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新潮新人賞・赤松りかこさん 大江健三郎の新作がもう出ない世界を生きるために 連載「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた。」#7

赤松りかこさん=撮影・武藤奈緒美

 困った。何を聞いても大江健三郎の話になってしまう――。
 新潮新人賞を受賞した赤松りかこさんのことだ。応募の際、略歴を提出するのだが、赤松さんはそこにも〇歳で大江文学と出会い、〇歳のときに大江のこの作品に感銘を受け……と〈マイ大江ヒストリー〉をぎっしり書き、編集部から「ひょっとして関係者のかた?」と聞かれたそうだ。筋金入りである。

「高校1、2年の頃、彼がノーベル文学賞を獲って、世界最高の小説ってどんなだろうと古本屋で初期作品をごっそり買って読んだのがはじまり。内容はよくわからなかったけれど、こやつは真剣だぞ、ということは伝わって。子どもの頃、夢中になったミヒャエル・エンデや松谷みよ子とも通じる誠実さを感じました」

家具もインテリアもほとんどなにもない部屋に、大江健三郎作品だけがぎっしりとあった=撮影・武藤奈緒美

止められなかった動物実験

 その後、獣医だった父に影響され、獣医学部へ。そこで動物実験の実習に参加した。
「羊とか引き出してきて、首をがーって切ってばらばらに解体していくんです。それを私は無残だなと思いながらも見ていることしかできなくて。なにか行動したら違ったかもしれないのに、行動しなかった自分が溜まっていくと、別の人に行動させたくなるんですよね。それで小説を書くようになりました」
 これもまた大江の影響だという。
「彼の初の長編小説『芽むしり仔撃ち』で、作中の〈僕〉は途中まで完全に大江少年そのものなんですよ。ところが、ラスト、大人たちに座敷牢に閉じ込められ、屈服を迫られるなか、はじめて〈僕〉は大江を離れて、森の中へ駈け込んでいくんです。その〈離陸〉が私には必要でした」

 初めて書いた小説は、動物を解剖する獣医学部生の話。次に書いたのは、動物の手術の解説ビデオに登場する先生に獣医学部の学生が救いを求めて話を聞きに行くという話。こちらを群像新人文学賞に送り、「タイトルの前に〇がついていた」というのでいいところまでいったのだろう。が、その後の記憶はないという。ほどなく国家試験に合格し、獣医師として働き出したのだ。忙殺される日々の中、それでも少しずつ小説を書いた。

「私にはフランスで画家をやってる弟がいるんですが、彼がすごく本読みで。私の作品を読んでは『これはこういうことが言いたいんだね』とか『この描写は勢いがあるね』とか感想をくれるんです。今でも週に2時間は電話します。チェコ語の翻訳者だった母も元気だった頃はよく感想をくれました。母は、読み聞かせる絵本にお眼鏡に適わない文章があると紙に書き直して貼るような人。私の文学的素養はみな、この母から。ペンネームの〈赤松〉は母の旧姓なんです」

1階が経営する動物病院、2階が自宅。取材は休診日に。獣医らしいポーズをお願いすると、「あとからスタッフさんに先生なにしてんのって言われそう(笑)」=撮影・武藤奈緒美

新しい人よ眼ざめよ

 獣医をしながら趣味で小説。身近によい読者もいて、それで十分だと思っていたが、2023年3月、赤松さんの世界がひっくり返った。大江が亡くなったのだ。
「もう地の底くらい落ち込んで……。犬の耳の穴を見ても涙が出るし、手術をしていても涙が出るし。あ、手術はちゃんとやりますよ。20年やってるんでそこは手が勝手に動いてくれるんですけど……。若い同僚からは『大江健三郎って東大出身だったんですね』と言われ、そ、それだけ……う、うすい、ああ、尾崎真理子さん(※大江研究で知られる)と思うさま語り合いたい! と、尾崎さんの研究室はどこか探したりなんかして。その時、私がまだ読んでない彼の作品は短編3本。その3つを読んでしまったらもうあとは何もないのだと思うと……」

 悲嘆にくれる彼女に友人や弟はこう言った。
「あなたが大江健三郎の小説を継いで書いていったらいいじゃない」「あなたは生きてて大江は死んでるんだから、生きてるあなたが書くしかないでしょ」

 それが3月20日ごろのこと。応募するなら大江が審査員を務めたこともあり、大江の初期作品のほとんどを出している「新潮」だと的を絞った。応募締め切りは3月31日。これまで書き溜めた作品の中から3つを送ると、なんと3つとも予選を通過。その中から「シャーマンと爆弾男」が栄冠に輝いた。私なら自分の才能に浮かれてしまうところだが……。

「自分がだめな人間だということを知り尽くしていますからね。動物病院をやっていると、ご家庭の事情に立ち入ることや、死生観に接することが多々あるんです。世界ってね、心豊かな人間の集まりなんですよ。野良猫のために毎日夜中2時に餌をやりにいく人がいたりして。自分はそれが見えやすい形になっているけど、本当はすべての人が生きることで表現をしている。私なんて、なんてことない」

「小説のコツがあるとしたら、人を好きでいることじゃないでしょうか。愛おしくてしょうがないから眼差す。そういう細やかな眼がないと小説は書けないように思います」=撮影・武藤奈緒美

 受賞作の着想はどこから?
「昔はアイヌの〈熊送り〉のように動物の命を刈り取ることに対する作法やまじないがありました。それが他の命を奪う大きな矛盾を乗り越えるための精神基盤になっていた。でも今は、そんなものは一切ない中で、ただ家畜を押し込めて殺す。私が原住民やシャーマンに惹かれる理由です。現代にシャーマンがいたら、自然の声が聞けたなら、土は、水は、風は、何を語るのだろう、と」

 多忙な獣医生活の中、いつ小説に向かっていたのだろう。
「スマホもテレビもない家なので、ほかにやることもないんです。Wi-Fiも必要な時だけ実家から借り、テレビが見たい時は銭湯に行きます。というのも、学生時代、格ゲー(格闘ゲーム)にハマって大会まで出ちゃって(笑)。ネットやテレビがあったら自分がだめになるのがわかっていたので」

 診察後、21時に夕食を食べ、チェロの練習をし、深夜0時から2時過ぎまで小説を書いて、翌朝は8時に起きる。「シャーマンと爆弾男」の執筆時には、友人と2人、夜な夜な川沿いを2時間歩いたり、半年間、真っ暗な浴室で風呂に浸かって水を感じたりした。そうして凝(こご)ってくるものを小説に書き、寝かせ、また書き直す……完成までに2年をかけた。なんと豊かな書き方だろう。ただ、大江を継ぐと決めて世に出た今、それも変わるのだろうか。

書斎。静謐な時間が流れ、教会のようだった。「書いていて言葉が流れていかないときは、英語のヒップホップを聴きます」。どこまでも意外!=撮影・武藤奈緒美

〈小説家になる〉とは戦争を止めること

 受賞インタビューに気になる言葉があった。

「資本主義の市場へ新たな商品を投下するつもりはありません。主業以外で同時代人から搾取するのは間違っている」(「新潮 2023年11月号」より)

 これは、ひょっとして小説を売るつもりはないということ?

「そこなんですよね。小説は書きたいですが、それがお金になることにすごく抵抗があって。脱成長を唱える経済思想家の斎藤幸平さんに共感していて、彼は、社会をよくするには公園や水、森といったお金に変換できないものをお金でやりとりしてはいけないと言ってるんです。でも残念ながら、そう書いてある本を、出版し、市場にのせている。そこに矛盾があるんですよね。私もそうなんです。本当だったら『聞いた人が幸せになれる話を思いついたから聞いてくれるか』って広場で呼びかけて、いいと思った人からパンと水をもらうのが理想の形なんですよ。それなのに現実には、広告を打って、きれいな表紙を付けて、受賞作っていう煽り文句をつけて、余分な価値を付けないと広められない。どうすればいいのか、その答えはまだ出ていません。受賞でいただいたお金は動物実験を廃止する会や愛護団体に寄付しましたが……。ひとつのヒントとして、やはり大江の姿があると思います。彼は有名になったことをフルに利用して、少しでも世界が希望に満ちたものになるように奮闘した。文学と社会活動を共存させました」

 最近、赤松さんは4回ほどけんかの仲裁をしたそうだ。戦争を止めるために自分ができることは、まず目の前の争いを止めることではないかと考えたらしい。
 仲裁のコツは、①間に割って入ってお互いが見えないようにすること、②両者の意見を聞かないこと、③大きな権力(警察)を呼ばないこと、④両者にとってなんの損得もない人間が介入することの4つだそう。「仲裁屋さんになるのもいいなぁ」とわりと本気な感じで口にする。ちょ、ちょっと待って。赤松さんにとって「小説家になる」って?

「小説で世界から兵器をなくすこと、環境汚染を止めること。じゃないと名乗れない。仕事とは世の中をよくするためのもの。今の私は獣医という仕事でのみしか、それを果たせません。私はまだ小説家ではなく、獣医です」

 気を抜くとすぐに大江の話になるインタビューの中で、赤松さんは彼の最後の小説「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」の中の言葉を教えてくれた。

〈私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる。〉

 私にはその言葉が、大江健三郎から若き熱き継承者・赤松りかこへのメッセージに感じられてならなかった。

【次回予告】次回は、第60回文藝賞優秀作を受賞した佐佐木陸さんにインタビュー予定。