1. HOME
  2. コラム
  3. つんどく本を開く
  4. 「語りもの」に魅せられた私 赤坂真理(作家)

「語りもの」に魅せられた私 赤坂真理(作家)

イラスト・ゆりゆ

 石牟礼道子の『西南役伝説』(講談社文芸文庫・2200円)に収録された「六道御前(ろくどうごぜ)」は、最初に、声で聞いた。作者本人に向かって劇演出家が読み聞かせるというめずらしい場面に立ち会ったのだが、読む人が嗚咽(おえつ)していた。「ここには僕の芸能民としてのルーツがある」と、読み手は涙ながらに言うのだった。それを呆然(ぼうぜん)と見ていたわたしは、それまで、本は目で読むものとどこかで信じていたと知った。考えてみれば、文字を読めない人が多かった時代の方が人類史的にはずっと長い。それでも、人は物語や出来事を知っていた。それは「語り」や「芸能」があったからなのだ。

 「六道御前」は、西南戦争で親や兄と生き別れた天涯孤独の女性芸能者「ろく」が、祭りの夜に問われて身の上を語るもので、ろくの語りそのままを写したような文体。今まさに目の前で語りかけられているようだ。花あかりの中、舞と共に語られる、決して恵まれたとはいえない半生、だけれど、そこに魂をふるわす何かがある。また、別の作品には「あれは武士同士の争いだった」と明治維新政府樹立の本質をさらっと語る古老もいて、市井の人の歴史を見る目の正確さに驚く。正史が語らない細かな声、小さな声が、豊かに響く文学となっている。

 それから「語りもの」に魅せられるようになった。語りものの代表格『平家物語』は、誰もが一度は教科書で読んだことがあるのではと思うが、自分自身、それで知った気になっていただけだった。声に出して全身で読んだ時、わたしは文学作品でこんなに泣いたことがないというほど泣いた。

 勝ち戦でさらにいい首を狙う老獪(ろうかい)な武者熊谷直実が、息子ほどの歳(とし)の平敦盛(たいらのあつもり)の首をとった後に出家する「敦盛最期」。戦のシーンなど、刻一刻と動く緊迫感で、現代作品よりダイナミックだ。瞬(まばた)き一つしたら状況が変わるようなスピード感。『平家物語3』(古川日出男訳、河出文庫・880円)の文体はそれに合っている。これは今のエンターテインメント以上にエンターテインメントであり、信じられない修羅があり、多数の自殺者があり、愛する者に死なれた者あり、その果てに、滅びたものの美を感じさせる「諸行無常の響きあり」という言葉が胸に迫る。これを読んだら、原文もぜひ積ん読の中に入れてほしい。

 中国出身のSF作家、ケン・リュウの短編集『草を結びて環(たま)を銜(くわ)えん』(古沢嘉通ほか訳、ハヤカワ文庫・792円)は、ファンタジーでもSFでもあり、同時に抒情(じょじょう)性にあふれた世界を描くのが魅力的。表題作では、満州族による揚州皆殺しの生き残りである少女、雀(すずめ)が、ラストシーンで滅ぼされた側の語り部となっている。勝った者が歴史を書く。負けた者には、語り部がいるのではないか。本文中にあるように「真実はつねに、歌と物語のなかに生きてきた」。それはまた「文学」というものが生まれくる秘密であるようにも思えてならない。

 美貌(びぼう)と知性を持った遊女、緑鶸(みどりのまひわ)は、彼女の世話をする少女雀を、決して自分のような美しい女にしようとはしない。ある意味つらく当たる。美しくないので纒足(てんそく)するに値しないなどとも女将(おかみ)に進言する。雀に優しいことを言わない緑鶸は、傷ついた動物たちにはとびきりやさしい。一方で雀をどんなことをしてでも強く生き延びさせようとする。だから、ささげものになるような美しい女にはしないのだとも読める。揚州皆殺しの日に、逃げられる体を持った雀一人を逃し、自分は美貌と知性で運命に抗(あらが)って生きようとする。広義の「シスターフッド(女性同士の絆)」ものとしても読める。過酷な体験が語られるにもかかわらず、心に火が灯(とも)る。登場人物たちの名前ともなっている、鳥たちが、囀(さえず)り、音楽を奏で、美しく舞い、自由の象徴として飛ぶ。心が自由になるような作品だ。=朝日新聞2024年1月13日掲載