- イーロン・マスク
- 未来の「奇縁」はヴァースを超えて
- 闇の精神史
SF。サイエンス・フィクション、あるいはスペキュラティヴ・フィクションと呼ばれることもあるそのフィクションジャンルは、明らかに他の物語形式が持つことのない特性を纏(まと)っている。それは、現実は可塑(かそ)的であり未来は人間の手で変えられる、という思想の中に読者を巻き込み、読者の現実に対する態度やその後の行動に強く影響を与えてしまうという性質だ。むろん筆者も逃れがたいSFのその性質に取り憑(つ)かれた一人ではあるものの、現代においてより代表的な名前を一つ挙げよと言われれば、イーロン・マスクをおいて他はないだろう。
ウォルター・アイザックソン『イーロン・マスク』は、起業家イーロン・マスクのこれまでの人生を豊かな筆致でまとめ上げた怪作だ。そこに書かれたできごとのすべては事実であるものの、SFに強い影響を受け、SFから得たものを自らの行動指針とし、火星への移住やAIとの最終戦争での人類の勝利を本気で信じ、目指し、多くの不可能を可能に変えてきたイーロン・マスクの来歴はSFそのものと言わざるを得ない。現実は既にSFの中にのみ込まれており、我々はSFを経由することでしか現実を正しくとらえることができなくなっている。
WIRED Sci-Fiプロトタイピング研究所他『未来の「奇縁」はヴァースを超えて』は、そうした時代精神と呼応する一冊だ。「SFプロトタイピング」と呼ばれる手法の実践と評価をまとめた本書は、複数の人間の複数の世界観をぶつけ合うことで複数の未来を生成する過程の記録であり、そこではイーロン・マスクが夢見るような、たった一つの大きな未来が相対化され解体されている。当然ながら、複雑な現代において未来を考えるためには、一つの未来のイメージでは足りるはずがないのだ。
一般に、未来という語彙(ごい)が孕(はら)む未来らしい未来はノスタルジーにすぎない。木澤佐登志『闇の精神史』は、「ロシア宇宙主義」「アフロフューチャリズム」「サイバースペース」という三つの切り口から、近代史において、いかに類似の未来のイメージが反復的に再帰しながらその都度その時を生きる人々の思考と行動をも反復させてきたかを指摘する。「失われた未来を解き放つ」と題された最終章では、そうしたゾンビ化した未来からの逃走線を引くために、失われた過去へのモンタージュ=組み替えの技法が提案される。過去は変えられず、過去の中で語られた未来は変えられない。それでも、あたかもテッド・チャンの描くタイムトラベルのように、過去の中の未来を過去のものとして受け入れ、さよならを言うことならできるのだ。我々が我々自身の未来を手にするために。=朝日新聞2023年10月25日掲載