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映画「ペリリュー ―楽園のゲルニカ―」板垣李光人さん×原作・武田一義さん対談 「戦争もの」敷居を低く

板垣李光人さん(左)と武田一義さん=junko撮影

(C)武田一義・白泉社/2025「ペリリュー −楽園のゲルニカ−」製作委員会

自分が知らなかった戦争の厳しさ

――途中、何度か読み進める手が止まりそうになりながらも、武田さんの原作を一気に読みました。板垣さんは原作を読んで、どんな感想を持ちましたか?

板垣李光人(以下、板垣):今回のお話をいただき初めて読ませていただいたのですが、三頭身のキャラクターや柔らかい絵柄から想像していた内容とは異なり、自分が知らなかった戦争の厳しさを強く突きつけられて、最初はそのギャップに驚きました。僕は演じる「田丸」の気持ちで原作を読んでいたので、自分がこの役と作品を背負うことになるんだという責任感も芽生えていきました。

――仲間の最期の勇姿を遺族に向けて書き記す「功績係」のことを、本作で初めて知りました。この「功績係」の役割をどう思いましたか。

板垣:例えそれが事実ではないにしても、戦死した兵士の家族に「いかに素晴らしくこの世を去ったか」という報告をするために、多少の隠蔽をすることはあるだろうなと思います。現代の価値観では首を横に振る人も多いかもしれないですが、当時はそれが正義であって、正しいとされていたことを考えると、当時の「戦う」ことの価値観や、それがどうとらえられていたのかというのがよく表れているなと思います。その中で田丸はいろいろな思いを抱えながら「功績係」に携わっていたんだろうなと思うと、演じる身としては気持ちが引き締まりました。

――武田さんは今作の脚本にも携わっています。全11巻を一作の映画に濃縮するのは難しい作業だったと思いますが、映画にする上での難しさと、映画だからこそ見せたい、伝えたいと思ったところを教えてください。

武田一義(以下、武田):長い原作を短くまとめるという難しさもありましたが、漫画は基本的にモノクロで動かない表現なので、それに色や音、動きがついたアニメーションになると、どうしても描かなければならない戦場の残酷な出来事を、漫画よりも生々しく感じさせてしまう描写の難しさもあるなと感じていました。

 一方で、僕は映画になることはとてもいいことだと思っているんです。例えば、戦争にまつわる研究や発表は様々ありますが、その大体が活字の本なので読むのが難しいんですよね。それを僕が漫画で描いたことによってボーダーラインが下がり、初めて『ペリリュー』で戦争のことを詳しく読めたという方もいらっしゃると思うんです。映画になることで、より興味を持ってくれる人や初めて触れられる人が増えると思うので、多くの人々が戦争について知るいい機会だと思っています。

――板垣さんは実際にペリリュー島を訪問したそうですが、役作りに影響を受けたことはありましたか? 

板垣:僕は声優をやらせていただくのが今作で2回目なのですが、まだやり慣れていないこともあり、難しく感じたところもありました。だからこそ、ペリリュー島に行って現地の気温や音、兵士たちが身を潜めていた洞窟の中の様子など、実際に訪れることで得られた感覚が、今回の役作りにとても参考になりました。

 洞窟の奥に入るとちょっと涼しくなるんだということを実際に自分の肌で感じて、カニを見かけたときは「きっと当時の兵士たちはこれを食べていたんだろうな」と想像できたので、資料などを見るより何十倍も自分の体に染み込んできましたし、この場所に行ったことは大きかったです。

板垣さんの声に「田丸」の癒しを感じた

――キャラクターたちがアニメーションとなって動き、板垣さんや中村倫也さんの声が吹き込まれた映像を見て、どんな印象を持ちましたか?

武田:原作を描く際、特定の声をイメージしていなかったので、アニメ化のお話をいただいた時に「どんな声が当てはまるんだろう」とぼんやり考えていたのですが、ずっとピンときていなかったんです。でも、板垣さんと中村さんの声を初めて聞いたとき「あっ、これしかないな」と思いましたし、実際にお二人の声が入ることでキャラクターに命が吹き込まれたような感覚でした。

 田丸に関しては、最初にプロデューサーさんが考えていた候補の中に板垣さんのお名前があって、僕もお顔はパッと思い浮かんだのですが、どんな声だったかな? と思い、改めて板垣さんが出演されているYouTubeなどを見たんです。その声を聞いた時に、自分の中の田丸と一致したところがありました。戦争の話なので、どうしてもストーリーは残酷に展開していくのですが、田丸は読者に癒しを与えるような存在でもあるので、板垣さんの真面目さと癒しが感じられる声は、田丸のイメージにぴったりでした。

――田丸の相棒である吉敷佳助の声優を務めた中村倫也さんとのアフレコで、印象的だったエピソードはありますか?

板垣:僕のアフレコは3日間で、そのうち中村さんとは初日だけご一緒しました。中村さんは俳優としても声優としても経験豊富で、実際に間近で声を入れている姿を拝見し、声の使い方や出し方という部分も含めて、やっぱりすごいなと思いました。僕はまだ分からないことやうまくできないところがあったのですが、声優としてのやり方も分かっている中村さんだからこそ作れる現場の雰囲気のおかげで、やりやすくなった部分もありました。

――板垣さんは田丸と吉敷の関係について、どう思いますか?

板垣:正反対といえば正反対の2人だと思うのですが、その2人が一日一日を一生懸命に生きて、必ず日本に帰るという約束をする中で、一緒に過ごしている時間ってどういうものだったんだろうなと考えたんです。常に死が隣り合わせの状況で、いつ終戦するかも分からない。もしかしたらずっと続くかもしれない恐怖の中で、お互いに強く信頼し合い支え合う関係だったと思いますし、今の時代に生きる自分では想像もつかないような強いつながりがあったのだろうなと思います。

――後半で「戦争は一年以上前に終わっている」と書かれた英語の雑誌や新聞を見つけた時、誰もがそれを真実だと思わなかったことや、田丸の「みんな、こころの底から信じているのだろうか、戦争は続いていると。それとも、信じるしかないから信じることにしたのか」というセリフからどんなことを感じましたか?

板垣:自分たちがこんなにも命をかけて戦ってきて、これだけ多くの仲間を失ってきたからこそ、「認めたくない、そう信じるしかない」と思うのは、この時代の教育によって刷り込まれている部分もあると思います。そこは当時の価値観や感覚なので、今の僕たちには想像ができないことではありますが「これだけ頑張ってきてたくさんのものを失った。だからこそ」という気持ちは分かるところもあります。時代が違うだけで、同じ人間であることには変わりないですし、仲間への思いや自分たちがここで一生懸命生きた日々への思いを強く感じたシーンの一つでした。

――武田さんはこのシーンを描いていて、どんな感情がわきましたか?

武田:僕が取材をしながら確定したのは、まだ戦争が続いていると信じていた人と「やっぱり戦争は終わっているんじゃないか」と思っていた人に分かれていたことでした。「信じるしかないから信じることにしたのか」という部分は、僕が作品にする中で付け足したニュアンスなんです。なぜそうしたかと言うと、今現在の僕たちが生きている中でも、それを信じないと、それを前提としないと自分の人生が成り立たなくなってしまう社会でもあるじゃないですか。それに対する現実の疑問が具体的に何かというよりも「そういう感覚って僕たちの中にもあるよね」ということを、直接読者さんに投げかけたかったんです。80年前の彼らと自分たちは、時代は違えど同じ人間なんだということを感じてほしい。そして白と黒だけではなく、グレーのニュアンスを創発する上で付け足しました。

――戦争を知らない私たちがこれからすべきこと、できることはどんなことだと思いますか?

板垣:戦争について知ったり学んだりすることって、義務感といったものでもないような気がするので、僕は「~すべき」という言い方はあまり使いたくないんです。でも、僕が子どもだったときより、今は争いというものがすごく身近になっていると感じていて、自分の国ではないけれど、少し離れた場所で起こっている惨事を報道番組などで連日見聞きすると、やっぱり怖いんですよね。今回のような戦争ものだけに限らず、そういう感覚を自分の中で大切にして、それをきっかけに知ろうとすることは続けていきたいです。自分が0の状態から得ようとすることって、ハードルが高くて難しいことが多いと思うのですが、偶然的に得た刺激によって自分の中で芽生えたものを、これからも大切にしたいと思います。

武田:戦争というテーマになると、やっぱりみんな少し構えてしまうところがありますが、そこを突き詰めていくと「じゃあなんで自分はガザ地区にいる子どもたちを助けに行かないの?」ということになってしまう。僕たちの人生って今ここにあるものだから、戦争のことを考えるとき、あまりにも自分に落とし込みすぎてしまうと動けなくなってしまうんですよね。なので、本作を見るときも「戦争のことを学ぼう」という思いでは見てほしくないんです。何かを学ぼうという意識じゃなくても得られるものがあるように、僕らはこの作品を作っていますので「面白い作品があるらしいから見てみよう、読んでみよう」という感覚でまずは触れてもらえたら嬉しいです。

多感な時代に出会った乱歩と芥川

――ぜひお二人の読書ライフについてもお聞きしたいです。これまでに影響を受けた一冊や印象に残っている本を教えてください。

板垣:僕は作家でいうと、中学生時代に読んでいた江戸川乱歩ですね。しかも、中学生という多感な時期に、ミステリーではなく短編集の方で出会ってしまったので、我ながら変なヤツだなと思うんですけど(笑)。手に取ったきっかけは、あの時代の作家さんにしては文体が割と読みやすいなと思ったのと、小説に登場する人物が、愛情を向ける対象は結構、無機質なものが多くて、例えば「人でなしの恋」では人形、「鏡地獄」では鏡など、血が通ってないものに異常な愛を見ることが多いんです。それまでは人と人との愛情しか触れてこなかった中学生の僕には、すごく新鮮に感じました。

武田:人生の一冊と言ったら、僕も中学生までさかのぼりますね。中でも、芥川龍之介の『藪の中』は、藪の中で起こった殺人事件に関して、尋問を受けた人たちの証言を並べていくのですが、それぞれが違う証言をするので、真相がますます見えなくなっていくんです。出てくる登場人物も起こる出来事も同じなんだけど、内容が全然違うので、どれが正しいと決着をつけることなく、ただそれだけを描いているんです。そういうものの見方や、人によって事実は全然違うんだということを中学生の時に突きつけられて、自分の価値観が揺らいだ作品でした。

――読書経験が今の仕事に生きているなと思うことはありますか?

板垣:極論を言えば、役者が台本を読み解くことって国語のテストに近いんですよ。「この時、なぜこの人はこう思ったのか」みたいなことなので、僕は割と昔から活字を読んでいたから文章にも慣れているし、国語の成績も良かったので、そこはすごくいきているなと思います。

武田:読書は自分の価値観を広げてくれるものだと思います。自分ひとりの人生では見聞きできることや経験できることは限られているけれど、読書を通して自分とは違う価値観も得られる。読んだ後に「そういうこともあるんだ」と思って生きられるので、自分と違う価値観を提示してくれる作品や本はすごく大事ですね。