1. HOME
  2. インタビュー
  3. 韓国文学
  4. 「私の最高の彼氏とその彼女」ミン・ジヒョンさんインタビュー 恋愛の「決まりごと」まるごと問い直してみた

「私の最高の彼氏とその彼女」ミン・ジヒョンさんインタビュー 恋愛の「決まりごと」まるごと問い直してみた

ミン・ジヒョンさん=家老芳美撮影

人間関係全体にも通じる大事なこと

――今回、ORについて扱ったことで、まずは韓国の読者の反応を教えてください。

ミン:はい。好意的な反応は、ポリアモリーや、OR当事者たちから「こんな物語を待っていました」「自分の心境をそのまま書いている」などと言ってくださる声がありました。 「ORは初めて知ったが、考えることが多いし、小説としてもとても面白い」というありがたい反応も少なからずありました。

 でもやはり韓国では、こういう関係性があまり知られていません。恋愛相談番組で、女性の相談者が「付き合っている男性がいきなり『僕はポリアモリーだから、他の女性と会うのを許して』と言っているのですが、どうすればいいでしょうか」と言う悩みを紹介していました。その時、番組MCが「そういうのは浮気者の言い訳だ」って。偏見があるんですね。今回も、「賛成できない。私には絶対無理。彼氏がORしたいと言うのを想像するだけですごく嫌だ」っていうレビューが多くありました。韓国ではキリスト教の影響もありますので、批判を受けました。「人のすることじゃない」って。

――アジアの儒教的な考え方からもNGだし、キリスト教的な考え方からもNG。

ミン:そうですね。

――前作『フェミ彼女』は、男の子の主人公・スンジュンが一般的な韓国人男性の視点で、フェミニストの彼女と出会い、旧態依然とした男女の価値観に縛られているかということを学んでいける本でもありました。いっぽう、フェミニストの彼女、女性の心情描写に関しては、今作により多く入っていますね。

ミン:前回、自分で残念だったところは、(男の子の一人称で物語が語られるので)女性の心情を直接書けなかったこと。ですから、今回の作品は女性、一人称ではないけれど女性の気持ちと考えを書こうっていうのがありました。「そこにはすごく共感した」っていう声はありました。「ただ、それがORにつながるとは!」みたいな。そこはビックリする方が多かったんですけど。

ミン・ジヒョンさん(左)と加藤慧さん

――訳者・加藤さんは、まず韓国語の本を最初にお読みになった時、どう感じましたか。

加藤:最初に読んだのが、ちょうど『フェミ彼女』を訳している時でした。「ミレの心情に共感できるな」って感じたんですね。OR自体に対して抵抗感を覚えるというよりは、ORの 「すべて話し合って相手を尊重する」という考え方に、普通の「1対1」の恋愛、もうちょっと広げると人間関係全体にも通じる大事なことが詰まっているんじゃないか、って感じました。

――たしかに、すべて読み終えると、ORはあくまで一つの題材であって、人間と人間が「付き合う」とはどういうことか、考える契機に昇華されていくのを実感します。そもそも、フェミニストであるミンさんが、テーマとしてORに取り組もうとした経緯は。

ミン:『フェミ彼女』の本を出した後、韓国でイベントを何回もしていたんですけど、その時、「フェミニストの私はどうしたら良い恋愛ができますか?」「恋愛に今、悩んでいるんですけど?」みたいな質問をたびたびされたんです。「フェミニストの恋愛ってやっぱり難しいですよね」という共感の場になって。前作では、多数のフェミニスト女性が肌で感じていた恋愛の難しさを表現することが目的でしたので。「本当にどうしたらいいのかな」っていう問いかけが、自分の頭の中にずっとありました。

 ポリアモリーやORのことは前から知っていたんですけど、ちょうどその時、ポッドキャストでORを実践している方が、自身の経験をお話ししている番組を聴いて、「あ、意外と良いかも」って。「もうちょっと調べてみよう」となったんです。

 いろんな本やインタビューを読んだり、当事者と会ってみたりしながらこの本を書いたんです。今、韓国では「非婚」とか「非恋愛」とか、そういう話がすごく出ているんですね。親しい関係を結ぶことで、女性の人生に影響が出る。仕事を辞めるまではいかなくても、何らかの犠牲を強いられるなどのことが生じているのが現実です。どうすればその悪影響をちょっとでも削れるのか、そういう問いかけをしていた時でしたので、「ORは、実践している人たちの独立性がすごく守られる方法だな」と気づいたんです。女性が、自分の関係と自分の人生を両立できるんじゃないか。机上の空論的な考えかも知れないですけど、今よりは(幸せに)できる方法じゃないかって。

固定観念からは想像できない感情

――前回のインタビューで、トランスジェンダー差別に触れた際、多くの反響がありました。それに関連した意見で、「女性は常に危険を感じながら生きている」という意見に接し、強い印象に残りました。いっとき愛情を交わし合った相手が、いつ凶暴になるかわからない。安全を確保する上でも、「束縛を良しとしない」ことを共通項とするORは、一つの選択肢になり得るかな、とは気づきました。

ミン:そうですね。「所有する」っていう感覚って、DVとかストーキング、ガスライティング(相手を自発的に無条件服従させる心理的虐待の一種)、そして特に韓国で社会問題になっている「交際殺人」(別れを告げる女性を男性が殺す殺人事件)が起こり得ると思いますし、そういう面でも良い考え方っていうのが確かにあったんです。

――ただ、その「所有」っていうところを、愛情と混同してしまいがちです。どうしても「独占したい」と思ったり、嫉妬したり、葛藤が生まれてしまいそうです。

ミン:友だちも本を読んでくれて、感想として「嫉妬しないこの3人の姿があまり現実的じゃなかった」「何だか人間らしくない」と言われたんです。「嫉妬するのが自然。人間らしい心だ」みたいな。そういう固定観念に皆、捉われているのかなと私は思ったんですね。それはわかるんですけど、私が考えるのは、「実際やってみないとわかんないじゃないか」と。本当に深く誰かとの関係をつくっていく上では、固定観念から想像すること「以上の」感情も生まれるんじゃないかって思います。

――固定観念からは想像できない感情。関係を深く築いていく上で、その当事者間にしか生まれない思いというのはたしかにある気がします。加藤さんは「独占」とか「嫉妬」、それからミンさんの、このような「スパっとした考え方」についてどんな感想を持ちましたか。

加藤:「相手が他の人とも付き合う」っていうと、やっぱり嫌だなって思っちゃうところがあります。でも、たとえば「推し」ってあったりするじゃないですか。(パートナーが)「推し活」をする、そんな幸せそうな姿を見ると、こっちもなんか微笑ましい、みたいな感覚だったら良いのかな、と思います。完全に「自分は自分、相手は相手」って切り離すことができれば。ただ、自分がそこまで割り切れるかといったら、ちょっと難しいかも知れませんが……(笑)。

――ミンさんにはパートナーがいらっしゃいますが、相手から「ORを始めたい」と切り出される未来があるかも知れません。その時、考え方に影響する可能性はありますか。

ミン:付き合って結婚する前、私が「ちょっとそういう関係はどう?」みたいに彼に聞いたことはあるんですけど、彼は「今はしたくない」と言ったので、それからは話していないんです。でも、たまに想像はしてみます。もしそうなったら、何が起こるかわかんないですけど、何が起こっても楽しみたいなっていう感じではあるんですけど。

――独占したり占有したりすることの弊害を、前作でも今作でも繰り返して説いていますし。

ミン:下調べをしていて、フランスのフェミニスト理論家、シモーヌ・ド・ボーヴォワールと、哲学者ジャン=ポール・サルトルの関係について深く知りました。個人の選択を重要視し、結婚も、子どもを持つことも拒否し、お互いの性的自由を認めつつ伴侶として生きました。2人は契約結婚をしていて、お互い愛人をつくったりして、自分たちの経験を手紙で書き綴ったりしているんですけど、絶対に変わらない強い信頼関係を築いていることがわかります。「かっこいいな」と思ったんです。なかなか難しいかも知れないですけどね。

共通の彼氏、さわやかな女性2人

――ところで、物語では「男性1人、女性2人」という関係性になっています。この設定にした理由は。

ミン:今回は女性の心境を描きたいと思っていましたので、女性が主人公であることは最初から決めていました。ORっていう環境を想像した時、一番難しいのが「もう既に関係性を持っている2人の中に入る」っていう立場なんじゃないかと思いました。もしも、女性の主人公が1人いて、彼氏がいて、また他の彼氏と付き合うっていう話になると、「良い点だけ、良いところだけを見せちゃうんじゃないか」っていう。ですから一番、ジレンマっていいますか、そういうのを持って体験してみる感じの話になったら良いなというのがあったんです。実は最初、主人公のミレをバイセクシャルとかレズビアンにしてみようかとも考えてみたんです。でもやはり、異性愛の難しさの解決策を探索していた過程で発見した概念でもありますので、残念ながらその道は諦めました。

――主人公・ミレと、(彼氏・シウォンの)彼女・ソリの、2人の女性の関係は、ドロドロとはせずあくまでさわやかに描かれます。でも、バッチバチになった可能性だってあるはず。そのあたり、どう工夫して現実味を持たせていったのでしょうか。

ミン:その部分が一番、「なんか人間らしくない」みたいに友だちから言われた部分だと思うんですけど、でもそれが、またなんか「女の敵は女」みたいな、偏見といいますかね。そういうふうには見られたくないので、理想的かも知れないけれど、このくらい大人な 女性ソリと、自分の感情にいつも素直でいたいミレというキャラクターで、「こういう関係性もアリでは?」っていう、私の想像だったんですね。

――ミレの元彼が、本当にありふれた旧態依然の考え方をこじらせ、思わぬ展開に。この元彼に込めた思いは。私は韓国や日本の問題点を浮き彫りにしているように読みました。「男性らしさ」を背負わされ過ぎている感じもします。

ミン:おっしゃる通り、「普通の」男性ですし、そういう男と付き合うことで疲れていたミレが、他の関係性、他の男性とのチャレンジに行くわけですから、やっぱり必要なキャラクターですね。ミレ、シウォン、ソリの3人はORをよく理解し、オープンマインドでいろいろ工夫しているんですけど、ミレの友達2人や元彼とか、そういうキャラクターは今の韓国社会の一般意見。普通の考え方を代弁しています。そういう見方も必要だと思い書きました。

家族・養育の形も多様化していく

――とても非科学的なことを聞いてしまうかも知れませんが、「子どもが欲しいな」と、「本能で」思う瞬間が出てくるはずだと思う読者もいると思います。「子どもが欲しい」と思った時、この関係性ってどうなっていくのでしょうか。

ミン:今、アメリカでは、ポリアモリーの関係を結ぶ家族もどんどん多くなっています。1980年代には既に、ポリアモリーの団体が作られているほど、成熟しています。実際に暮らしている方々の話について読んでみると、それぞれ、自分たちに合う仕方でやっているらしくて、子どもにも理解させているようです。パパ、もしくはママは、この人とも家族で、この人とも家族だよ、みたいな。

――それこそ同性愛カップルの間に子どもがいるケースもあるし、家庭の形は今後、さらに多種多様に生まれていく。

ミン:シングルマザーやシングルファザーも多いですし、もともと夫を求めず、精子バンクで1人でお母さんになろうと思う人もいます。子どもがいて必ず親2人がいなければいけない必要って、どんどんなくなると思う。本当にいろんな家族の形があるので。でも、たしかにより重くなりますね、 子どものことまで考えると。この物語は、恋愛の話ですが、もし結婚した関係だったら……。

加藤:結婚の時点でちょっと変わりますよね。

ミン:難しくなる。もちろん「オープン・マリッジ」(夫婦間以外の性的な関係に対し、相互の合意の下に開かれている結婚の形)もあるけれど、また違う感じになっちゃうんじゃないですかね。やはり家族の概念が既に変わっているなか、養育の仕方もより多様化しなければならず、多様化するでしょう。そうなるなら、ポリアモリーやORという新しい形の関係を持っている人たちも、その関係に相応しい形を探しながら子どもを持ち、子育てをするのも可能だと思います。

――関係性の選択肢が増えれば、そのぶん家族の在り方も変わってきますよね。「血のつながり」という概念さえも。

ミン:それがあまり問題にならないかも知りません。今も、養子や再婚のケースで血がつながっていない子どもを育てている人はいくらでもいます。おそらく、ポリアモリーの育児で多くの人が懸念していることの一つは、子育て担当者が複数いることで子どもが混乱するのではないか、だと思います。しかし実は「共同育児」は韓国をはじめアジアではありふれた方式でした。祖父母を含めた大家族や、村の人たちが皆で一緒に子どもを育てたりしました。今のように、夫婦2人だけの核家族の形で育児をするのがむしろ最近の現象かも知れません。

――この本は、ORやポリアモリーに拒否反応を抱く人がいたとしても、少なくとも恋愛や、交際の在り方について考えるきっかけが提示されています。日本の読者の方々に伝えたいことは。

ミン:これを読んで皆がポリアモリーになったりはしないと思うんですけど、でも、自分の関係でちょっと見習うところとか、ヒントになるところはあると思うので、そういうふうに受け取ってくださったら良いと思います。今作の3人は、すぐケンカしそうな三角関係に見えても、そうではない。そういう、元の固定観念とは違う関係性っていうのは絶対あるし、自分が今までの恋愛で違和感があったなという方に、読んでいただけたらいいなと思います。