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愛知編 大都市にも秘境にも地元愛 文芸評論家・斎藤美奈子

矢勝川の堤防沿いに置かれたキツネの像。対岸に「ごんぎつね」の名の由来になったともいわれる権現山(愛知県阿久比町)を望む=2018年12月、愛知県半田市

 愛知県の県庁所在地・名古屋市は日本屈指の大都市だ。なのにどこか「田舎なイメージ」があるとしたらこの小説の影響かも!

 清水義範『蕎麦(そば)ときしめん』(1986年/講談社文庫)。「東京人から見た名古屋論」に擬態したこの小説は名古屋人の生態を徹底的にからかう。〈名古屋に面白えとこなんかあれせんでいかんわ〉と自虐しつつ、皇居に行って〈天守閣があれせんぎゃ〉なぞとのたまう名古屋人。自負と劣等感が混在するこの地を語り手は〈村落的都会〉と呼び〈日本の名古屋は世界の日本〉と断定するのだ。後日〈名古屋人のことをめちゃめちゃ悪く書いとるでないの〉なる抗議が殺到したという、じつは地元愛にあふれた伝説の名短編だ。

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 とはいえ名古屋は一時期、江戸をもしのぐ文化都市だった。諸田玲子『遊女(ゆめ)のあと』(2008年/新潮文庫)はこの時代のお話。

 八代将軍徳川吉宗が緊縮財政を敷いた享保年間。尾張徳川家七代宗春が治める名古屋だけは「夢の都」だった。〈倹約倹約で火が消えたような江戸とはなんというちがいか〉。物語はそれぞれに訳あって西と東から名古屋に来た2人の人物(博多に近い今宿の漁師の妻こなぎ、江戸の御家人・鉄太郎)の動向を追うのだが、その裏には宗春失脚を狙う陰謀が。庶民の女と一介の武士と藩主が交錯する場面は必見。

 一転して現代。堀田あけみ『1980アイコ十六歳』(1981年/河出文庫)は昭和のJK(女子高校生)の物語。人間関係に悩み人生に悩むアイコは高校1年生。〈できるもんならしとるわ。できんから困るんだて〉。当時高校生だった作者の衝撃のデビュー作。映画化もされたJK文学の先駆的作品である。

 働く若者たちもいる。中京工業地帯の出荷額はいまや日本一。

 秋山鉄『ボルトブルース』(2001年/角川書店)の舞台は自動車の組み立て工場だ。大阪の勤め先が潰れ、派遣労働者としてニッパツ自動車刈南工場に入った野崎は23歳。ボルト3本締める作業に難儀した初日。激しい筋肉痛と便秘。次々辞めていく仲間たち。恋人から来たはがきはたった1行〈もう連絡いりません。お仕事がんばってください。さようなら〉。工場労働者の日常をリアルに描いた現代のプロレタリア文学。文庫化か電子化を望みたい。

 都市をしばし離れよう。

 県を代表する作家・新美南吉は、名古屋から南下した半田市(旧半田町)出身。〈だれだか知らんが、おれに栗やまつたけなんかを、まいにちまいにちくれるんだよ〉。国語教科書で知られる『ごんぎつね』(1932年/岩波文庫『新美南吉童話集』など)は南吉が育った矢勝川周辺が舞台といわれる。きつねがすむ森があり、うなぎがいる川があり、彼岸花咲く墓地があり、栗を拾えてまつたけが育つ山がある。

 兵十(ひょうじゅう)の火縄銃に倒れたごんが残した知多半島の豊かな秋の恵み。29歳で早世した南吉と、きつねのごんは今も半田市のアイドルだ。

 愛知県は西の尾張と東の三河に大きく分かれる。東側の三河地方、特に静岡県境や長野県境に近い奥三河には山間の集落が残る。

 豊橋からローカル線でその奥へ。古内一絵『花舞う里』(2016年/小学館文庫)は奥三河の秘境(モデルは東栄町?)が舞台だ。東京から越してきた中学2年生の潤。同級生はたった3人。コンビニもない過疎の村。伝統神楽「花祭り」は子どもの踊り手に窮しており、潤に期待が集まるが……。伝統芸能が直面する現実は全国共通かもしれない。

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 宗田理『ぼくらの太平洋戦争』(2014年/角川つばさ文庫)は『ぼくらの七日間戦争』に始まる人気シリーズの中の1冊。

 夏休みに東京から遊びに来たおなじみ7人の中学生。豊川稲荷で不発弾が爆発、気がつくとそこは1945年だった。勤労動員生として英治ら男子は豊川海軍工廠(こうしょう)、ひとみら女子は豊橋の病院で働くが、やがて彼らは遭遇するのだ。豊橋を焼け野原にした6月19日の空襲と、工廠を壊滅させた8月7日の空襲に。〈戦争っておれたちが考えていたのとはまったく違ったな〉。4月に他界した作家が残した反戦児童文学である。=朝日新聞2024年11月2日掲載