「ジェリコの製本職人」書評

ISBN: 9784093567473
発売⽇: 2024/11/27
サイズ: 13×18.8cm/562p
「ジェリコの製本職人」書評 運命に抗う姉妹たちへのギフト
はじめて自分の書いた文章が活字になり、校正刷りをもらったときは妙にときめいた。四つ角にトンボという印がついた「ゲラ」と呼ばれる紙束で言葉を修正していく。一枚の大きな紙に十六頁(ページ)分が、一気に刷られることも驚きだった。それを折って背をかがる。本はこの「折丁(おりちょう)」が束になってできている。
本の作り方はいまも、百年以上昔と同じだ。オックスフォード大学出版局の製本所で働く主人公のペギーは、紙を折る作業に従事している。亡くなった母も、障害のある双子の妹も同じ職業だ。本を読む階級ではなく、本を折る階級。
あるとき同僚から、写字室で働く女の子が自作した辞書を、製本してあげたいと頼まれる。正規の辞典からはこぼれ落ちた言葉。「姉妹たち(シスターズ)」という語はこう定義される。「共通の経験、政治的目標、変化への願望によって結ばれた、有名、無名の女性たち」。それを見てペギーはこう思うのだ。ああ、ここにも「自分に許された以上の何者かになりたいという憧れで頭をいっぱいにした」女性がいる、と。
著者の前作『小さなことばたちの辞書』とゆるやかに繫(つな)がる〝姉妹編〟。そちらの主人公が言葉に浴していたのとは対照的に、ペギーは言葉に飢えている。紙を折りながら書かれている文章をチラリと盗み読みして、なんとか魂を潤している。
手のかかる妹を抱えたペギーはいまの言葉でいうヤングケアラー。製本所と道一本隔てた場所に立つ名門女子大を羨望(せんぼう)しながら、来る日も来る日も紙を折る。その日常が、第一次世界大戦によって揺さぶられる。二十世紀に起きた戦争は、銃後の女性たちに社会進出を促してきた。戦争はペギーにも、思いがけない出会いをもたらすのだ。
百年前のイギリスを舞台にしているが、現代日本でこれほど響く物語もない。「女の子だから」で人生の選択肢を奪われる運命に、抗(あらが)おうとする姉妹たちへのギフトだ。
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Pip Williams 英国ロンドン生まれ、オーストラリア在住の作家。著書に『小さなことばたちの辞書』。