ある若者の人生を公権力が奪った背景には部落差別があったのではないか。60年前の「狭山事件」で無実を訴えている石川一雄さん(84)が半生を語った「被差別部落に生まれて」(岩波書店)が静かな反響を呼んでいる。「冤罪(えんざい)も部落差別も、決して過去の出来事ではない。後続世代として事件を知り、語り継ぐ一歩にしたい」と聞き手で著者の黒川みどり・静岡大教授(65)は語る。語り手と聞き手の思いが詰まった一冊だ。
狭山事件は東京五輪の前年、1963年に起きた。埼玉県狭山市の女子高校生が行方不明となり脅迫状が届くなどした末、遺体が発見された。近くに住む当時24歳の石川さんが逮捕され、いちどは「自白」する。東京高裁の二審以降は無実を訴えたが、77年に最高裁で無期懲役が確定した。94年に仮釈放となった後も再審請求を東京高裁に申し立てている。
黒川さんは、部落差別の歴史を専門とする日本近現代史研究者だ。学生生活を送ったのは70年代後半。学生運動や部落解放運動の一環で狭山事件の裁判闘争に熱気があった時代は去りつつあった。「キャンパスの立て看板などを通して事件の存在は知ってはいたが、支援運動などとは縁遠かった」
石川さんとの出会いも2021年と、最近のことだ。研究のために訪れた千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で面会する機会があった。黒川さんは「石川さんと接するうちに、事件はまだ語り尽くされていないという思いを抱いた」という。長年の裁判闘争の過程で事件をめぐる出版物は多い。「事件当時は子どもの私が聞き手でいいのかと立ちすくむ思いもあった。でも、無罪を勝ちとろうと闘志を失わない石川さんの人生に徹底的に寄り添い、人間石川一雄のなまの語り口を文字に刻みつけて歴史の記録とする形でなら、歴史家の私が新たに本を出す意味があるのではと思い直した」
昨年夏から10回超、5~6時間ずつ聞き取りを重ねた。石川さんの活動を支援してきた部落解放同盟埼玉県連合会の片岡明幸さんが同席し、石川さんと妻の早智子さんの話に耳を傾けた。「一片のうそ偽りもなく淡々と誠実に答えてくれた。この本を読めば事件と部落差別が無関係ではないと分かるはず」と黒川さんは話す。一気に書き上げ、今年5月の事件60年に合わせて刊行した。
本によると、石川さんは被差別部落の困窮家庭に生まれ、小学5年生、10歳で子守の年季奉公に出た。ほぼ読み書きができず、警察や裁判の仕組みも知らなかったために事件に巻き込まれた。身近な人の犯行だと思い込み、身代わりになろうと「自白」に追い込まれた自責の念や悔しさを語る。黒川さんは事件当時の社会状況を指摘する。「被差別部落は『犯罪の温床』だとの偏見があった。警察はこの事件を含む身代金目的の誘拐殺人事件でミスが重なり、厳しい世論を気にしていた」
収監された石川さんは、拘置所で担当刑務官から字を学ぶ機会を得る。最初に教わったのは「無実」。そして「助けてください」。獄中から手紙で思いを伝え、短歌も詠むようになった。ボールペン、便箋(びんせん)、封筒、切手の差し入れは刑務官の妻からだったという。
30年以上服役した石川さんはいま84歳。「青春を屏(へい)の中に置き去りし 司法の誤謬(ごびゅう)を今ぞ質(ただ)さむ」。ことし詠んだ歌に思いが込められている。「学校に通えず満足に教育を受けられずに身に覚えのない罪を背負い、人生の大半を費やして冤罪と闘ってきた石川さんがすべてをさらけ出している。『自白』してしまった悔しさ、怒り、悲しみ、そして今も続く苦しみが少しでも伝われば」。黒川さんは「ポスト学生運動世代の歴史家としてなんとか宿題を提出できた」と思い返している。
黒川さんは11月に、静岡大学で狭山事件と人権問題の歴史をテーマにした講義をする予定で、石川さん夫妻と片岡さんが登壇する。(大内悟史)=朝日新聞2023年10月25日掲載