世の中に対する「信じてないところ」だったり。そういうものを出していきたいっていう意欲もあって。本当のところで僕が思っていることは、もっと「こっち」なんですよ、みたいなところもつくりたい。ポジティブなものと、ものすごくネガティブなものが同じ人から出てきているってこと自体が、ひとつのメッセージになるような気がしていて。
人間はこういう奥行きがある。良い時もあれば悪い時もある。意地悪な時も、本気で人を救いたいと思う時もある。幅のあるものだよねって。いろんな作品を通してひとつの人間観になるのがベストなんじゃないかなって。
――キッチュで、ポップで、かわいい、だけじゃない。
それをどんどん我慢できなくなってきた(笑)。黒がにじんできた。
15年、20年かけた時限爆弾
――「自分が子どもの頃に読みたかった本をつくる」って、ヨシタケさん、ずっとおっしゃっていますよね。
まったくその延長線上で、今、50歳になった僕が言ってほしいこと。絵本は子どもの頃の僕が知りたかったこと、子どもの頃の僕の疑問に答えてあげたいっていう思いでつくっていて、やっていく中で、「今も大変なんですけど」っていう(笑)。「今の自分を救う言葉が今、必要なんですけど」ってなってきたのが、最近ここ2、3年の変化のひとつの原因という気もしています。
世の中がいろいろアタフタしているし、自分も歳を取ってきてガタがきている中で、「こういうふうに言ってくれる人がいたら、ちょっとは気がラクだな」っていうのを必死で考えているところはあります。基本は自分のためっていうのは相変わらずですね。そこは。
――ヨシタケさんが10年間、変わらずに持っていらっしゃる部分と、ここ数年で大きく変わった部分とが、化学反応を起こしているように感じます。この数年、すごく傷ついたじゃないですか。その傷に、スッと入ってきて癒してくれます。
そうですね。僕自身も傷ついているからというか、「今じゃなきゃできなかったモノだな」っていう思いはあります。この10年間、作品をつくるっていうことは、日記のようなもの。「こういうことが起きました。こう思いました。こんなことが起きました、だからこう思いました」。日記的なつくり方をする作家なんだなって途中から気づきました。より、その思いが強固になるというか。
だから、この先に起きたことが次のテーマになる。その都度拾っていって、10年後20年後があるとすると、「いや、この頃若かったね」ってゲラゲラってなれたら一番良いだろうし。作品が面白いかどうかは別として、自分の日記として面白いっていうか。僕だけ楽しめるというか(笑)。それがひとつの希望に近いものになっている気がしますね。
――ヨシタケさんが今後、どんな発信をしていかれるのか、読者が見守っていると思います。
そう。すごく見守って下さる、面白がってくれる人がたくさんいることはありがたい半面、いかにそういう人たち(の存在)を気にせずに、自分とだけ向き合い続けるかが、自分にとっての誠意なのかなという気もしています。1人の作家が、たくさんの人たちとシンクロしている時期があって、シンクロしなくなった時期があって……っていうことも、作家の「幅」になるのかな、というか。そこも含めての遠足のような気がしていて(笑)。
――遠足は続くのですね。
生きざまを面白がってもらうのが作家の最後の気持ち。「最後の方、何かエラいことになっちゃったね」というのを、どこかで楽しみにしている自分がいるんですよね。
この本の中では、もともとの「メメントモリ」の言葉の説明が一切出てこないんですよ。これ、敢えてそうしているんです。今、絵本の流れでこの本を手にした子どもが、15年後ぐらいに、「メメントモリ」の言葉に出合い、「こっちが元ネタだった! あの本、ダジャレだったんだ」っていう(笑)。15年越しのイタズラができるっていうのが、今回のひとつの楽しみなんですよね。
――だから、本の中には何も書かないわけですね。「ラテン語でどうたら~」みたいな。
そうそう。それをあえてやめました。知らない子たちには、こっちをオリジナルと思ってもらいましょうっていう。絵本ってそういうことができるので。そういう意地悪したい(笑)。
――「答えは15年後」。
15年、20年をかけた時限爆弾を仕込めるって、本にしかできなかったりする。子どもの時に読んでさっぱりわかんなかったけど、覚えていてほしい。「ああっ!」っていう。「それはわからんわ、子どもの頃は」って思ってもらえたら一番、本としては幸せだろうなと思うし、それに関われたとしたら、つくった冥利に尽きると思うんです。
【好書好日の記事から】
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