ISBN: 9784560092798
発売⽇: 2024/04/01
サイズ: 19.4×2.7cm/280p
『「喜劇」の誕生』 [著]日比野啓
喜劇役者・曾我廼家五郎の評伝という形をとりながら、近代日本の「喜劇」の変遷を辿(たど)る。今や知る人も少ない役者だが、明治、大正、昭和と大衆演劇の中にひとつのジャンルを確立した。著者はその足跡を追い、日本社会を喜劇という視点から分析する。
評伝の書き方としては極めて原則的だ。自伝、他伝を再検証し、五郎や、ともに劇団をつくった曾我廼家十郎らの活動や個人史を確認、整理し、執筆している。五郎の生い立ちや、五郎と十郎の出会いにも、事実誤認があると書く。真偽という点では安心感を与える書である。
五郎らの劇団は、西洋演劇を日本に導入した「新劇」とは異なる歴史をつくる。戦前の新劇人口は約3千人、五郎劇の観客動員は年間約30万人、まさに日本近代演劇の中核を成していた。
1905年以降の五郎・十郎一座の爆発的な人気は、有楽座や帝国劇場など洋風劇場の開場につながり、喜劇団ブームも生む。松竹の大谷竹次郎など興行資本も乗りだしてくる。そのような歴史が具体的に整理されていて、「喜劇王」の背景に広がる近代史が本書の強みである。
軍国主義の時代には、率先して国策に協力し、義理人情や封建道徳に伝統回帰するのだが、当局には冷遇される。あまりにも「浪花節の世界」で、革新官僚の歓迎するところではなかったからだとの指摘は、一考に値する。
第四章「『喜劇』の変質」では、30年代に五郎が2度目の全集(全12巻)を刊行したことにふれている。推薦人には、宗教団体「国柱会」の創設者・田中智学から、警視総監の丸山鶴吉まで26人が名を連ねる。演劇人は少ない。「五郎は演劇人としてではなく、国民作家として自分を売ろうとしていた」と著者は見る。庶民の「喜劇」が変質したのは、五郎の側に責任があると示唆される。歴史上の存在が希薄になったのも頷(うなず)ける。
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ひびの・けい 1967年生まれ。成蹊大教授(演劇史・演劇理論)。著書に『アメリカン・ミュージカルとその時代』など。