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「Fear, and Loathing in Las Vegas」の音楽が夏原エヰジさんに与えたインスピレーション

©GettyImages

 「作家って、どういう時に小説のアイデアが思い浮かぶの?」とよく聞かれる。
 そのたび答えに困ってしまう。私の場合は新聞を読んでいる時、トイレにいる時、布団の中でうとうとしている時、などまちまちだからだ。
 が、「どういう時に物語の〝シーン〟が思い浮かぶか」と問われれば、即答できる。
 音楽を聴いている時、だ。
 その最たる例がFear, and Loathing in Las Vegas(フィアー・アンド・ロージング・イン・ラスベガス)。これを言うと「は? ふぃあ、なんて?」と聞き返されるのがお決まりの5人組邦バンドである。以下、長すぎるので略してラスベガスと呼ばせてもらう。

 彼らの素晴らしさを語る際、欠かせないのが「唯一無二」というワードだ。まず、ジャンル分けしようとしても一つのジャンルに当てはめることができない。
 公式でさえ、
「エモ、スクリーモ、メタル、EDM、Hip Hopからアニソンまで様々なジャンルを容赦なく詰め込んだ予測不能かつドラマティックな唯一無二の音楽性」
 と、単語を並べ立てて煙に巻いている感がある(一応言っとくがディスってはいない)。そのため、音楽ライターでもない私が知った風にうんちくを述べるのは野暮というものだろう。ラスベガスはラスベガス。知らない人はとにかく聴いてみてほしい。聴きゃわかるから。
 そんなことより語りたいのは、彼らがいかに私の創作に恩恵を与えてくれているか、という点である。

 初めて彼らの音楽に触れたのは、某都市伝説番組だった。当時ニートだった私は小説の新人賞に応募するべく執筆活動に勤しんでいた。書いていたのは後にデビュー作となる『Cocoon 修羅の目覚め』である。しかしどことなく物語に説得力が欠けているような、自分の中で腑に落ちない何かがあるような気がしていた。
 そんな折、番組のオープニングで流れた曲に、ビビッときた。これだと直感して、すぐさま調べた。
 曲名は『Let Me Hear』。
 YouTubeで改めてその曲を聞いた途端、驚いたことに――自分でもどういう理屈かさっぱりなのだが――頭の中に、シーンが流れてきたのだ。
 判りにくいとは思うが順を追って説明してみる。「Cocoon」シリーズを読んだという奇特な方がいれば、ぜひ曲を聴きながらどうぞ。

 ①クリーンボーカルが印象的な始まり→舞台となる江戸・吉原の俯瞰
 ②タムドラムが入る→主人公・瑠璃が花魁道中をする足さばきのアップ
 ③キーボードとシャウトが入る→「Cocoon」のタイトルと蝶の群れがばーん!
 その後は主要キャラたちが登場し、サビで鬼とのバトル、転調したところで悪役が登場、といった具合である。こうやって書いてみるとアニメのオープニングみたいだ。

 これらのシーンが次々に流れてきた時、恥ずかしながら私は泣いてしまった。あの頃、足りないと思っていたもの。物語やキャラクターたちが、「リアリティ」を持って動いた瞬間だった。実を言うと『Let Me Hear』は某アニメのオープニングに起用されていたらしいが、そんなことは知らん。この曲は「Cocoon」のテーマソングなんだと主張することにした。
 しかもこの曲、シーンを想像させるだけでなく何と新しいキャラクターまで生み出してしまった。それが第1部における最大の敵・惣之丞。シリーズになくてはならない超重要キャラであり、私が主人公の瑠璃と同等、あるいはそれ以上に愛したキャラでもある。
 ちなみに『Let Me Hear』が第1部のテーマソングだとすると、第2部のテーマソングは『Massive Core』と『Interlude Ⅰ(アルバム「All That We Have Now」収録)』。神曲なのでこちらもぜひ聴いていただきたい。

 こうして運命的なインスピレーションを受けて以来、見事にドハマリして日ごと飽きもせず聴いているのだが、実のところラスベガスを推す理由は、何も楽曲だけではない。

 彼らの人間性である。

 これはインタビュー記事でも書かれていることなのだが、ラスベガスの音楽に対するスタンスは、「バンドマンってこんな感じなの……?」と思うくらいに真面目。クソがつくほど真面目である。
 音楽で食っていくとはどういうことか? 本当にメンバー全員がその覚悟を持っているのか? そもそもバンドとは何か、人間とは何か、信頼とは何か……という内容を禅問答よろしく毎日毎日、野郎ばかりが膝をつきあわせて何時間もミーティングしていたというのだからもう仰天するしかない。修行僧か(ここで今一度言うが、ディスってはいない)。

 真正面から音楽と対峙し、音楽の可能性を追求し、挑戦することを恐れない。愚直なまでにまっすぐな姿勢でいるからこそ、彼らのラウドな音は心の琴線に触れてくる。世界で売れているにもかかわらず、ファンの大切さを理解している彼らは決して天狗になることなく、常にファンと同じ目線に立っている。はー。好き。いつか自分の小説に曲をつけてもらえたら……それが目下の夢だと言ったら、おこがましいだろうか。
 好きすぎて出版社の担当さんたちと会うたびラスベガスの話をまくし立ててしまうのだが、しかし、最近ちょっと引かれ始めている節がある。このエッセー連載の依頼が来た際、とある担当氏にテーマの相談をしていたら、「音楽の回はラスベガスで決まりでしょうけど他は迷いますよねー」と当然のように言われた。
 え、決まってるんです? とは聞けなかった。「決まりでしょうけど」の前に「どうせ」というニュアンスを感じたからだ。そりゃあ、ここまで好きなのは彼らだけだから、決まりっちゃあ決まりなんだけども……。おそらく散々ラスベガスの話を聞かされて「夏原=ラスベガス」という図式ができあがってしまっているのだろう。
 本格的にウザがられる前に語りはそろそろ自重した方がいいかもしれない。そう思ってもやめられぬ。それくらい尊敬、そして敬愛している。

 最後に。
 それほど大好きなバンドではあるが、実は悩みもある。歌詞を覚えられない、ということだ。これは私の記憶力の問題とかではなく、あえて覚えないように己を戒めている。というのも、歌詞を覚えてしまうと仕事中に聴く際、頭の中で歌ってしまい集中できなくなるから。それゆえライヴで「Sing it!」と煽られても歌詞が判らないので「ふははーん!」と雰囲気でしか歌えない。これは相当にハズい。第一、ファンとしてあるまじきことなのでは? でも覚えてしまったら仕事が……愛ゆえに、ジレンマは尽きないのだった。