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「脳は眠りで大進化する」書評 先端科学の「交差点」からの報告

評者: 福嶋亮大 / 朝⽇新聞掲載:2024年08月17日
脳は眠りで大進化する (文春新書 1454) 著者:上田 泰己 出版社:文藝春秋 ジャンル:文学・評論

ISBN: 9784166614547
発売⽇: 2024/06/20
サイズ: 10.8×17.3cm/256p

「脳は眠りで大進化する」 [著]上田泰己

 現代は不眠社会である。特に多くの日本人は睡眠不足のまま、仕事とネットに時間を奪われている。だが「目覚め」ばかりが政治的・経済的に評価され、眠りが軽んじられる社会はおかしい。今こそ〈睡眠の政治学〉が必要ではないか。
 その一方、日本は意欲的な睡眠研究者を輩出してきた。その第一線で活躍中の生命科学者が、最新の動向を語ったのが本書である。専門的な内容を含むので、私もすべて理解できたわけではないが、ざっとブラウズするだけでも有益である。
 眠りは死や停滞を思わせるが、実はかなり活動的なものらしい。著者によれば、脳は覚醒時に「探索」し、その集めた情報を睡眠時に間引いて「選択」する(それはダーウィン進化論のモデルに通じる)。加えて、眠りの働きも一様でない。ノンレム睡眠は脳のシナプスを形成し、レム睡眠ではそれが整理されるという新説は興味深い。
 さらに、眠りは時間生物学の大きなテーマである。体内時計は意外にも一つでない。実際には、多様な「時計遺伝子」をもった細胞どうしがコミュニケートして、いわば「時刻合わせ」をしているそうだ。ヒトの身体は、バラバラの時間をもった細胞の集う多時間的な都市ということだろう。著者は、この集まりを統括する脳を「第二の心臓」と見なす。心拍とノンレム睡眠時の脳波の仕組みが、よく似ているためだ。各器官のミクロの「振動」に注目する著者のアプローチは「主観ではなく身体に問いたずねよ」というニーチェの教えも思い出させる。
 ヒトゲノム解読を経て、睡眠研究は分子生物学や計算機科学などの知も借りながら、それ自体が急速な「進化」を遂げてきた。ゆえに本書は、21世紀の先端科学の交差点から届いたレポートでもあるのだ。タイトルはちょっと漫画的だが、中身は睡眠を入口として意識や時間の謎にまで迫ろうとする、いたってまじめな本である。
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うえだ・ひろき 1975年生まれ。東京大教授。専門はシステム生物学、合成生物学。共編著に『時計遺伝子の正体』など。