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原田ひ香「古本食堂 新装開店」 本を読みたくなる理想的な本(第16回)

©GettyImages

「人生を変える力」を感じられる人気作の続編

 自分の外にあるものによって人生を救われたいと思うことがある。
 自分の外にあるもの。たとえば音楽、本。さまざまな趣味のことども。
 でも外にあるものは自分自身ではないので、それ自体が人生を変える力はない。
 それに触れることで心の中に何かが起きることもある。起きないこともある。そのくらい不確かだというのが本当のところだ。
 何々によって救われた、という小さな奇跡の物語を見るたびに感じる嘘臭さはそれだ。現実をひっくり返すてこの役目をさせるには、虚構はふんわりしすぎているのである。
 それはわかっているけど、でもなあ。でも、人生を救われたいんだよなあ。
 常々そんなことを思っているときに原田ひ香『古本食堂』と出会ったのである。あ、こういうことなのかな、と納得する思いがした。こういう本を待っていたのかもしれない。

 2024年6月新刊の『古本食堂 新装開店』(角川春樹事務所、以下『新装開店』)は、2022年に出て、先日ハルキ文庫に入った『古本食堂』の続篇である。古書店街として知られる東京・神田神保町にある鷹島古書店が物語の主舞台となる。経営者だった鷹島滋郎が亡くなり、その妹の珊瑚が北海道の帯広からやってくる。70年余の人生をほぼ北海道から出ないで暮らしていた珊瑚だが、店の始末をつけなければならなくなったのだ。珊瑚は、将来的にどうするかは未定だが、しばらく兄の跡を継いで古書店を継続するという選択をする。もうひとりの主人公・鷹島美希喜は、都内のO女子大学に在籍する大学院生である。珊瑚は彼女にとって祖父の妹、つまり大叔母にあたる。母に命じられ、古書店主を始めた大叔母の様子を見にやってくるのである。そして、そのまま鷹島古書店のアルバイトとして居つく。
 6篇を収めた『古本食堂』はこの新米ふたりが、慣れない古書店経営を通じてさまざまな人と触れ合っていくという連作だった。ふたりの女性にそれぞれ人生の課題を持たせたのが小説の仕掛けで、珊瑚は帯広にある思いを残してきており、美希喜には自分の進路を決めるべき時期にさしかかっていた。エピソードを通じて70代と20代のふたりはそれぞれのやり方で人生に決まりをつけ、少しだけ成長していく。

「変わらぬもの」から「変わりゆくもの」へ

 続編である『新装開店』では、すでに美希喜は大学院を修了して鷹島古書店で働くことが人生の中心になっている。第1話では棚の一部を片付けて、カフェスペースを作ろう、と提案するのである。兄・滋郎の思いが詰まった店をそのまま続けていくことが自分の使命だと考えていた珊瑚だったが、「今は不安をぐっと抑えて若い人についていってみよう」と考える。『古本食堂』が本の文化という変わらぬものの良さを描く作品だったとすれば、『新装開店』は時代の中で変わりゆくものの話なのである。2作で対になっていて、単なる前作の模倣になっていないのがこの作者の巧いところだ。

『古本食堂』という題名は、神保町周辺の食に関する話題が毎回振られることからきている。珊瑚が外で買い求めてきたカレーパンが、美希喜とお客との口論を鎮める役目をすることもある。神保町にカレー屋が多いことは有名だが、それ以外にも喫茶店さぼうる2のナポリタンだとか、一時は街のシンボルとしてあちこちにあった天ぷらいもやだとか、人気のある料理店が存在する。本作には登場しないが、餃子のスヰートポーヅが閉店したと言って悲しみに暮れ、半チャンラーメン御三家の伊峡が移転して無事に再開したと喜ぶ。神保町に通う人々が交わしてきた、そうした話題への親しみが「食堂」要素として写し取られている。

 各話の構成は、本に関する悩みを抱えた人が鷹島古書店を訪ねてきて、珊瑚や美希喜が相談に乗る、というのが定型である。
 こうした本にまつわる人気シリーズとしては、北村薫〈中野のお父さん〉シリーズがある(文藝春秋刊)。元編集者がその知識によって本に関する謎を解くという内容で、文壇・文化人についての意外な蘊蓄が披露される楽しみがある。『古本食堂』はそれに似て、少し違った行き方をしている小説だ。各エピソードで展開される本の話題は物語に漂う空気を変化させるための触媒に近く、それ自体は登場人物たちの関係性を一変させるほど強いものではない。
 たとえば第4話では、母との思い出につながる雑誌を求めたいが、誌名も何もわからないという客がきて、美希喜が知恵を絞ることになる。見事に正答が出て、客にその雑誌を手渡すことはできた。この話は美希喜が、家族とともに暮らしてきた記憶や、店を通り過ぎて行った客たちなど、時の流れに思いを馳せることが流れの中心になっている。雑誌のエピソードは、それを少し加速させるが、決して方向を変えるわけではないのである。最後に美希喜があることについて思いを巡らす場面があるが、それは発見した雑誌を「食い入るように見ていた」客のまなざしに触発されたものだろう。
 珊瑚なり美希喜が到達した答えがそのまま書かれず、気になる人は言及された本をどうぞ、というような形で留められているのも好ましいところだ。種明かしそのものをせずとも、そこに至るまでの経緯がしっかり書かれていれば読者は納得してくれるはずだ、と原田は考えているのだと思う。第3話で言及される、松谷みよ子『ちいさいモモちゃん』『モモちゃんとプー』『モモちゃんとアカネちゃん』でつきつけられる比喩の謎とは何か。第5話、伊丹十三『「お葬式」日記』の中にある“日本では『刑事コロンボ』ですら夢のまた夢である”という一文は何を指しているのか。そうした引っかかりを作り出して、本を手に取らせたい気持ちにさせてくれる。まさに理想的な本の本である。本の世界に深く入り込ませてくれる。

「いい作家になった」と伝えたい

 原田ひ香はいい作家だ。少し前に出た『定食屋「雑」』(双葉社)も取り上げたかったのだが、タイミングが合わずに見送った経緯がある。すでに『古本食堂』は売れているのでニューヒットどころではないとは思ったが、続篇がせっかく出たのだから許していただきたい。新作が出るたびに読みたくなる作家だ。どの本もいいのである。
 ちょっとだけ私事を書くのを許してもらいたい。原田ひ香、2023年に亡くなった北上次郎氏がデビュー時からずっと気にしていた作家だった。初期の原田には、少し変わった人間関係を描いたものが多かったように思う。それを北上次郎は「出るたびに読んでいるけど、毎回全然話が違うんだよ」と嬉しそうに話していた。どういう作家になるんだろう、と目を細めていたのを思い出す。
 原田ひ香、こういう作家になった。とても巧い、べたつかない潔さが気持ちいい作家に。