――1957年の本格的デビュー後、63年に女流文学賞を受賞した「夏の終(おわ)り」をはじめ、初期には私小説が多くみられます。
瀬戸内さんが女性の性をてこにして、女性の社会的な存在を考えることから小説を書き始めたのは注目すべきだ。19世紀のフランスの作家、ジョルジュ・サンドもそうだが、家父長制によって女性の人生が抑圧されていたことは大きなテーマだった。
今、文学的にもフェミニズムを主題とする作品がたくさん出てきた。瀬戸内さんは60年以上も前からセクシュアリティーの問題を書いている。僕は、22年にノーベル文学賞をとったフランスの作家アニー・エルノーの「シンプルな情熱」よりも、瀬戸内さんの「夏の終り」の方が文学的には上だと思っている。
フェミニズムの文脈で考えたときも、瀬戸内さんの作品がまだ十分に理解されていないことは残念だ。
――57年の「花芯(かしん)」での性描写は、当時の男性中心の文壇で非難の的となりました。その後も「美は乱調にあり」など、社会の理不尽と闘う女性を描いた評伝作を多く書いています。
男性作家が恋愛や不倫を書くとほめられるのに、なぜ女性作家が書くと批判されるのか。女性の解放を社会的な問題として捉えれば、社会制度や男性中心のイデオロギーとぶつからざるを得ず、政治と切り離せない。瀬戸内さんの関心が私小説的な領域から政治と文学の関係、とくに雑誌「青鞜(せいとう)」の作家たちの評伝へと移ったのは自然な流れだ。
政治を考えることで、社会制度改革など、具体的に解決する問題がある一方で、精神的な問題もある。その解決の糸口を宗教に見いだしたのが瀬戸内さんの後半生だった。
――出家したのは73年、51歳のときです。
文学的には、作家として出発した時点では大きな夢を抱いていたが、自分の能力の限界を感じていたとある時、ポロッと口にされたことがある。
「出家は一つの精神的な自殺である」とも話されていた。幾つもの理由が重なって精神的な危機があったのは間違いない。ただ、出家を機に、創作活動をより活性化させた。出家にまつわる新しいテーマが出てきたし、古典文学に取り組むとき、仏教の知識が大きな利点になった。
源氏物語の現代語訳は代表作といえるだろう。源氏物語には政治、文学、性が描かれ、瀬戸内さんの問題意識を大きなスケールで構造化した物語ともいえる。古典の中でも特に源氏物語に関心をもったのは必然性があった。
――最期まで書く意欲を失いませんでした。
書くことが好きという非常にシンプルな理由が一番だと思う。晩年まで書きたいことが枯れなかった。
社会のおかしさを考えることが作家の仕事の一つだ。社会の常識が個人の人生を不自由にしている現実があれば、それに抵抗するのが作家のあり方だと思う。瀬戸内さんが評伝作で取り上げたのは、そういう人たちであり、自身も創作活動を通じて、そういう生き方を実践されていた。
自由に生きる瀬戸内さんの姿が、日本社会で抑圧されてきた女性たちを勇気づけた。一方、自由に生きることは社会からの反発を招く。それでも、自由に生きることの意味を問いかける作品を書き続け、自分の生き方を曲げずに貫いたからこそ、多くの人に愛されたと思う。瀬戸内さんがいなくなって、本当にさみしい。(岡田匠)=朝日新聞2023年11月8日掲載