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「ハリー・ポッターと賢者の石」日本語版出版から25 年 翻訳者・松岡佑子さんインタビュー 「ここまで惚れ込んだ作品、他にない」

松岡佑子さん=松嶋愛撮影

初の文芸翻訳「失敗したら尼寺にいく覚悟で」

――25周年、おめでとうございます。振り返ってみて、いかがですか?

 ありがとうございます。時が経つのは早いものですね。1998年にイギリスの友人を訪ねたときに、第1巻を勧められて原書を読んだのが出会いです。こんなに面白い物語があるのかと。続きがどうなるのか気になってしょうがなかったですね。第1章を読んだときに、これは私が翻訳して出版しようと決めました。

 当時、私は通訳の仕事を主にしていて、技術書や特許知的所有権関係の翻訳をしたことはありましたけど、文芸書は初めてでした。ですので、準備を怠りなくしようと思って、よい翻訳といわれている文芸作品を読みましたし、チームを翻訳を助けてくれる人で固めました。決してあだやおろそかに取り組んだわけではなく、失敗したら尼寺にいく覚悟で、それぐらい情熱を込めて翻訳しました。

――実際に翻訳をはじめてみて、いかがでしたか?

 とても難しかったです。簡単なことではなかったですね。言葉のひねりもありますし、非常にイギリス的な言い回しもあります。単に日本語にするのではなく、すっと頭に入ってきて、音読でも黙読でもすっと読めるように心がけました。翻訳をサポートしてくれた人や編集者と週に1度は集まって翻訳検討会議をして、何度も何度も推敲しました。普通の出版社は締切を優先するので時間が限られてしまいますが、自分の出版社でもあるので、十分な時間をかけることができ、第1巻ができあがるまで1年かかりました。印刷所に出す前日の晩も、編集者と泊まり込んで、夜明けのコーヒーを飲みました(笑)。そのぐらい練りに練った翻訳でしたね。 

――それだけ熟考された1冊は、日本でも大人気になりました。予想はしていましたか?

 思っていなかったというか、人気になるかならないかはあまり気にならなかったです。当時、すでに世界中で人気になっていましたし、特にイギリスとアメリカではものすごい部数が出ていましたからね。それをたった一人でやっている小さな出版社に任せてくれたJ.K.ローリングのためにも失敗はできない。日本でもベストセラーとは言わないまでも、恥ずかしくない売れ方をしないといけないとは思いました。そのためにも一番大事なのは翻訳だろうと、心と情熱を込めて、周りの人から助けてもらって、第1巻を仕上げたつもりです。

 自分が携わった本が売れるというのは初めての経験でしたが、嬉しいことですね。はじめは一般書として出したのですが、児童書扱いの書店が多く、お店の奥の方に置かれていたんですけど、だんだん売れてきて目立つところに(笑)。売れてからは、注文の電話が毎日ひっきりなしにかかってきました。マンションの1室で、3台の電話をキャッチフォンで6台として使えるように増やして、電話に飛びついていました。

――原作とは表紙が全く違いますね。日本語版は、作品の世界観が伝わってきてとてもすてきです。

 最初に原書を紹介してくれた友人のダン・シュレシンジャーが描いてくれました。ダンは弁護士をやめて画家に転向したのですが、自由奔放にイメージを膨らませられる人です。でも、本の表紙を描くのは初めての経験だったので、私もいくつかダメ出しをしましたし、完成まで苦労しました。あるベストセラーメーカーに意見を聞いたら、この絵では売れませんよって言われたんですが、その意見を無視して、これで行こうって決めて、結果としては売れましたね。この表紙の絵を見て買ってくれたという読者もずいぶんいます。

 

訛りや言葉づかい、日本語の豊かさでキャラクターの個性を表現

――物語のキャラクターで好きなのは誰ですか?

 ハグリッドが好きだと公言しています。素朴さと誠実さ、おっちょこちょいなところも全部いいですね。友人として最高だと思います。ハグリッドは、ちょっと訛りがあるんです。どこの訛りなのか、J.K.ローリングに聞いたら、どことは決まっていないけれど、北の方の心の温かい人の訛りだと教えてもらいました。それは福島に住む私の父親の訛りだなと思って。父の訛りをそのまま書いたら通じないので、ちょっと東京的な東北弁にしました。1巻で、ハリーがホグワーツ魔法魔術学校に入学したとき、ハグリッドが「イッチ(1)年生」というのも、東北弁ですね。

――その訛りが、親しみやすいキャラクターにもつながっているんですね。1巻から7巻まで読んでいくと、ハリーたちが成長していくのに合わせて、言葉づかいや表現も成長していくところもいいなと思いました。

 そこも工夫しました。友だちの呼び方も変わってきますし、「お母さん」も、原作では「Mother」「Mum」などですが、日本語では「お母ちゃん」から「お母さん」「母上」になったり「おふくろ」になったりします。「ママ」もあります。「私」という一人称も「わたし」「あたし」「ぼく」「わたくし」と、いろんな表現を使いました。日本語の特徴を活かして個性を出したつもりです。

 

――翻訳は、それまでの通訳の仕事とは全く違うものでしたか?

 時間のかけ方が違いますね。通訳は、瞬時に反応をしなくてはいけません。そのために相当事前準備もしますが、間違えても、その場で終わってしまう。翻訳は間違いに気づいたら、何度でも書き直すことができる、文章を練ることができます。亡くなった前の夫は、私の仕事の仕方を見ていて、通訳よりも翻訳者に向いていると、よく言っていました。知らないことがないように、徹底的に準備しないと気が済まなかったので。だから、1巻が完成したときは、「ああ、やり終えた」という満足感がありましたね。物語に心を使い切ったと思います。協力者のおかげもありますし、私自身、この物語が好きでしたし、ここまで惚れ込んだのはこれが最初で、もしかしたら最後になるかもしれません。1巻から7巻、そのほかJ.K.ローリングの書いたものをたくさん翻訳しましたので、それでようやく翻訳家になれたかな、という感じがします。10年間、翻訳することが楽しかったですね。

「ハリー・ポッター」シリーズの5つの魅力

――改めて、「ハリー・ポッター」シリーズの魅力とはなんだと思いますか?

 いつも用意している答えがあって、この物語に関しては5つあると思っています。物語の壮大さと、人物が生き生きとしていて感情移入できるようなキャラクターの描き方。それから魔法の小道具。これは楽しいですよね。そしてユーモアのセンス。これはもう物語の随所に散りばめられています。最後のひとつは、読後感の良さ。読み終わったときに、嫌な感じが全然残らない。次はどうなるんだろうという興味と、「ああ、よかった」というほっとした感じ、温かいものが残るんです。各巻ともね。今でも、いい本だなと思います。

――魔法使いになってみたいとは思いますか?

 なってみたいとは思わないですね。私はハーマイオニーのように勉強が大好きですが、魔法はやっぱり勉強しないとできないと、この本でよくわかりました(笑)。魔法というのは、どこかからヒューっと湧いて出てきたり、鼻の曲がったおばあさんがカエルの目玉を煮ていたりするような、そういうものではないんだなと。新しい魔法のイメージが私には定着しました。

 魔法じゃないとできないような離れ技がいろいろあって、「姿あらわし」と「姿くらまし」という魔法(瞬間移動の魔法)を使ってみたいと思ったんですけど、あれは難しいんですよ、17歳以上にならないとできないんですよね。でも、それができたら、今住んでいるスイスから日本に、あっという間に来られるんじゃないかと思っています(笑)。

 

――これからはどんなことに取り組んでいかれようと考えていますか?

 私は翻訳者ではありますが、J.K.ローリング以外の方の作品は多くは訳していないんです。以前、一度、ご依頼いただいたことはあったんですけど、とても忙しいときで残念ながらお断りしたことがあります。今は、他の出版社からも依頼があればやりたいなと思います。キュウキュウと忙しくはしたくないんですけれども、本当に気に入った本を訳すという仕事をやってみたいですね。翻訳は楽しい仕事なので続けていきたいです。今の夫(オーストラリア人)は、翻訳ではなく自分で本を書いていて、先日、歴史の本を出しました。そのうち、翻訳してくれって言われそうです(笑)。歴史専攻でしたけど、相当勉強をしないと訳せないと思うので、自信はないですね。あとは、スイスの山に住んでいるので、山歩きをするなど、スイスでの暮らしを楽しみたいと思います。

記念パーティーを開催! ファンが選ぶ名場面の朗読も

 12月1日、『ハリー・ポッターと賢者の石』25 周年出版記念パーティーが開催された。会場は、ホテルニューオオタニ ガーデンコートにある「シリウスの間」。偶然にも、物語の登場人物、シリウス・ブラックと同名の部屋に、およそ130人のポッタリアン(「ハリー・ポッター」シリーズファンのこと)が集まり、記念日を祝った。

 

 参加者は、ホグワーツ魔法魔術学校のように、グリフィンドール、レイブンクロー、ハッフルパフ、スリザリンの4寮に分けられ、それぞれのカラーのテーブルへ。ホグワーツの制服であるローブをまとい魔法の杖を手にしている人やキャラクターにふんしている人など、物語の世界を楽しむ様子が伺えた。

 パーティーがはじまり、翻訳者の松岡佑子さんが登場。作品との出会いから翻訳、出版に至るまでの軌跡、25周年を迎えた想いを語った。

 

 次に、2022年よりロングラン公演中の舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」の出演者から、吉沢悠さん(ハリー・ポッター役)、ひょっこりはんさん(ロン・ウィーズリー役)、大沢あかねさん(ジニー・ポッター役)、榊原郁恵さん(マクゴナガル校長役)が登場。ファンが選ぶ、シリーズの名場面を朗読した。

 榊原さんは、第7巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』第33章より、ダンブルドアとスネイプのシーンを朗読。スネイプの「永遠(とわは)に」という言葉は、舞台にも出てくるセリフということもあり、「どう言ったらいいのか、とても考えました」という榊原さん。それを聞いた松岡さんは「『永遠に』は、原書では『always』と書かれています。平たく訳せば、いつでも、いつまでもということだと思うんですけど、私はどうしてもその言葉に感情移入をしてしまい、『永遠に』としました。私の好きな翻訳の部分です。役者さんにとっては、短い言葉なので、そこに感情を込めるのは苦労するかもしれませんね。今日は、役者のみなさんが、どんなふうに作品を解釈してくださっているのかがわかって、とても楽しかったです」と話した。

 最後には、25周年記念のオリジナルケーキが登場。会場からの「おめでとう」の声に合わせてケーキカットが行われ、参加者に振舞われた。