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「全共闘歌人」道浦母都子さん、7年ぶり歌集とエッセー集 波乱の半生「もっと声をあげ、怒らなければ」

門間新弥撮影

 歌人の道浦母都子(もとこ)さん(76)が7年ぶりの歌集「あふれよ」と、エッセー集「歌人探訪 挽歌(ばんか)の華」(ともに角川書店)を同時刊行した。全共闘運動に身を投じた体験を詠み、脚光を浴びた第1歌集から44年。平坦(へいたん)ではない半生が浮かび上がる。

 〈一冊の日記のような歌集にて振り回されたるわれの一生〉。10冊目となる新刊歌集に収めた一首だ。第1歌集「無援の抒情(じょじょう)」について「自分の気持ちを清算するために、当時に立ち返って日記のように歌を詠んだ歌集でした」と振り返る。

 1967年10月、ベトナム反戦を訴えるデモと機動隊が衝突した「羽田事件」で同年代の京大生が亡くなったことに突き動かされ、活動を始めた。68年12月に逮捕。〈「黙秘します」くり返すのみに更けていく部屋に小さく電灯点る〉。その後、起訴猶予に。

 翌月、東大安田講堂の「落城」を目の当たりにして詠んだ〈炎あげ地に舞い落ちる赤旗にわが青春の落日を見る〉が朝日歌壇に近藤芳美選で掲載。早稲田大在学中の71年、未来短歌会に入り、近藤に師事した。

 80年に自費出版した「無援の抒情」の初版は500部。〈明日あると信じて来たる屋上に旗となるまで立ちつくすべし〉〈催涙ガス避けんと秘かに持ち来たるレモンが胸で不意に匂えり〉といった体験に基づく歌が共感を集める。現代歌人協会賞を受賞し、増刷を重ねて10万部を超えた。

 華々しいスタート。だがその後も「全共闘歌人」の名がついて回った。英国のサッチャー元首相や土井たか子元衆院議長のような「しっかりした女性」を一方的にイメージされ、イヤリングをしているだけで「想像と違う」と驚かれた。40人の歌人を取り上げた「挽歌の華」では、長崎に生まれ、被爆体験を詠んだ竹山広を「『原爆歌人』とは呼びたくない」と書く。「レッテルを貼られて生きるのは、つらいんですよ」

 2度結婚したが別れ、ひとりで暮らす。代表歌のひとつ〈全存在として抱かれいたるあかときのわれを天上の花と思わむ〉のその後を詠んだ〈「全存在」の一首を残してくれたひと恨みもあれど恩寵もあり〉も今回の歌集に収めている。

 50代の頃には、肉親の死や過労などから言葉が出ない時期があった。全ての仕事を休んだ後、再び歌を詠み始めた。「短歌には何か気持ちを託したくなるものがある。内面の自分をもっと深く探りなさいと言ってくれるような文学です」

 権力に取り込まれず、自由でありたい、という気持ちは変わらない。2017年にはベトナム反戦運動当時の様子を伝えようと、亡くなった京大生の兄らとホーチミンを訪ねた。「50年経ち、小さな国の繁栄に希望を感じました」

 ウクライナやガザで犠牲者は増え続けている。〈戦争をなりわいとするニンゲンが人間としていきているこの世

 「もっと声をあげ、怒らなければいけないと思っています」(佐々波幸子)=朝日新聞2024年07月24日掲載