「劇映画 孤独のグルメ」松重豊さんインタビュー 「12年の集大成、ターニングポイント」の覚悟と決意

――2012年からドラマが始まり、12年の間、主人公の井之頭五郎を演じていますが、原作漫画からインスパイアされた、または五郎を演じるうえで大切にした点はありますか?
いつまでたっても原作の井之頭五郎と僕は、類似点よりも相違点の方が多いぐらいかけ離れているなと思うのですが、やはり久住さんの店選びに対しての哲学と、谷口さんの絵のリアリティーは絶対になければいけないと思っています。原作だって適当な絵で描かれていたら、何の臨場感もわかないでしょう。中年男性がただ店に入って美味しいものを食べるだけなんだけど、谷口さんの絵のリアリティーがこの作品の本質的な部分をもの語っているんですよね。
僕は「孤独のグルメ」をドラマでやるにしても映画化するにしても、そのリアリティーとの戦いだと思っているんです。なので「嘘だろ⁉」と思うような展開でも、リアリティーで丁寧に包んでいくということは、原作に対しての僕らの向き合い方として、常に持ち続けていることです。
――今作では監督と脚本も手掛けていますが、劇映画だからこそこだわったところを教えてください。
やはり原作好きな方に対してちゃんとお応えできるような内容にすること、テレビシリーズをご覧になっていた方が、映画という形になっても納得のいく内容であること、そして、初めてこの作品を見るのが映画という方でも面白い作品にすること。そのすべてを包括していかないと「劇映画」と名乗ることはできないと思っていたし、その覚悟が必要でした。
――season1のドラマからずっと見てきましたが、今回、まさか五郎さんがあんな目に遭うとは……!といった驚きとともに、映画ならではの壮大なスケール感がありました。
やっぱり並大抵のことでは人って驚かないので、どういうことに巻き込まれたら、井之頭五郎としてのスタイルを崩さずに、面白おかしく展開できるかと考えた最初のアイデアが、ああいうことになりました。
――今作のメイン料理をスープにした決め手になったのが、NHK大河ドラマ「どうする家康」で共演した松本潤さんからのひと言だったそうですね。
「どうする家康」の撮影中に、どうしてもこの作品のシナハン(台本を書くための取材)に行かなきゃいけなかったんです。だけど撮影がなかなか終わらず、スケジュールがどんどん先に伸ばしになっていたので、松本くんに「悪いんだけど、パリにシナハンしに行かなきゃいけない」と伝えたら「僕の友達のシェフを紹介しますから、ぜひ会ってくださいよ」と言われて「PAGE S」(パージュ)というレストランのオーナーシェフ・手島竜司さんを紹介してもらったんです。
その前から「スープ探しの旅」というのをキーワードにしたいなとは思っていたけど、僕もフランスは初めてだったし、パリで何を食べればいいかも分からなかったので、手島シェフや、本作にも出演してもらっているパリ在住の杏ちゃんにいろいろ聞いたところ「オニオングラタンスープ」と出会いました。オニオングラタンスープだったら日本人の誰もが知っているし、かつ、お店の味を左右するぐらい手抜きができない、下ごしらえの大変なスープということだったので、これはピッタリだと思いました。シナハンの旅もオニオングラタンスープと共に出発できたので、松本くんには本当にいい人を紹介してくれたなと感謝しています。
――この映画をつくる上で一番のよりどころとしていたのが、伊丹十三監督の「タンポポ」だったそうですね。以前、伊丹監督が「食べ物は素晴らしい映画的素材だ」と話していた記事を読んだことがあるのですが、通じるところはありますか。
今回「孤独のグルメ」を劇映画化にするにあたって、日本の映画で食べものをちゃんと主軸に置いて撮った映画は何かと思い出してみたところ「タンポポ」がすっと頭に浮かんだんです。もう40年も前の作品ですが、いま見返しても面白いです。ただ、日本人は食べることが大好きなくせに、意外と食べ物をメインに据えた映画というのはそれほど見当たらないんですよね。だったら改めて「タンポポ」という作品にオマージュを捧げようと思ったんです。「タンポポ」も飲食店を再生する話ですし、奇しくも山崎努さんが演じた主人公は「ゴロー」という名前なので、なんだか不思議なつながりを感じました。
今、伊丹さんのような人が日本に足りないんじゃないかなという気がしているんです。伊丹さんと僕は年齢もキャリアも全然違いますが、50半ばで初めて映画を撮られたという経緯も考えると、いつかどこかで近づけたらなという気持ちは映画に取りかかる時からありました。
――エッセイ集『たべるノヲト。』(マガジンハウス)を拝読しました。食べものについての語り口や味わい方を、豊富な語彙をもって綴っていて、五郎を彷彿とさせるところもありましたが、これまで「孤独のグルメ」という作品に携わってきたことで、ご自身の食生活や食への意識に変化はありましたか?
僕も年齢的に無茶な食べ方をするような年でもないですし、ふだんは小食なので五郎のような食べ方は絶対しません。ただ、幸いなことにこの12年間、食べる仕事に携わってきて、この作品が多くの人に愛されて東アジアでも認知されてきたことを考えると、逆に僕が「食べる」ということに生かされているなと思うんです。
あとは、これまでドラマに登場したお店の方をはじめ、日本の飲食を支えている方々、コロナ禍や物価高などの苦境に立たされている人たちにエールを送りたいなという気持ちは、エッセイを書くことでも、この作品を作るうえでも常にあったことですね。自分の人生の後半が、こんなに食べるものに支配されるとは思っていませんでしたけど、僕も子どもの頃から食べることが好きでしたし、食えない時代も長かったけれど、その時代も食べることが一番の楽しみでしたから。「食べる」ことは自分が生きていくことと常に密接に結びついていたんだろうなと思います。
――ひとつの作品、ひとりの役をこれだけ長く続けられることもなかなかないことかと思いますが、今の松重さんにとって「孤独のグルメ」はどんな作品になっていますか。
とりあえず「切っても切れない間柄」になったんだろうなという実感はあるんですけど、逆に、ずっと受け身のままで「呼ばれたら出る」だけで続けられる作品でもなくなってきたなという思いもあります。スタッフの交代や、以前はできたことがどうしてできなくなったのかといったことを考えていくと、やはり集団を維持していくだけでも非常に難しい時代になってきているんですよ。現状維持が難しい事情がある中で、もし今後もこのコンテンツを続けていくんだったら、一度ちゃんと仕切り直しをするべきだと思い、今回の「劇映画化」を提案しました。
12年間の集大成として新たなところに出発するんだったら、ここをターニングポイントにしようと思っていました。僕が全ての責任を負う形でここまで進めているから、僕が良かれと思って「孤独のグルメ」を次の次元に進めようと思っても、世間から「ノー」と言われたら僕の目論見が間違っていましたと言って取り下げるか、もうこの作品には関わらないことにしようという覚悟と決意を込めた作品になっています。
――ふだんどんな本を手にすることが多いですか?
僕は新聞が好きなので、最近は新聞ばかり読んでなかなか小説には手が伸びないんですけど、世代的に村上春樹さんの小説はずっと興味がありますし、それがどういう経緯でどんな風にドラマや劇化されたのかなというのは非常に気になります。
自分が今まで書いてきた短編も、筒井康隆さんなどの影響を非常に受けているなと思うことはありますね。短いストーリーの中に毒も笑いもある。そういう作品に惹かれるし、もしかしたら自分もそういったものを書き続けたいと思っているのかもしれません。
――ちなみに、新聞は何紙をお読みに?
今は、朝日、日経、東京新聞の3紙を読んでいます。今はネットでいろいろな情報が飛び交っていて、何を信じていいか分からなくなってきているけれど、新聞というフィルターを通して、記者の方がちゃんと取材して書いたものがなくなる理由はないと思っているんです。だから、毎日長時間かけて読み続けることが今の最大の読書になっていますね。記事で気になった仏教書などを買う参考にすることもありますし、新聞を読むのが今の一番の楽しみなんです。