10月27日の衆議院総選挙に併せて6人の最高裁判所裁判官の国民審査も行われた。「憲法の番人」の役割について改めて考えたい。
法令や行政処分などが憲法に違反していないかを裁判所が判断する違憲審査権は、わが国では日本国憲法が導入した権能のため、戦後の裁判官にとって新規の概念だった。
伝統的に、裁判所の任務は市民社会で生じる「具体的事件」の解決とされてきた。裁判官の視線の先には、当事者である市民があり、立法府、行政府との権力間のバランス問題は生じないことも多い。しかし、違憲審査権の行使にあたっては、裁判官の視線の先に、国会などの国家権力が不可避に現れる。
そこで、日本国憲法制定を機に、いかなる事件で、どのタイミングで、どのような憲法判断をするのが適切な違憲審査権の行使か、裁判所も手探りで出発した。
手探りの出発
1960年代に、芦部信喜氏らを中心に学者が憲法訴訟論に本格的に取り組み始めた頃、裁判官の側から示されたのが、香城敏麿氏による体系性を志向した議論だった。氏の論文集『憲法解釈の法理』(信山社・品切れ)にはエッセンスが詰まっている。
香城氏は、公務員の政治的行為の規制を一律全面的に合憲とした「猿払事件判決」を理論面で支えた。緻密(ちみつ)な解釈操作により憲法判断を「具体的事件」の解決と直結させうる硬質な議論であった。それは強力なお墨付きを権力に与えることも意味し、個別の正義の立ち入る余地を狭くする。
現在の最高裁判例は、より柔軟な対応が可能なものとなっており、憲法を守る機能を果たすため、場合によっては積極的に憲法判断に踏み込みうるようになっている。最高裁裁判官経験者による次の3点を、憲法訴訟の一断面として紹介したい。
香城理論を強く意識し、方向転換をはかった裁判官として、千葉勝美元裁判官の名前が挙げられる。『憲法判例と裁判官の視線』(千葉勝美著、有斐閣・3520円)は、「司法部の立ち位置」という観点から、最高裁憲法判例の軌跡を辿(たど)る。司法部の役割、三権分立、社会のありようを正面から位置づけている。裁判官の複眼的な総合衡量に基づく、状況の見極めと判断に大きく委ねているところに特色がある。現在の判例の基調の一つといえる同氏の議論は、重要な参照点といえる。
著名な行政法学者である藤田宙靖(ときやす)氏が最高裁に在籍したことは、最高裁の変化を大きく後押しした。講演や対談をまとめた『裁判と法律学』(藤田宙靖著、有斐閣・3630円)は、氏の最高裁裁判官論を示す。裁判の本質は「目の前に存在する具体的な紛争について最も適正な解決」であり、「適正な解決」は、究極的には個々の裁判官の「良識」にかからざるをえないと説明する。そこで語られる紛争は、狭い意味での「事件」を超えて、権力間のバランスも含む大きな構図であることに留意したい。
一歩前へ出る
そして最高裁の司法行政にも深く関与したうえ、最高裁裁判官として多数の個別意見を判決に付して、議論の活性化に大いに寄与した人物が泉徳治元裁判官である。『一歩前へ出る司法』(泉徳治著、聞き手・渡辺康行ほか、日本評論社・品切れ、電子書籍あり)では、政治過程に声を反映させるのが困難な少数者の「権利自由」の救済について、憲法を盾に裁判所が「一歩前に出る」ことの重要性が指摘されている。
今日、違憲審査権の行使は、司法権の役割として社会で広く受け入れられているといえよう。最高裁が紡いできた言葉は、私たちが憲法を社会に内在したものにするべく、訴訟を通じて裁判所を権力分立や人権保障の「場」として活用してきたことへの応答でもある。=朝日新聞2024年11月30日掲載