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「古くて新しい国」書評 思想的源流をたどる待望の翻訳

評者: 福嶋亮大 / 朝⽇新聞掲載:2024年08月24日
古くて新しい国: ユダヤ人国家の物語 (叢書・ウニベルシタス 1168) 著者:テオドール・ヘルツル 出版社:法政大学出版局 ジャンル:人文・思想

ISBN: 9784588011689
発売⽇: 2024/07/16
サイズ: 13.7×19.5cm/414p

「古くて新しい国」 [著]テオドール・ヘルツル

 シオニズムは離散状態のユダヤ人が自らの国家の建設をめざす政治思想であり、イスラエル建国の源流となった。ただ、私も含め、日本人はこのイデオロギーの歴史を深く理解できていない。その一因は、ウィーンを拠点にシオニズム運動を率いた作家テオドール・ヘルツルが、まだよく知られていないことにある。本書は、その空白を埋める待望の翻訳である。
 1902年に出た本書は、意外なことにジュール・ヴェルヌのSFを思わせる近未来小説である。主人公のユダヤ人青年は、社会からのけ者にされた絶望ゆえに南島に移住するが、その途上で貧しいトルコ人やアラブ人の集う「原始状態」のパレスチナを目撃する。だが、彼が20年後に再訪したパレスチナは、移住したユダヤ人の先導する国際的なリゾート国家に劇的に生まれ変わっていた。最新の学問をとり入れて、技術革新を進め、協同組合によって運営される超近代的な平等社会――その中心のエルサレムには神殿がそびえる。ヘルツルはこの夢物語を、シオニズムの「目標」として示したのだ。
 アーレントも強調したように、シオニズムは反ユダヤ主義の産物である。つまり、ヨーロッパ社会への同化を阻む根深いユダヤ人差別と迫害を逆用するように、ヘルツルはパレスチナでの国家建設を正当化した。だがその際、先住するアラブ人は、停滞した原始的な民族として差別される。結果的に、アラブ人こそがユダヤ人に似るだろう。アラブ人は「ユダヤ人につきまとう影」(E・サイード)となる。
 ひたむきな活動家ヘルツルは、アラブ人との衝突を想像していなかった。本書が楽天的に語る諸民族の平和と繁栄のヴィジョンにおいて、ユダヤ的要素は奇妙なほど希薄である。しかし、そのヴェルヌ的な未来像は、進歩主義的な明るさのなかに、数々の歪(ゆが)みや盲点を抱えていた。それらはパレスチナの長年の苦境につながるものである。
    ◇
Theodor Herzl 1860年、現在のブダペスト生まれ。オーストリアの作家、政治家。著書に『ユダヤ人国家』など。