放映中のNHK大河ドラマ「光る君へ」では、主人公のまひろが漢詩文に親しんでいるさまが繰り返し描かれる。向学心と聡明(そうめい)さを示す小道具としてよりも、自らの生き方と広い世界を考える手だてとして、漢詩文はドラマの一つの軸になっているように見える。
一方で、若い貴族たちが漢詩文に苦労する姿も印象に残る。現代における漢詩文がもっぱら古典として読まれるのとは異なり、当時は書く力も求められた。しかし漢文は外国語、漢詩はその上に音韻の知識まで必要となると、簡単には上達しない。そんなかれらの(そしてわたしたちの)座右の「つんどく」に供したいのが、興膳(こうぜん)宏『古代漢詩選』(研文出版・3630円)である。
この本は、いわば日本の漢詩事始(ことはじめ)として、七世紀の万葉歌人の漢詩から、八世紀に新羅(しらぎ)の使節を迎えて長屋王(ながやのおおきみ)邸で開かれた宴の詩、平安朝の嵯峨天皇、空海など、そして十世紀初めに太宰府で没した菅原道真の作まで七十五首を選び、「百年の試行錯誤」によって「優れた独自の世界」がいかに切り開かれたかを説き明かす。貴族たちが苦労した韻律についても、中国詩文の美学に通じた著者ならではの解説があり、漢詩の奥の深さを味わいながら学ぶことができる。
試行錯誤から千年、江戸後期になると、漢詩の制作も享受もそれまでにない広がりを見せ、各地で詩作の花が咲き、書や画とともに親しまれた。いつしか世は移り、高度経済成長下で忘れられていた過去の豊かさに人々の注意を促したのは、富士川英郎(ひでお)である。
森鷗外の友人でもあった医学史家富士川游(ゆう)の子の英郎は、リルケを専門とするドイツ文学者として知られていたが、一九六六年に『江戸後期の詩人たち』を上梓(じょうし)したころから、近世漢詩文の世界を語るようになる。ことに菅茶山(かんちゃざん)を好んで詳細な評伝を完成させ、また、この時代に息づいたさまざまな詩人や書物について随筆を次々と書いた。その著書を「つんどく」本の箱に入れて、時に拾い読みするのはもちろん楽しいのだけれども、それに加えて富士川義之『ある文人学者の肖像 評伝・富士川英郎』(新書館・3960円)が机上にある得難さは、何と表現すればよいだろう。
父である英郎の人生と学問、そして文学をめぐる読書と執筆が織りなすさまを、子としての記憶を反芻(はんすう)しながら敬愛をともなった距離を保って描くこのすぐれた評伝は、英文学者である著者自身の姿も映し出す。著者は、漢文の核には「反復伝承」があり、江戸の儒者の随筆も、英郎の著述もそうだと言う。それはまた、義之による父の評伝についても言えることだ。書き継ぐこと、読み継ぐこと。書名に言う「文人学者」とは、日々倦(う)まずにそれを為(な)しうる者のことか。
近代に入ってからも漢詩は作られた。中でも夏目漱石の詩は、晩年に至るほどに独自の境域を拓(ひら)き、いまなお人を引きつける。吉川幸次郎『漱石詩注』(岩波文庫・品切れ、電子書籍あり)は、その魅力を語る点において画期的であった。考証や語釈については最新の研究成果によって補うところはあるにしても、漱石に私淑して「先生」と呼ぶ著者の注釈は、漱石との対話のうちに編み上げたかのようで、小説や評論を含めた文学全体の中で詩をとらえようとする態度とともに、詩のこころざすところを生き生きと描き出して比類がない。初版からすでに六十年近く、いまは古書か電子書籍で読むことになるが、デジタルでもことばが画面から飛び出してくるような力を感じるのは面白い。
面白いと言えば、『漱石詩注』の「序」で吉川は、日本の漢詩は総じて「面白くない」と批判する。興膳『古代漢詩選』は、それへの回答かもしれず、富士川英郎の文章は、そうした断案に応じないことを一つの態度とするかのようだ。泉下の三人が顔を合わせ、詩を囲んで思い思いに語る様子を、ふと、心に描きたくなる。=朝日新聞2024年5月25日掲載