武田砂鉄が2025年ベストセラーを振り返る 流行はシンプルで低体温
【2025年の年間ベストセラー】(24年11月20日~25年11月18日、日販調べ、「文庫」「コミック」などを除いた総合部門)
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今年のダガー賞翻訳部門の受賞作となった『ババヤガの夜』(サム・ベット訳、河出文庫)の著者・王谷晶は、授賞式のスピーチで「自分の曖昧(あいまい)さを受け入れ、他人の曖昧さを認めることが世の中をよりよくすると信じています」と述べた。社会がこれだけ不安定で不誠実な時、曖昧さを丁寧に扱うのは、社会への抵抗になるのかもしれない。
ベストセラーランキングのトップ20のうち、今年刊行されたのは、①⑤⑥⑦⑧⑮の6冊のみ。大半が好評シリーズの最新刊なので、このランキングを見る限り、今年新たに生まれたベストセラーは皆無と言っても大袈裟(おおげさ)ではない。
2013年刊の本が⑲⑳の2冊もランクインしているのが特徴的。⑳は未読だったので読んでみると、「超訳」とあるだけに、吉田松陰がどこで誰にどのように言ったのかは明示されず、良さげなメッセージとして並んでいる。
たとえば、あるページでは、「やればわかる」と大きく書き、「行動を積み重ねましょう。必要な知識や言葉は、やっているうちに身につきます」と続く。そんなに簡単なものではないと私は思う。しかし、こうして「超訳」したのは特効薬としての役割を付与したいからであって、立ち止まって考えるべきではないのかもしれない。
⑨もロングセラーだが、「怒っているときは、だれでも頭が悪くなる」「何かを言いたくなったときほど(中略)〝とにかく反応しない〟ということが大事」と書かれている。私にとって読書とは、怒りも含めてあらゆる感情を刺激してくれるものだが、こうして、シンプルで低体温の主張が流行(はや)る。それにしても「頭のいい人」とは誰なのだろう。「頭のいい人」は、いちいちそんなことを考えたりしないのだろうか。
シリーズ第3弾の①は、文字通り大ピンチに陥った瞬間を捉えたものだが、「しんしつの てんじょうの もくめが ひとの かおに みえてきた」といった地味なシチュエーションにも味わいがある。この鈴木のりたけと柴田ケイコが3作品ずつランクインしているが、今も昔も絵本には「とにかく反応」する姿勢がある。この瞬間を生きることに敏感でありたいと改めて思う。
本屋大賞を受賞した②は家事代行サービスの仕事をするなかで出会った人々との繫(つな)がり、そして、喪失感と向き合っていく。歴代の本屋大賞受賞作は文庫の年間ベストセラーランキングにも複数入っているが、その一方、7月に発表された芥川賞・直木賞は、27年ぶりの両賞ともに該当作なしとなった。書店ごとに、自分たちはこの本を推すと逆手に取った動きも起きた。
政治家が「外国人対策」で人気を得ようと画策する中、「週刊新潮」に掲載された高山正之の差別コラムが問題視されて連載が終了した。別媒体で弁明記事を書くなど開き直っていたが、10年ほど前にヘイト本の量産が問題視されたように、出版の世界が社会の空気を間違った形で増幅させるようではいけない。
京王電鉄が紀伊国屋書店に啓文堂書店を売却、来年には三省堂書店が神田神保町の本店を再開業するなど、相変わらず書店業界の変化は激しい。昨年のこの記事では、経済産業省が「書店振興プロジェクトチーム」を発足させ、「街の書店」を支援すると発表した件に触れたが、それ以降、現場の改善につながるような動きはまだまだ弱い。
コンビニエンスストア「ファミリーマート」が、多くの店で書籍売り場などを縮小してゲーム機を設置する。今に始まったことではないが、本・雑誌と出会える場所が減ってきている。毎年、ベストセラーになるのは目的が明確な書籍ばかりだが、あくまでも自分の中にある曖昧さを刺激する読書を心がけたい。=朝日新聞2025年12月27日掲載