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「仕事と人間」(上・下) 現代の価値観を揺さぶる人類史 朝日新聞書評から

評者: 酒井正 / 朝⽇新聞掲載:2024年05月11日
仕事と人間(上): 70万年のグローバル労働史 (1) 著者:ヤン・ルカセン 出版社:NHK出版 ジャンル:ジャンル別

ISBN: 9784140819593
発売⽇: 2024/03/26
サイズ: 14×19.5cm/464p

仕事と人間(下): 70万年のグローバル労働史 (2) 著者:ヤン・ルカセン 出版社:NHK出版 ジャンル:ジャンル別

ISBN: 9784140819609
発売⽇: 2024/03/26
サイズ: 14×19.5cm/448p

「仕事と人間」(上・下) [著]ヤン・ルカセン

 現代の様々な労働問題は、賃金労働を前提とした話であることが多い。しかし、労働という切り口からの人類史である本書が俯瞰(ふかん)する70万年という時間において、賃金労働が標準になったのはつい最近のことにすぎない。人類は、協力して狩猟採集の成果を分け合う互酬的労働関係の時代から、「新石器革命」以降の、神殿を中心とした貢納―再分配型の労働関係や自営労働、奴隷労働といった形態の誕生と衰退を経験し、現在に至ったのである。
 だが、その道のりは決して一直線に収斂(しゅうれん)してゆくようなものではなかった。むしろ、行きつ戻りつして、それらの労働関係は長らく併存することになる。地域による差異も大きかった。例えば、ユーラシア大陸では、通貨、とりわけ小額貨幣の普及とともに労働市場がいったんは成熟したが、ローマ帝国が滅亡し、信頼できる硬貨が十分に鋳造されなくなると、賃金労働も縮小したという。
 それでも、産業革命によって、人びとの労働の主戦場が、仕事と生活が一体だった家内工業から工場労働へと変わってゆけば、現代に見られる労働問題が現出する下地が作られることになる。雇用主の下で1カ所に集まって働くようになると、労働者は裁量を失うことになる一方で、雇用主に対する集団行動が取りやすくなる。このことは、雇用主の立場からすれば、「労働者の管理」という新たな課題が突き付けられたことを意味する。出来高払いによる請負制度は、次第に直接雇用による時間給に取って代わられた。また、雇用されて働くことが基本になったことで、失業の問題も可視化されるようになった。
 振り子が揺れるように労働関係が変化を遂げてきた歴史は、「雇用の流動化が今後ますます進む」といったように、雇用の未来についてともすれば短絡的に見通されがちな昨今の傾向に極めて示唆的ではないか。
 人類は、生産性の向上によって手にした仕事以外の時間の多くを、社交や社会的義務といった労働時間と自由時間の中間的な活動に割いてきたという。人間関係を円滑にして、社会的ネットワークを維持することが、生存にとって重要だったからだ。仕事か余暇かという二分法的な現代の労働観もいささか浅薄に思えてしまう。
 上下巻あわせて900ページに及ぶ大著だが、訳文の平易さもあり、大局的な物語として読ませてくれる。とはいえ、それを単純な「不可逆な流れ」のみに還元してしまわないところにこそ、本書の醍醐(だいご)味があると言えよう。
    ◇
Jan Lucassen 1947年生まれ。労働史を専門とする歴史学者。アムステルダム自由大名誉教授。オランダの国際社会史研究所(IISH)の研究部長を長く務めたのち、現在は同研究所の名誉研究員。