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石拾いとYちゃんのこと 夏原エヰジのお気に入りの記憶

©GettyImages

 ショッキングな出来事があった。

 1月某日、友人のYちゃんとともに神戸市は塩屋駅でカフェや雑貨屋巡りをした時のことである。夕方になって漁港へ行ってみようということになり、ほぼ誰もいない突堤付近に辿り着くと、Yちゃんが声を弾ませた。
「エヰジさん、あの! 石、拾ってもいいですか?」
 私もテンションが上がって言った。
「わあホンマや、ここ石いっぱいあるやん! 拾おう拾おう」
 そうして私たちは海岸にしゃがみ込み、めぼしい石を拾い始めた。
「見て! ねえYちゃん、霜降り牛みたいな石だよ! こっちはチョコボールで、こっちは干し芋で」
「エヰジさんは食べ物系の石が好きなんですねぇ~」
 そう優しい目をして返してくれたYちゃんだが、次の瞬間、衝撃の言葉を放った。
「……正直びっくりしちゃいました。石拾いなんて一緒にしてくれるの、エヰジさんくらいですよ」
「えっ?!」
 世の流行に乗りたくない天邪鬼な私だが、これは断じて「変わってる自分」を演出していたわけではなかった。
 Yちゃんいわく、普通の大人は海辺で石拾いをしないという。そんなバカな。じゃあその人たちは何しに海に来るんだと面食らう私に彼女は、
「海を見るんですよ、たぶん」
 と、ド正論を言った。
 では、海辺にいるのに海には一瞥もくれず下へと目を凝らす我々は、異端なのか?
 心外だ。が、言われてみればさっきそこでタバコをふかしていたおじさんが、私たち二人を「すごい目」で見ていた。すわ変質者かと思ってなるべく目を合わせないようにしていたのだが、やべー奴だと思われていたのはどうやらこちら側だったらしい。大人の女が二人して黙々と石を拾う様は、なるほど少し怖いかもしれない。でも、そんなに変な目で見られることでもないような……。
 腑に落ちないまま私は再び石を拾い始めた。シーグラスを見たことがないと言うと、Yちゃんは「よく探せばたくさんありますよ! ほら」と笑って、自分が見つけたシーグラスを私の手に置いてくれた。いい子である。もしYちゃんが今まで誰にも石拾いの誘いを受けてもらえず、ひとりぽつんと海辺にしゃがみ込んでいたとしたら。そう思うと胸がキュッとなった。

 その後、三宮にある行きつけのバーへと場所を移した我々は、塩屋で遊んできたことをマスターや他の常連さんたちに報告した。その中で漁港に行ったことを思い出し、
「そうや見て! 海辺で石拾ってきてん、いいっしょ?」
 と、上着のポケットに入れてあった宝物たちを両手に載せて披露した。
 その瞬間、爆笑が起こった。
 何とYちゃんの彼氏までもが笑いをかみ殺すように下を向いている。当のYちゃんはというと「ほらね」といった顔で首を振っていた。やっぱり私たちの方が少数派、ということか。なぜだ。解せぬ。
「海辺で石拾いてw いくつなん?ww」
「そんなん小学校低学年でやめることやろ~」
 やかましい! 童心を失った大人どもめ。私なんかなあ、30代になっても親と行った海で石とか貝殻とか拾ってたんやぞ! 地元・北陸の海にはきれいな色の石とか面白い形の石がたくさんあって、それはもうめちゃくちゃ楽しかったんやからな!! わかるかこの良さが!? ――とは、言わないでおいた。なぜなら嬉々として石拾いをする娘(30オーバー)を両親がどんな思いで見ていたか、改めて考えてしまったからである。
 でも、でも……楽しいんやもん。きれいなんやもん。何が悪い。
 もっとも、私以上の猛者はいた。
「その石ころ、持って帰ってどうするん?」
 そう尋ねられたYちゃんは、にっこり笑って、
「石ボックスに入れます」
 と答えた。何でも石専用の大きな箱があって、そこに今までの戦利品をコレクションしているのだとか。石ボックス。同志だけどちょっと引いた。が、
「引っ越しの時なんかすっごい重くて大変でしたよ~。でも、大事なものですからね。それぞれの石をいつどこで拾ったかも全部覚えてますし」
 それを聞いた途端、はっとした。

 昨年、実家のある金沢から神戸へと越してくる際、私はそれまでの石コレクションをすべて処分してしまっていた。引っ越しのために断捨離しなくちゃ、役に立たないものは捨てなくちゃと、躍起になって。
 全部、大事にしていたのに。
 私もいつどこで石を拾ったのか、一つひとつ、ちゃんと覚えていたのに。
 それに比べてYちゃんは、おそらく私よりも膨大であったろう石コレクションを一つも減らすことなく、丁重に新居へと持っていったのである(まあ運んだのは引っ越し業者さんだろうけれども)。
 そうして時おり石ボックスを取り出しては、一つずつ眺めて、拾った海の景色や風や、潮の香りなんかを思い出しているのだろう。

 石拾いの魅力は二つある。
 一つは、純粋に楽しいこと。海岸は私にとって宝の山だ。数え切れない石の中からお気に入りの一品を探し当てた時の喜びは、まさに宝石を見つけた時のそれと言える。じりじりと場所を変えながら、これもいい、あれもいい、と石を探す。どれだけ時間をかけようとも、ふと顔を上げれば、海岸はまだまだ果てしなく向こうへと伸びている。お宝が尽きることはない。これほど邪心を捨てて没頭できるひとときは、現代の世において貴重なのではなかろうか。
 そしてもう一つの魅力は――これこそが重要だ――そう、「思い出」である。
 石拾いをした日のことは、その石を見れば不思議と思い出せる。その海岸に行くまでに何をしたか。旅先であれば、どんな観光地に行ってどんな名物を食べたか、同行者とどんな話で笑いあったか、鮮明に思い出すことができるのだ。
 もちろんお金を出して買った土産品にも思い出はインプットされているのだが、なぜか石とは思い出の彩度が違う。それはタダでいいものを拾ったというお得感がなせる業かもしれないし、紛れもなく世界でたった一つの宝物を見つけたんだという幸福感によるものかもしれない。……そんな大切な思い出たちを、私は、「使えない」というだけで丸ごと処分してしまった。反省だ。

 時を少しだけ巻き戻す。
 塩屋の漁港にて30分ほどかけ石を拾った私とYちゃんは、突堤に腰掛け、道中買ってあったスコーンを一緒に食べていた。
 1月の漁港はクソ寒かった。横に立つ釣り人が、女二人で急にスコーンを食べ始めた私たちを見てぎょっとした顔をしていた。
 半分こしたクロテッドクリームをすくいながら、Yちゃんは言った。
「石拾いしたの、すっごい久しぶりで! 楽しかったです」
 陽が落ちた海の向こう側には、淡路サービスエリアの観覧車が緑色に輝いていた。早々にスコーンを食べ終えたYちゃんは、余ったクロテッドクリームを私にくれた。いい子である。
「あのさ、Yちゃん。また石拾い、一緒にしようね」
「え、いいんですか! しましょしましょ~! じゃあ次は明石に行ってみましょうか」
「いいね。明石焼きもいっぱい食べようや」
 この日の思い出も、きっと石たちが覚えていてくれる。帰ったらきれいなガラス瓶にこの宝物たちを入れよう。そう考えながら、私は残りのスコーンを口に放り込んだ。