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日を記す 千早茜

 日記をつけている人はどれくらいいるのだろう。きっと少ないのだと思う。ずっと日記をつけていると言うと驚かれるから。「いつから?」と訊(き)かれ、二歳からと答えると驚愕(きょうがく)される。正確には、二歳の頃はまだ文字が書けなかったから母が代わりに書いてくれていた。実際に自分で書くようになったのは五歳からだ。

 二歳の私に母は「今日はなにがあったの?」と問い、私が話したことを書きつけたらしい。それが毎日続き、私は「今日あったことは記さねばならない」と刷り込まれたのかもしれない。特に疑問に思うこともなく毎日、日記をつけた。中学生の時にやめたこともあったが、なんとなく落ち着かなく、高校生の時には日記の習慣は完全に復活した。以来、現在に至るまで続いている。

 日記の習慣がない人からは、なぜ日記をつけるのかとよく訊かれる。同業者からその質問を受けたこともある。同じ、書く仕事をしていても違うものだなと思いながら、「日記をつけないと昨日と今日の違いがわからなくなるから」と言ってみた。「僕は毎日、区別のつかない日を送っていますよ」とその人は笑った。

 先日、仕事で会った人が日記をつけていたことがあると言った。気持ちの整理のためにやっていたそうだ。愚痴や怒りを書くことも多かったので、結婚を機にすべて捨ててしまったらしい。捨てる前に読み返すと、嫌いな人の名がイニシャルで書いてあったという。しかし、日記に吐きだしてしまったせいか、誰のことかまったくわからない。まるで違う人が書いたみたいだったそうだ。奇妙な気分になり、帰宅してから自分の日記を読んでみた。私は起きた事実のみを書いているので、わからない感情は見つからなかった。三年前、半年前、十日前の自分の一日がたんたんと記されている。日記帳の日付の、どの日にも私はいて、行動が似ていても同じ日は一日もなかった。一日一日を重ねて生きていることにほっとした。今日も、明日も、明後日も、私は日記を書くだろう。=朝日新聞2023年10月11日掲載