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古内一絵「東京ハイダウェイ」 現代を生きる人の心情に寄り添い、心の隙間を埋める(第15回)

©GettyImages

自分だけのひそかな隠れ場所に安らぐ

 古内一絵の書く小説は、心に生じた隙間を埋めてくれることがある。
 声高にテーマを叫ぶような小説は、書かない。
 情念の焔に胸を焦がされる小説というのでもない。どちらかといえば穏やかで、油彩の風景画を見ているような感じがある。
 古内一絵の見た世界がそこに切り取られている。構図はもちろん、配色や、どのように絵具を重ねていったのか、というような手つきが気になる作家だ。風景画だが、そこに人物が配されている。その人は今からどこへ行くのだろう。旅に出るのだろうか。それともひさしぶりの我が家へ帰ろうとしているのか。気持ちを直接尋ねたいと思わされる。

『東京ハイダウェイ』は、6篇から成る連作短篇集である。舞台は新型コロナウイルス流行によって生活様式や価値観にも変化が生じた、2020年代の東京だ。ハイダウェイ──hideawayという題名の言葉が示すとおり、各篇の登場人物たちは自分だけのひそかな隠れ場所を持っている。あるいは、見つける。日々の暮らしは心を荒ませる。疲れがどうしようもなくなったとき、彼らはそうした隠れ場所を訪れることで一時の安らぎを得るのだ。誰もが心に持っているささやかな願望、自分にも聖なる避難所があればいいのに、という思いをこの小説は描いている。

生きにくさの根源にあるわだかまり

 第1話「星空のキャッチボール」の主人公・矢作桐人は、20代の会社員である。中堅電子商取引企業パラウェイに新卒入社して5年目になる。20人ほど同期はいた。そのうち桐人ともうひとりだけが物流倉庫に配属されたのである。几帳面な彼には適した職場だった。やがて会社が「パラダイスゲートウェイ」というイーコマースのショッピングモールサイトを設立すると、そのマーケティング部へ異動が決まった。真面目な性格の桐人は、担当することになった店舗の商品を一つひとつ自分で試して、良いところを確認しようとする。そうした誠実だが地味な仕事ぶりに同僚から賞賛の視線を向けられるわけではなく、職場で自分が浮いているように感じている。
 その桐人が、昼休みに訪れるプラネタリウム上映というハイダウェイを発見するのが物語の要になる。自分ひとりで見つけたわけではなく、先に通っていた同僚の神林璃子の後をついていったら、そういうものがあることが判ったのである。本作は連作形式をとっていて、この璃子にまつわるエピソードがサブプロットとして重要な意味を持つ構造になっている。そのため彼女が普段何を考えているのかは最初明かされないのだが、桐人に対してひとつ大事なことを教えてくれる。プラネタリウムで眠ると、会いたい人に会えるんだよ。璃子はそう言ったのである。
 耐えづらさ、生きにくさを感じている人は、心のどこかを塞いでいるわだかまりがあるのかもしれない。6篇は、自分でも気づかないそうしたかたまりを取り除く物語と言うことができるだろう。桐人の場合、ある家族との関係が、自分の思い通りに生きることができないことの遠因になっていた。璃子の言葉からそのことに気づいた桐人の日常は少しずつ動き始める。

ロスジェネ世代を下の世代から見ると

 パラウェイという会社を核にして、各話の登場人物は配置されている。次の「森の箱舟」は、桐人と同じマーケティング部でマネージャーを務める米川恵理子という女性が主人公だ。“役割”に準ずるのがうまい、と自分でも認識している彼女は、職場ではやり手の管理職、家庭では夫と育児を分担する二児の母親として、誰からも感心されるように日々をこなしている、ように見える。だがその心中にも目に見えない歪みが生じていた。ある日それが限界に達し、会社に電話を入れる。
“「今日は、サボります」
 気づいたときには、そう告げていた。
「承知しました。お気をつけて」”
 このとき電話を受けたのが神林璃子であるところが連作の妙である。このサボりの最中に恵理子は自分だけのハイダウェイを発見する。
「森の箱舟」でうまいな、と感じたのは恵理子の入社を1999年にしたことだ。非正規雇用の派遣社員は彼女を“なんでも手に入れられた世代”となじるのだが、それは恵理子よりも10年以上上のバブル世代である。恵理子は景気が下降し、先が見えなくなった時代を生き抜いてきたロストジェネレーション世代の一員なのだ。下の世代から上を見ればみんな恵まれた大人で、自分たちだけが辛い目に遭っていると感じる。世代感覚の皮肉がそうした形で表現されている。

個人の悩みを通し、2020年の日本が浮かぶ

 次の「タイギシン」は都立高校1年生の大森圭太が主人公である。ここで描かれているのはいじめの問題で、圭太はその標的にされてしまっている。新型コロナウイルスの蔓延で自宅学習が求められた日々は、むしろ彼にとっては福音であった。学校に戻ればまた辛い日々が待ち受けているので、できればこのまま家にいたい。そうした気持ちを口にするすべも、16歳の圭太は知らないのである。ここでは追いつめられた少年の痛ましい心情が繊細な筆致で描かれている。いじめを受けたらさっさとそこから逃げればいい、なんていう物言いは逃げることの大変さを知らない大人の物言いだ、と圭太は考える。

 恵理子の学友・植田久乃が語り手を務める「眺めのよい部屋」はアセクシャル、すなわち性的な関係に価値を見出せない人が世間との摩擦に悩まされることを軸とした話である。もっとも彼女を困らせるのは、最大の理解者である母親なのだ。娘の身を心配して結婚を勧める母を、主人公は愛しく思いつつも疎み、避け続ける。「ジェフリーフィッシュは抗わない」は映画会社のプロデューサーを経てパラウェイに入社した50代の男性・瀬名光彦が主人公で、日に日に社会の価値観が更新されていることと、それに追いつけない人のそねみとが描かれる。光彦が喫煙者なのは、彼が古い世代に生きていることの象徴だろう。この作品では、クリエイターによる性加害の問題が扱われる。旧い側の人間である光彦は、果たしてその問題に対してどのような態度を取ることになるのか。
 個々の主人公に対しては、作者は寄り添って心情をそのままの形で素描しようとしている。彼らの背景には現代そのものさまざまな問題があり、個人の立場からはそれがどのように見えるかということが物語の形で描かれる。個と社会という関係性がそれによって成立し、2020年代の日本という全体が浮かび上がるという仕掛けなのだ。気負わず、それを行った古内の手腕に感心させられた。

 最後の「惑いの星」は、ここまで物語の背景に隠れていた神林璃子が主役を務める物語である。これについてはあえて書かない。心の最も柔らかい部分を傷つけずに扱おうとする、古内の手つきは素晴らしいものである。
 今回の本欄は、直木賞候補作発表の直後ということもあって、どの作品を選ぶかおおいに迷った。できればこの作品を選んでもらいたかった、というのが『東京ハイダウェイ』を取り上げた理由である。古内一絵、人の心を優しく描く作家だ。信頼できる書き手である。