「襷がけの二人」書評 家族からはぐれ女中と築いた絆
ISBN: 9784163917511
発売⽇: 2023/09/25
サイズ: 19cm/364p
「襷がけの二人」 [著]嶋津輝
正月に向田邦子の新春ドラマスペシャルが放送されなくなって随分経つ。きっと条件反射なのだろう、この時期になると昭和初期の物語を欲してしまう。
戦後四年目、独り身の中年が女中の仕事を求めて目見得(めみえ)に訪ねるところから物語ははじまる。千代というのが主人公だが、およそ主人公らしくない。近所の人にも顔を覚えてもらえないほど、見た目の凡庸さが繰り返し綴(つづ)られる。
一方、千代が住み込みで働きはじめた家の主、初衣(はつえ)の描写は念入りだ。長身ですっきりした佇(たたず)まい、ただ者でないと思わせる粋な所作を伝える一文一文には魂がこもる。千代の目に映った初衣の美しさ、女が女を憧憬(しょうけい)するまなざしだ。
空襲のときに火の粉で視力を失い、今は三味線の師匠として生計を立てている初衣に、千代は素性を隠して仕える。敗戦によって日本の天地がひっくり返ったように、この二人もかつては正反対の立場にあった。戦前は千代が奥様で、初衣が女中だったのだ。
前述の向田ドラマが家族を描いてきたのとは対照的に、千代は家族と縁がうすい。母とは折り合い悪く、愛情を感じたことがない。身に余る嫁ぎ先で奥様の座に納まったものの、夫とは心身ともに交わることがついぞない。イエはあるが、家族からははぐれている。
代わりに千代が築いたのは女中たちとの絆である。家事を執り行う連携によって、信頼は磨き上げられる。とりわけ女中頭の「お初さん」こと初衣は、メンターのように頼れる存在だ。賑々(にぎにぎ)と日々の食事の支度に精を出しているうち、いつの間にか戦争がはじまっている。「新しい戦前」と言われる今、この呑気(のんき)さは非常にリアルである。
三界に家無し。そんな世界の片隅に、やがて女だけで暮らすことになる千代と初衣。家父長制の色濃い時代を背景に、血縁や男女の婚姻関係で作られる家族の形に異を唱えた、静かなる反逆の物語でもある。
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しまづ・てる 1969年生まれ。2016年、「姉といもうと」でオール読物新人賞。著書に『駐車場のねこ』。