映画「ケナは韓国が嫌いで」主演コ・アソンさんインタビュー 20代後半の苦悩「どの国の人も共感できる物語に」

――本作のオファーが来た時、書店で先に原作を購入し、脚本よりも先に読んだそうですね。
私は、小説が原作の映画に出ることが特に好きなんです。映画というのは脚本を元に分析しなければいけませんが、原作小説がある場合は原作からもヒントを得ることができるので。「韓国が嫌いで」は、オファーがあった時にちょうど書店にいたのですぐに購入して、読み切ってしまうくらい、とても魅力的な作品でした。
――チャン・ゴンジェ監督は「アソンさんが脚本を読んで唯一反応をくれた女優で、脚本が最高だと言ってくれた」と話していましたが、脚本のどんなところに引かれたのでしょうか。
原作を読んだ時、ケナのキャラクターにとても驚かされたんです。韓国の若者を代弁するようなキャラクターだと思いましたが、映画化する際にも、そのキャラクターを少しも美化していなかったのがいちばん良かったです。私は「小説に描かれたケナを映画でそのまま表現したい」と思っていたのですが、脚本を読んで「監督も私と同じ考えを持っているんだな」と感じられましたし、実際に演じる際にも、そこは常に意識していました。
――他に役作りで意識していたことはありますか。
「韓国が嫌いで」というタイトルは非常に強烈ですよね。ただ、監督からは「韓国の特徴を描いてはいても、他の国の人が見ても共感できるようなキャラクターにしよう」と言われていました。究極的には「生まれ育った国が、必ずしも自分と合うとは限らない」という話を、誰もが共感できるように描くのが目標だったんです。
――アソンさん自身もケナと同世代の女性ですが、この年代ならではの特徴は何だと思いますか。
20代後半というのは、会社にもある程度慣れて、社会というものも分かってきたけれど、疲労感を覚える頃だと思います。自分の未来がある程度、見通せるけど、そこに期待ができない。ケナはそれを表現するキャラクターでした。韓国では社会に出たばかりの20代前半の若者が経験する苦労を描く作品は多く、私も演じたことがあったのですが、それとはまた違った20代後半特有のつらさを表現しようと心掛けました。
――ご自身は三姉妹の末っ子だそうですが、本作では妹がいる姉役でした。
最近、韓国では「K-長女(編注:家父長制の根強い韓国で、最年長かつ女性という理由で我慢を強いられ、親の期待に応えて自分の意に反する行動を取るなど、葛藤しながら生きてきた女性を指す)」という言葉があるのですが、韓国では特に長女が強いプレッシャーを感じるケースが多いんです。本作ではそういったプレッシャーも表現しようと努めました。そのために姉にもたくさん話を聞いて、演じる時の参考にしました。
――撮影中には、原作の一節を書き留めたポストカードも常に持ち歩いていたそうですね。
はい。脚本には登場しない、小説に書かれているケナのキャラクターの特徴や彼女の内面、独白などを書き留めていました。だから原作小説にも、ものすごく助けられたんです。
また、映画の最後には「幸せ」についての二つの考え方が登場します。ケナの恋人ジミョンのように、大きなことを成し遂げることに幸せを感じる人もいれば、ケナのように日々の生活の中でのささやかな幸せを大事にする人もいる。これも小説と映画に共通する重要なメッセージだと思ったので、忘れないよう書き留めて、常に持ち歩いていました。
――映画に登場するケナのニュージーランドの友人・エリーの言葉も印象的でした。
私も印象に残っています。「たとえ目標がはっきりしてなくてもいい」「追われてないから逃げなくてもいい」という言葉ですよね。私はニュージーランドでの撮影が初めてで、何もかも新鮮だけれど慣れないところもあったんです。そんな時、撮影でそのせりふを言われて、私自身も心がホッとしました。
――ニュージーランドで印象に残っていることは?
人が多く、息の詰まりそうな都会で働いていたケナは、ニュージーランドの大自然の中にいる時に、ようやく生きた心地がするようになります。現地で実際にそういうシーンを演じる時は、目の前に広がる開放感のある景色に、とても助けられました。
――ニュージーランドに移り住んだ後のケナの外見は、韓国にいる時とは全く異なりました。あえて変化をつけたのでしょうか。
はい。本作の半分以上は、ケナが韓国に住んでいた頃の回想シーンです。韓国とニュージーランドのシーンが交互に登場するので、それぞれ対照的な姿を見せたほうがいいだろうと思い、変化をつけました。タトゥーをしたり、時間の経過が感じられるように日焼けをしたりして、髪も明るい色に染めたんです。
――ケナが韓国にいる時のシーンも非常にリアルだなと思ったのですが、アソンさんが「これはリアルだな」と思ったシーンは?
ケナが韓国に一時帰国した時のシーンです。以前住んでいた故郷にもかかわらず、自分があまりに変わってしまったせいで、ケナは違和感を覚えるんです。時差ボケで眠れず、まるで幽霊のように深夜、外をふらついて……。外国に住んでいて一時帰国した人はたいてい同じような経験をしているようで、皆さん自分の経験を話してくれました。
――他に映画を見た観客の感想で、印象に残っているものはありますか。
「韓国にいる時のケナは目と鼻と口しかない人みたいだったけど、ニュージーランドでは、ちゃんと生きている人に見えた」というものです。ケナと同世代の女性の感想だったのですが、印象に残っています。
――映画では韓国に嫌気が差して脱出しようとするケナと、「韓国もそんなに悪くない」と言うケナの恋人ジミョンが対照的に描かれていました。
実は映画を準備していた時から、「観客全員がケナを応援したくなるように演じよう」とは思っていなくて。むしろ賛成と反対が拮抗してほしかったんです。実際に公開後の反応も「ジミョンみたいに生きるのも幸せなんじゃない?」と言う人も「人生は一度きりなんだから、ケナのように自分の好きなことをしながら生きるべき」と言う人もいて、ちょうど半々でした。
――ジミョンは「結婚相手として決して悪くはない」と思えるような恋人でしたが、それでもケナは旅立ちますよね。
韓国では典型的な人生のレールがあるように思います。学生時代には一生懸命勉強し、いい大学に入り、いい会社に就職し、結婚するというのが、ある種の“ライフタスク”になっていて。その中でケナは、ちょうど結婚の直前にいて、安定した将来が思い描ける段階でした。そのまま韓国に残ってジミョンと結婚することにも十分に価値があるけれど、そういう生活にはどうしても耐えられなかったんじゃないかと思いました。
――ケナのような選択や生き方も、国に関係なく共感を呼ぶものだと思います。
私は映画に出演する時、いつからか「韓国の観客だけを想定する」ということがなくなったんです。最近は韓国映画を見てくださる外国の方もたくさんいますから。でも「ケナは韓国が嫌いで」に関しては難しくて。韓国社会の特殊性を描く作品だったので、心配していたのですが、そう言っていただけて安心しました。
――小説と映画では結末が違いますが、アソンさんはどう感じましたか。
小説より開かれた結末になっていたと思います。ケナがどこに向かったのか、観客が想像を膨らませられるようになっていたんじゃないかな、と。
――アソンさんは本作のようなインディペンデント映画から商業映画、さらにはドラマまで、幅広い作品に出演していますが、作品選びの基準は?
私が尊敬するアメリカの俳優の方が「“Sometimes for me, sometimes for them.”の意識で作品に出るべきだ」と話していました。「人々に求められる作品にばかり出ていると、自分が疲れてしまう。自分が出たいと思う作品に出ることで、バランスが取れる」という意味ですが、私も同感です。インディペンデント映画では本作のように、最初から最後まで自分の意見を反映させながらキャラクターを表現できるというのもいいですし、作家主義(映画監督個人の作家性、芸術性が強く反映される映画)の作品からしか得られない満足感のようなものもある気がします。
――アソンさんはふだんからよく本を読むそうですが、よく読むジャンルや、お気に入りの作家は? 日本の小説や映像作品を見たりしますか。
好きなジャンルはエッセーです。俳優という職業柄、小説を読むと脚本を読んでいるような気分になって、どうしても分析をしてしまう癖があるので(苦笑)。エッセーは比較的、自由に読めるんです。いちばん好きな作家は、パク・ワンソさん。日本の作家では太宰治が好きです。最近見たドラマだと、是枝裕和監督のNetflixシリーズ「阿修羅のごとく」を姉たちと楽しく見ました。
――書店巡りをするのもお好きだそうですが、おすすめの書店があれば教えてください。
釜山に古書店が集まっている通りがあるんです。そこに行くと、隠れた宝石のような本を探すことができます。ぜひ行ってみてください!