小さいときからの憧れだった絵本の仕事
――世界41カ国でベストセラーになった絵本『ライオンのこころ』(トゥーヴァージンズ)は、小さなネズミが主人公。小さすぎて気づいてもらえず、つぶされたり、踏まれたりの毎日を送っているネズミが、身体も声も大きいライオンに憧れて会いに行く物語だ。日本語版を訳したのは、女優として活躍している安藤サクラさん。編集者の荒木重光さんから翻訳を依頼されたとき、即決で引き受けたという。
もの心つく頃から、私は女優になるんだと決めてはいました。でも「何になりたいの?」と聞かれたときに、子どもながらに「女優になる」とは言いたくなかったんです。だから他に興味のあることを思い浮かべて話していました。それが、料理を作る人や絵本を作る人でした。両親(俳優・映画監督の奥田瑛二さんとエッセイストの安藤和津さん)が一緒に絵本を作る仕事をしていたときは、当時子どもの私も「ちょっと読んでみて」と言われることもあり、ほかの仕事よりも近くにある感覚がありました。それもあって、本に関わる仕事は、小さいときから憧れがあったんです。
娘がいたことも、この仕事を引き受けたい気持ちを大きくさせたと思います。出産をしてからは、子どもとともに物語の世界にただよう時間というのが日常的にあったので、絵本の翻訳はそこから遠い作業ではありませんでした。自分が過ごしていく時間の中で、新しい表現や、新しい自分に出会えるのではないかという好奇心も大きかったと思います。
絵本の翻訳は『ライオンのこころ』がはじめての仕事でした。小さいけれど前向きなネズミと大きいのに怖がりなライオン、それぞれのキャラクターが、社会の中で過ごす私たちのパーソナリティに寄り添うように描かれていて、年齢問わず、大人の方でも刺さる絵本だと思います。
いつも読み聞かせをすると「だけどいくよ。ぼくが変わらなければ、なんにも変わりはしないでしょ」という部分で、なんか泣きそうになっちゃうんです。当時自分の身近にいた人が、精神的に弱ってしまって働けなくなってしまったことがあって、そういう周りの人に対して思いを馳せながらも訳していましたね。
人に伝えることを意識して言葉を探した
――ネズミはある夜、自分が立派に吠えられたら毎日が変わるのではないかと思いつく。「もうちょびっと勇気を出して、ガルルルルルルルルっとほえてみたいんだ!」。物語の中で吠える言葉はたくさん出てくるが、少しずつニュアンスを変えて描かれている。場面や気持ちによって、色や書体、大きさや語尾の文字数まで、ページをデザインするように工夫して訳した。
特に、リズムと耳の聞き心地は、一番気にして作り込みました。娘にも翻訳の途中で読み聞かせをしていて、お布団に入った暗い中で、娘に伝えたい気持ちを優先して話していくと、あ、そうか、こういうふうにすると伝えやすいのかと発見することもありました。ネズミがおしりにつぶされたときの「おっほ!」という叫び声も、意味はよくわからないけれど、最終的にそういう言葉がしっくりきたんです。机に向かって文字を書いて考えるよりも、人に伝えることを優先して言葉を探しましたね。
ライオンの鳴き声は「ガオー」でなく「ガァァオオオ-ウゥ!!!」、それを段落のどこに置くのか、どのぐらいのサイズにするかで伝わり方が全然変わると思ったので、デザイナーの佐藤亜沙美さんと荒木さんとで、みんなで試行錯誤して作り上げました。「!!!」の位置は視覚的にも楽しめるように、ちょっとはみ出させたんです。映画の仕事みたいに、チームワークでいいものを作ろうという気持ちが、新しい表現を生み出していった気がします。
――ネズミはライオンに吠え方を教えてもらおうと、岩の上にいるライオンに会いに行く。そのときのドキドキ感、のぼりきったときのライオンの圧迫感、生き物の息が吹きかかる感じまでが伝わるように、試行錯誤して言葉を選んだ。
どういうふうにしたら、読む人に寄り添えるものになるか、いろんな形でチャレンジしていきました。翻訳は、役者として映画に関わっていくときと、すごくアプローチが似ているんです。
脚本があって、監督やカメラマンがカット割りをし、立ち位置も全てが決まったその四角いフレームの中でどう表現し演じていくかという、最後の最後の作業が役者の仕事です。私は、監督や脚本家のようなゼロから作り出す仕事はできないですし、それよりも決められた中でどう表現していくかを考えるのが好きなんですよ。絵本の翻訳も、1ページ1ページ、言葉も絵も全て決まっていて、最後に、その世界をどう訳し人に伝えていくかを考える作業だと思うので、その表現したい感覚が自分の中でヒットしたのが、とても楽しかったですね。
訳してみてざわつきを感じてしまう部分は、どうやったら飲み込みやすいのかなと考えて、一回全部の語尾を「ギャル語」で訳してみたこともあるんですよ。「マジで〇〇だから」とか「っていうか、〇〇じゃね?」とか(笑)。フランクな言葉にいったん訳して、そこから、少しずつ言葉を馴染ませていくような作業をしました。役を演じるときも、すぐに受け入れられない言葉が出てくるときがあります。でも、キャラクターの中で咀嚼してから出すと、嫌だなっていうざわつきがなくなるんです。その人やその場所で生まれる自然な呼吸とかしぐさを馴染ませる感じです。そういう演じるときの感覚と、翻訳はすごく似ていますね。
心に住みついて寄り添ってくれるキャラクターたち
――作者のレイチェル・ブライトさんは、いろいろな国で翻訳本を出版するときは、訳者のアーテイストや作家を信頼して任せているという。中でも、安藤さんの日本語訳を見たときは絶賛していて、編集の荒木さんに「英語で伝えたかった温度感やリズムを、日本語でうまく訳してくれて感動した」と伝えている。
海外では当たり前の主張だったりする言葉が、日本人にとってはきつすぎる言葉になってしまうこともあります。たとえばライオンが強さを見せびらかすだけだと、周りの人たちにとって嫌な感じに見えちゃう。そうすると、読んでいく印象が変わっちゃうんです。馴染まないところを日本人の感覚に寄り添えるように、時間をかけて訳しました。他の仕事もしながら、1年ぐらいかかりましたね。
このシリーズは、必ず冒頭にプロローグとしてキャラクターたちが暮らす場所の情景が描かれているんですが、絵を担当しているジム・フィールドさんが描くこの景色が素晴らしくて、いつも惹き込まれました。ここから絵本の世界観が始まるんです。これがあってのこの絵本だなと感じるからこそ難しくて、ここはいつも一番最後に訳していました。
――『ライオンのこころ』だけでなく、『のんびりやのコアラ』『おかえり、オオカミ』と続くシリーズの翻訳も、安藤さんが担当した。どのお話も、個性の強い動物たちが困難を乗り越えて成長していく物語で、読む人に寄り添った内容となっている。
シリーズの中では、私は『のんびりやのコアラ』に一番共感しています。外はおっかないし、私ここで何もしないからほっといて、というコアラの気持ち、すごく共感しながら訳していました。おびえて無理って言ってるんじゃなくて、キョトンとした顔で「あ、ホント私、無理なんで大丈夫です」という感じが好きですね。
映画を見た後って、あるキャラクターがひっかかって、自分の人生に残っているのを感じることがあると思うんです。この絵本の登場人物もそういう子たちだと思うんですよ。すごい厳しい人が近くにいたとき、きっとあの人も普段は「ガオォ」って吠えているけど、この絵本のライオンみたいな気持ちなんだ! と思ったら頑張れる気がします。ライオンもネズミも、コアラもオオカミも、心のどこかに住みついて、何かあったときに言葉をかけてくれる存在になるような子たちです。シリーズを通して、読んだ人の中にそうやって寄り添ってくれる味方が増えたらいいなって思っています。