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「フェミニスト、ゲームやってる」近藤銀河さんインタビュー 安全に失敗できるから「可能性」がある

近藤銀河さん=篠田英美撮影

フェミニズム×ゲームは意外?

——フェミニズムとゲームという組み合わせは意外に感じました。実際、「フェミニストとゲームって相性が悪そう」と言われることもあるそうですね。

 そうですね。たしかに昔からゲームには「男の子のもの」というイメージがあり、日本でも世界でも、ゲームコミュニティーはボーイズクラブ的なところがあります。ただ、現在制作されているゲームは必ずしもそうではありません。プレイヤーにも制作陣にも多様なジェンダー、セクシュアリティーの人が増えていますし、マイノリティーとゲームに関する記事を積極的に出しているメディアもあります。

 実際にはフェミニストやクィアのためのゲームコミュニティーもあるけれど、一般的な認識と大きなギャップがあるんですよね。そのギャップを解消できれば、現在のゲームが持っている可能性を伝えたり、新しい流れをつくったりできるんじゃないかなと考えていました。

——近藤さんはいつからゲームに注目していたのでしょうか。

 PSPが発売された2004年ごろ、自分が10代の頃からずっとゲームをしていました。それまで以上に熱心にプレイするようになったのは、インディーゲームが日本で紹介されはじめた2010年代以降です。この頃から、個人が少人数でゲームを作れるようになったことで表現が多様化し、製作者が体験したフェミニズムやクィアな体験、人種差別の体験などを扱ったゲームが増えていきました。

 その動きと連動するように、何百億もの予算をかけた大作ゲームの中でもセクシュアルマイノリティーやフェミニズム、人種差別批判などが語られるようになっていきます。「ラスト・オブ・アス パート2」という大ヒットゲームは、レズビアンが主人公です。

 90年代からゲイのキャラクターが出てくる日本のゲームはありましたが、やはりインディーゲームの普及が大きな流れを作り出したと考えています。

ゲームの面白さは「失敗」にある

——フェミニストとしてゲームをやる重要性として、ジェンダー規範が支配する社会で生きること自体がゲームをプレイする感覚に似ていると書かれていました。

 ジェンダー規範、異性愛規範などが我々の社会にはあり、「ルールに従え」というメッセージがあらゆる場面で発せられています。同時に、そのルールに従って生きている感覚を持たせないようにもされています。「すごく自由だよ」と言いながら「ルールに従え」とも言ってくる、二重構造の中で差別がなされているのが現実です。

 ゲームの場合、ルールがあることが明白なんですよね。だからこの社会で生きている感覚をゲームの中で再現したり演じたりすることには、何か癒されるものがあると感じています。

——ジュディス・バトラーの『ジェンダー・トラブル』やジャック・ハルバースタムの『失敗のクィア・アート』を挙げながら、「ゲームの中で失敗することは、フェミニストとして重要な経験」とも書いていました。

 私はゲームの面白さって、勝利や成功よりもむしろ「失敗」にあると思っています。ゲームの中では安全に失敗できますよね。現実世界で失敗するといろいろ大変ですけど、ゲームなら大したことは起きません。

 失敗はルールが破れる瞬間であり、逆にルールを強く意識する瞬間。それは言い換えると、社会の規範を考えることにもつながります。そこにこそマイノリティーの表現の可能性があります。

——ゲームというと「自由さ」が強調される印象がありますが、失敗することで規範が浮き彫りになるのですね。

 ゲームって「自由」を謳いがちですが、そこにはすごく強烈にシステムがあるわけですよね。システムにのっとった上で、プレイヤーはどんな選択をするか強制されています。いろんなストーリー展開がありますが、失敗する時ってそのストーリーが破綻するんですよね。例えば映画だと、マッチョな主人公ってピンチにはなるけど最後は勝利します。でも、ゲームだと、どんなにマッチョなキャラでも失敗して戦闘に負けると死んでしまいます。その時にある種のマッチョさや能力主義が脱臼するように感じて、すごく楽しいんですよね。

 だから私は難しいゲームが好きなんです。「エルデンリング」という難しいことで有名なゲームがあるのですが、プレイしていると本当に何百回と死ぬんです。それがすごく楽しい。ゲームクリエイターの宮崎英高さんが作る作品はどれも難しいことで知られています。「難しいことと裏腹の達成感がある」みたいに言われるのですが、私は死ぬのを耐えて達成感を得ることではなく、失敗自体が気持ちいいんだと思っています。

 一方で、その失敗が達成感で上書きされてしまうこともあります。それはゲームの難しいところで、もう少し失敗の側面にフォーカスしてプレイできるゲームがあればいいなと思っています。この点でも宮崎英高作品はよくできていて、ラスボスに勝つと次の瞬間で主人公がナメクジになってしまったりするんです。ストーリーのわけわからなさで達成感を裏切るのがすごく好きです。ただ、これもその「わけわからなさ」が陰謀論スレスレの考察を引き寄せていて、危うさを感じることもあるのですが。

クィア表象とゲームのインタラクティブ性

——クィアやフェミニズムの表象が登場するゲームもたくさん紹介されています。日本でも人気のゲーム「スプラトゥーン3」にはプレイヤーが描いた絵やポスターをステージ=街に貼り出す機能があり、アメリカサーバーにはフェミニズム的なポスターがたくさん貼ってあるステージがあるそうですね。

 公式が用意しているのではなく、ユーザーが描いたものが街で表示されるというのが面白いですよね。フェミニストのコミュニティーがゲームの中にちゃんとある証拠だと思います。開発者による発信とプレイヤーによるコミュニティーの形成が一体となって、多くの表現が生まれているのでしょう。

——クィアなキャラクターが主人公のゲームも多く、こんなにたくさんあるのかと驚きました。

 この本で紹介しているゲームのうち9割くらいは、クィアなキャラが出てくるか主人公のゲームだと思います。私自身、自分に近かったり親しみを覚えたりできるクィアキャラクターを使えるのはすごくうれしいです。同時に、クィアでない人がクィアなキャラクターを使って、同化する体験を通して得られるものもあると思います。

——インディーゲームにはクィアの個人的な経験を描いた作品も多いです。「ペイトンの術後訪問記」は、トランスジェンダー男性同士の交流と、胸の性別適合手術後の日常を描いたゲームでした。

 ペイトンとマーカスというキャラクターの交流を描くノベルゲームなのですが、二人はトランスジェンダー男性という共通する属性を持っているけれど、その生の経験は同じところもあれば違うところもある。男性性の幅を広げるような作品でシナリオの完成度が高く、プレイしたあとは一本の映画を見たような感覚にもなりました。

——映画やドラマでも、クィアな表象は少しずつ増えてきていますね。映画やドラマと比べて、ゲームならではのクィアな表象の楽しみ方や描き方はあるのでしょうか?

 まず、ゲームにクィアな表象が多いのはインタラクティブ性と結びついていると思います。大作ゲームでクィアな表象が出てきたのは、選択肢が幅広い作品からでした。選択肢の自由さを目指す一環として、クィアな選択が出てきたんです。それが広まっていく中で、自由度が少ないゲームにもレズビアンの主人公などが登場するようになったという流れです。インタラクティブな性質とクィアな表象の相性が良かったんですね。

 ゲームはある意味その存在になって遊ぶものです。そこで「選択する」ということがすごく重要だと考えています。プレイしていると、「こう言われたらどう反応するか」といったやりとりや、キャラクターのクィアな人生を想像すること、あるいは自分の生きてきたクィアな人生を振り返ることが重なる瞬間があります。それはやっぱり他のメディアにはない、ゲームならではのものだと思います。

クィアな生と、ゲームが持つ「過去の可塑性」

——「レイク」という、中年女性のメレディスが自分の人生を見つめ直すゲームが取り上げられていました。このゲームの舞台は1986年ですが、発売されたのは2021年。近藤さんはこのゲームを今プレイする体験を「クィアな女性のあり得た人生を、過去の中に作り出しながら思い出す、ゲームだから可能な行為」と書いていました。こうした「クィア・過去・ゲーム」の関係について、詳しく教えてください。

 クィアな人にとって「過去」は、直線的で筋が通ったものではありません。クローゼットで(カミングアウトせずに)生活していると、過去を作り話でごまかすしかなかったり、何も言わずにやりすごすしかなかったりする瞬間や、真摯に生きるために過去を書き換えるなどして操作しなくてはならない瞬間があるんですね。そういった過去の創造的な性質と、ゲームの選択肢によって過去が変わっていく感じが結びつくと思いました。

 例えばゲームには回想のパートがあることがありますが、回想なのに選択肢が出てきたりするんですよね。そうすると、操作している瞬間に過去が生まれている。過去の固定性が崩れていくんです。

 こうした過去の可塑性は、ゲームの良さの一つですし、クィアな生き方と結びつくとも思います。フェミニズムの歴史でも、過去に対して想像/創造するしかない瞬間がありますよね。それは歴史修正主義と結びつきかねないものではありますが、その中でもゲームは真面目に過去を考えるための糸口の一つになると思っています。

後編に続く