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徳島編 秘めごと包む歴史ロマンの地 文芸評論家・斎藤美奈子

鳴門海峡にかかる大鳴門橋。対岸は兵庫県の淡路島=2023年、徳島県鳴門市

 涼味あふれる鳴門海峡のうず潮に人々を熱狂させる阿波おどり。徳島の旬は夏である。と同時にここは歴史ロマンの宝庫でもある。

 伝奇小説の嚆矢(こうし)とされる、吉川英治『鳴門秘帖(ひちょう)』(1927~33年/講談社)はまさにそれ。江戸中期、倒幕の疑惑が絶えぬ徳島藩に公儀の隠密として潜入する法月弦之丞(のりづき・げんのじょう)。物語の要はスカした主人公を慕う3人の女性(隠密宗家の娘で弦之丞と恋仲のお千絵、女スリのお綱、大阪の料理屋の娘お米)である。〈阿波は由来謎の国だ。金があって武力が精鋭、そして、秘密を包むに都合のいい国〉。藍で潤う徳島藩の謎めいたイメージが全編に漂う大作である。

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 大鳴門橋を渡れば、そこはもう兵庫県の淡路島。江戸期、この島は徳島藩だった。船山馨『お登勢(とせ)』(1969年/講談社文庫)は維新前後の動乱期が舞台。徳島城下の蜂須賀家は佐幕派、淡路・洲本城下の稲田家は勤王派と、分かれて争う藩内の騒動に、勤王派の青年に恋した主人公のお登勢(島の貧農の家に生まれ16歳で洲本城下の武家に奉公に出た)も巻き込まれる。淡路島が兵庫県に編入される発端となった庚午(こうご)事変(明治3年、徳島藩士らが洲本を襲撃した)に恋のさや当て。スリリングな女性の一代記である。

 近代以降の徳島にも、知られざる歴史がひしめいている。

 第1次大戦中、中国・青島(チンタオ)での戦闘で俘虜(ふりょ)(捕虜)となり、旧板東町(現鳴門市)の板東俘虜収容所に送られてきた約1千人のドイツ兵。所長・松江豊寿(とよひさ)の英断でここの捕虜には破格の自由が与えられ、オーケストラも結成された。原田一美『ドイツさん』(2005年/未知谷)は1917年から20年までの、捕虜と住民たちとの交流を子どもの目を通して描いた児童文学。鳴門市とドイツとの交友は今も続き、この地の誇りのひとつになっている。

 西欧との接点はほかにもある。同じ頃、徳島市で執筆活動を始めたポルトガル人がいた。神戸で領事を務めた後、1913年、亡き妻おヨネの故郷・徳島に移住、ここで余生をすごしたヴェンセスラウ・デ・モラエスだ。『徳島の盆踊り』(1916年/岡村多希子訳・講談社学術文庫)は祖国の新聞連載をまとめた随想で、当時の自然や風物を飾り気のない筆致で描いている。〈緑、緑、緑一色!〉と記された徳島上陸初日の印象も〈もっとも風変わりなスペクタクル〉と評される「ぼん・おどり」もまさに夏の徳島!

 その少し後、驚異的なベストセラーになったのが賀川豊彦の自伝的小説『死線を越えて』(1920年/現代教養文庫など)である。賀川は4歳から徳島中学を卒業する17歳まで徳島市で暮らし、後に神戸のスラム街に転居、労働運動、普選運動、生協運動などに生涯を捧げた。小説の前半は、東京の明治学院を経て神戸に移る前、一時的に徳島に戻った主人公・新見栄一の煩悶(はんもん)青年ぶりで、父との確執や恋の悩みがこれでもかと続く。文学的な評価はさんざんだったらしいが、後に偉人と仰がれた賀川の前史として興味深い。

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 その頃も今も変わらぬ徳島市のシンボルは眉山だろう。万葉集で「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山」と歌われた標高290メートルの山。

 徳島市出身の瀬戸内寂聴は複数の自伝的小説を残したが、傑出しているのは晩年になって執筆された『場所』(2001年/新潮文庫)である。敗戦直後、教師だった夫と幼い娘と3人、北京から空襲で焼け野原と化した徳島に引き揚げてきた25歳の「私」は、ここで夫の教え子だった男性と道ならぬ恋に落ちるのだ。逢瀬(おうせ)の場所は明け方の眉山。ロープウェーなどなかった頃の話。

 さだまさし『眉山』(2004年/幻冬舎文庫)も道ならぬ恋に落ちた女性とその娘の物語だ。東京で働く咲子は入院中の母に会うべく徳島に帰省した。料理屋を営んでいた母が突然店を畳んだのは3年前。江戸っ子の母がなぜ徳島に来た? 〈阿波踊りだけは自由平等そのものさ〉と語っていた母の車椅子を押して咲子は祭りに行くが……。

 今年ももうすぐその夏祭り。阿波は秘密を包むに適した国という『鳴門秘帖』の一節が真実味を帯びて感じられるのは気のせいだろうか。=朝日新聞2024年8月3日掲載