1. HOME
  2. 書評
  3. 「挨拶の哲学」 無明の人生の美しい瞬間を考察 朝日新聞書評から 

「挨拶の哲学」 無明の人生の美しい瞬間を考察 朝日新聞書評から 

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2024年09月28日
挨拶の哲学 著者:鳥越覚生 出版社:春風社 ジャンル:哲学・思想

ISBN: 9784861109270
発売⽇: 2024/06/10
サイズ: 18.8×4cm/240p

「挨拶の哲学」 [著]鳥越覚生

 難解な書である。哲学者ショーペンハウアーの論稿を軸に、幾人かの哲学者、思想家の論旨を加えての「挨拶論」である。ただ、著者の視点は明確で、無明の人生に美しい瞬間があるとすれば、身内や他者と「心から挨拶を交わせた瞬間」ではないかと言い、「人は森羅万象と挨拶をするために生まれて来た」とも説く。
 第一部は思想史篇(へん)とある。挨拶とは他者に無関心でないこと、他者の苦しみのそばに立つと告げる祈り、と規定する。それを下敷きに、漱石文学の「非人情」を語る。
 さらに、目を閉じた時に現れる暗がりの中の色彩から、身体論へと考察を進める。目を閉じると現れる色彩は、大地からの挨拶だ。人類の生存戦略として、透明であった色彩が不透明に濁っていく過程は、科学的に解明されつつある。もう一度、透明な色彩の世界に遊ぶことはできないものか、と著者は問う。
 哲学者のレヴィナスについても語る。彼は日常の挨拶に「人間の深い祈りを読み取り、そこに人間の救済をも透かし見たのであろう」と言い、他者の顔を多様な目で見つめる必要性が強調されている。こうした分析に触れると、「こんにちは」という挨拶ひとつが、人間の誕生、文化や科学の発展に無限の役割を果たしたと思える。これが本書の奥行きである。
 第二部は教示篇で、「挨拶に生きがいを感得すべきだろう」との意図のもとで書かれている。二足歩行を覚えた人類は、大地と距離をもつ。手が生き、新たな役割に転じ、新たな世界を作り上げる。合掌、祈り、そして握手、挨拶。共生共苦の精神の象徴として、挨拶が確認されていく。
 どのような時代であれ、「挨拶こそが、暗澹(あんたん)とした人生にほの差す光明ではないか」と書くのは、哲学的・思想的に検討を加えても、答えはここに行き着くという意味であろう。挨拶を哲学する本書は、現代に貴重な教訓を幾つも含んでいる。
    ◇
とりごえ・かくせい 1984年生まれ。博士(文学・京都大学)。著書に『佇(たたず)む傍観者の哲学 ショーペンハウアー救済論における無関心の研究』。