飛鳥時代の天智天皇を皮切りに、歌人100人の和歌を1首ずつ収めた『百人一首』。鎌倉初期を代表する歌人・藤原定家が編んだとされるが、研究者の間で議論が重ねられてきた。成立の過程を解きほぐし、読み継がれてきた理由を探る一冊だ。
1951年に写本が見つかった『百人秀歌』は、101首のうち97首が『百人一首』と一致する一方、流刑の身だった後鳥羽院、順徳院の父子による末尾の2首は含まず、配列も異なる。定家の日記『明月記』の記述などから、『百人秀歌』は定家が息子の舅(しゅうと)・蓮生に贈ったアンソロジーで、定家没後に改編を経て生まれたのが『百人一首』だと説く。
「とはいえ定家が骨格を作ったことに変わりはない。1首ずつに分解しやすい形のおかげで、かるたとしても流行した。最も卓抜な点は小さな器に約600年分の古典和歌を凝縮したこと。希代のアンソロジストによる編纂(へんさん)の妙を味わってほしい」
たとえば和泉式部や紫式部、赤染衛門、清少納言ら宮廷女房のスターの作品を7首連続で集めた歌群は「いわば定家が王朝女房文学に贈った賛辞」。一方でマイナーな歌人の歌も選び、和歌世界の多様性を示す。枕詞(まくらことば)や掛詞(かけことば)など様々な修辞を含む歌を収め、初学者のテキストとして有用な点も魅力という。
専門は日本中世文学で、『女房文学史論』で角川源義賞を受賞した。一昨年の共編著『百人一首の現在』の論考に加え、歴史学者らとの研究会で『明月記』を約25年間読み続けてきたことが執筆の力になった。
文献から確実な証拠を見極め、矛盾がないか検証し、核心に迫る。古典文学の研究の過程は、愛読する海外ミステリーの謎解きに似ている。「なじみ深い百人一首にも、わかっていないことがたくさんある。そうした謎に迫るのは知的な冒険そのものです」(文・佐々波幸子 写真・横関一浩)=朝日新聞2024年2月17日掲載