1. HOME
  2. 書評
  3. 「苦情はいつも聴かれない」 申し立て封じる制度という権力 朝日新聞書評から

「苦情はいつも聴かれない」 申し立て封じる制度という権力 朝日新聞書評から

評者: 藤田結子 / 朝⽇新聞掲載:2025年02月15日
苦情はいつも聴かれない (単行本) 著者:サラ・アーメッド 出版社:筑摩書房 ジャンル:社会学

ISBN: 9784480837271
発売⽇: 2024/11/22
サイズ: 18.8×2.8cm/560p

「苦情はいつも聴かれない」 [著]サラ・アーメッド

 ハラスメントの被害者はなぜ沈黙を強いられるのか。本書は、苦情申し立てを阻む組織のメカニズムを描き出す。著者は、大学など教育機関でセクハラや差別を訴えた人びとの声を丁寧に聴き取った。そこから明らかになった構造は、大学に限らず、さまざまな組織でみられるものだ。
 多くの組織は、ハラスメントや差別防止の施策を掲げ、相談窓口を設置。だが実際に苦情を申し立てようとすると、本人はトラウマやストレスを抱えているのに、手続きはわかりにくく、繰り返し説明を求められる。そのうえ、キャリアに傷がつくぞ、という警告もなされる。担当者がうなずきながら聞いたとしても、その後は何も進まず、苦情は「抹消」される。制度自体が苦情を封じ込める制度になっている、という著者の指摘は重要だ。
 苦情が公になると、組織の評判が落ちる。だから組織側は、苦情を訴える人を問題児扱いし、黙らせようとする。訴えられた人のことを「いい人なのに」「彼は重要な存在だ」といって反論する。主流派男性以外もお入りくださいと掲げていた「多様性のドア」をそっと閉める。
 要するに、苦情申し立ては単なる個人間の争いではない。それは、組織の権力関係を暴く政治的な行為になる。
 著者が明らかにしたメカニズムやパターンは応用可能なものである。たとえば「フジテレビ問題」を検証するうえでも重要な論点を示してくれる。元タレントと女性の間の「トラブル」という表現は適切なのだろうか。局が女性の状況を把握した後の対応において、「抹消」しようとする動きや、女性を黙らせようとする力は働かなかったのか。
 本書のリアルさは、読者に苦情申し立ての過程を疑似体験させる迫力がある。評者も本書を読み通すのはなかなかしんどかった。著者は一つの解決策として、苦情を申し立てた人同士が結びつく「苦情のコレクティブ」を提案する。経験を共有し合い、孤立感を和らげ、具体的な対策を話し合う。集団で声をあげることは、組織の変革を促すアクティビズムにもなるのだ。
 著者のサラ・アーメッドは、フェミニズム、クィア、人種理論で著名な独立研究者。彼女の大学辞職はイギリスで報道され広く議論を呼んだ。それ以前、評者が院生だった頃、著者から博士論文について助言をもらったことがある。それは後に彼女が「フェミニストの耳」と呼ぶような、聴き取り方、対話の方法に関してだった。後から来る者に対してドアを開けようとする著者は優しく、きらきらと輝いていた。
    ◇
Sara Ahmed 1969年、イギリス生まれ。フェミニズム理論などが専門の独立研究者、ライター、アクティビスト。ロンドン大のハラスメント対応に抗議して教授を辞任。著書に『フェミニスト・キルジョイ』など。