
『赤毛のアン』全訳の経緯
――『赤毛のアン論 八つの扉』はどのような経緯で企画されたのでしょうか。
文春文庫から刊行した日本初の全文訳『赤毛のアン』シリーズ全8巻の翻訳が完結した後、「全8巻を俯瞰した解説書を」というご依頼をいただいて執筆しました。これまではアン・シリーズの全文訳がありませんでしたので、全8巻すべてを通した解説書もありませんでした。そこで日本初の『赤毛のアン論』の出版企画が生まれました。
――松本さんが初めて『赤毛のアン』の翻訳を出したのは1993年。なぜ集英社から新訳の依頼があったのでしょうか?

私は英語が好きでしたので、「英語小説の翻訳をさせてください」と編集者さんにお伝えしていたからだと思います。またデビュー小説『巨食症の明けない夜明け』やエッセイ集『別れの美学』がベストセラーになっていましたので、少しは知名度があって、翻訳をしたいと言っている作家に依頼しようと、版元さんがお考えになったのかもしれません。
ただその時に私がイメージしていたのは、カナダの作家アリス・マンローや英米の現代小説の翻訳でした。当時は『赤毛のアン』を少女小説だと思っていましたし、中学時代から村岡花子訳を愛読していましたので、新訳のご依頼をいただいたときは、「村岡花子先生の名訳がありますので、私が訳す必要はありません……」と辞退しました。
――その後なぜ翻訳を手がけることになったのでしょうか。
お断りした帰りに、「そういえば『赤毛のアン』を原文で読んだことがない」と気がついて、神保町でペーパーバックを買って地下鉄で読み始めたんです。すると1ページ目に「あなたは良き星のもとに生まれ/精と火と露より創られた ブラウニング」と、村岡花子訳にはない文章が出てきて、これはなんだろう、と不思議に思ったんです。
それまで私が読んでいた『赤毛のアン』は、アンが11歳でプリンス・エドワード島に来るところから始まっています。しかし原書では、冒頭に、英国詩人ブラウニングの詩のエピグラフがあり、アンの誕生の祝福から始まっていたのです。また英語で読んでみると、村岡花子訳ではモンゴメリの装飾的な文章から副詞や形容詞などの言葉が省かれ、また小説の大切な場面もいろいろと省略されていることを初めて知りました。

アニメが支えた日本の「アン」人気
――村岡花子訳は実は抄訳だったのですね。
これは村岡花子先生だけの特徴ではなく、昔の翻訳は抄訳が多かったんです。長大な西洋小説から、日本人には分かりづらい描写を削除して面白いところをうまくつなぐこと、西洋の食べ物や日用品を日本人にもわかりやすく変えることは、翻訳家の腕の見せどころでした。村岡花子先生もラズベリー水をいちご水に、メイフラワーをさんざしに、編み物のベッドカバーをさしこ布団に変えるなど、うまくアレンジなさっています。
このように昔の翻訳では、読者のための省略と改変が大切だったのです。しかし1980年代からは全文訳が主流になりましたので、『赤毛のアン』の全文訳をさせていただきました。また私自身は小説家で、小説の場面は意味があって必要だから書いています。優れた小説家のモンゴメリさんも、日本語の全文訳を望むだろうと思いました。
――松本さんのホームページには従来訳と松本訳の比較が載っています。
以前の翻訳では、どこが抜けているのかを教えてくださいというお問い合わせをたくさんいただきましたので、私のホームページでご紹介をさせていただきました。一例として『赤毛のアン』の第36章 、第37章 、第38章 を載せています。訳されていない言葉や文章、また村岡花子先生がわかりやすくするために工夫をされたことが、おわかりいただけると思います。
――世界の中でも日本は『赤毛のアン』人気が高い国として知られています。これは村岡花子訳の功績が大きいのでしょうか。
村岡花子先生の古風で温かみのある、ほっこりとして、しかも日本人にもわかりやすい翻訳があったからこそ、『赤毛のアン』が大人気になったのです。これは間違いありません。私も村岡花子訳を熱愛して育ちました。
あわせてアニメの「赤毛のアン」の影響力も大きいと思います。テレビアニメシリーズ「世界名作劇場」の「赤毛のアン」です。高畑勲というジブリを支える天才が、若い頃に手掛けた傑作です。このアニメは音楽も一流で、フィルムコンサートも開催されるほどです。加えて、『赤毛のアン』の書籍でも、小学生低学年向けの絵本や、中学生向けの『赤毛のアン』、大人の女性向けの『赤毛のアン』関連の手芸や料理本も出版されています。小学生から中学生、大人まで各年代別に読める本があり、男性も楽しめるアニメの放送、本とアニメのメディアミックスが行われたのが日本における『赤毛のアン』人気発展の特徴で、すばらしいことだと思います。

背景に描かれる激動のカナダ史
――アン・シリーズはアンの少女時代から50代までの人生の背景に、激動のカナダ史も描く壮大な大河小説です。本書の八つの論点はどのように選ばれたのでしょうか。
『赤毛のアン論 八つの扉』で取り上げた八つの観点は、①エピグラフと献辞、②作中の英文学、③スコットランド民族、④ケルトと「アーサー王伝説」、⑤キリスト教、⑥プリンス・エドワード島の歴史、⑦カナダの政治、そして最後に付録として⑧翻訳とモンゴメリ学会です。いずれもアン・シリーズに登場する大切な要素であり、モンゴメリ文学の芸術性の高さと多面性という点でも重要です。しかし従来訳では必ずしも正確に訳されていませんでしたので、この八つの観点から、アン・シリーズを解説させていただきました。
――物語の舞台のカナダは多民族国家です。作中にはカナダの民族、歴史、政治、文化なども詳細に書き込まれています。
アンがスコットランドの民族衣装を身につけていることは、松本侑子訳『赤毛のアン』で初めて日本に紹介しました。アンはスコットランド系のカナダ人です。親友のダイアナは北アイルランドの服を着ています。この2人は古代ケルトの「アーサー王伝説』をお芝居にして遊ぶなど、ケルトの「アーサー王伝説」も、アン・シリーズの各巻に出てきます。『赤毛のアン』シリーズには、カナダの先住民族の時代から、第一次世界大戦までの歴史も書かれています。また保守党と自由党というカナダの二大政党の対立、二つの政党を支持する人々、国政選挙の選挙運動と開票、カナダの3人の首相もアン・シリーズに登場します。

しかしこうした描写は、従来はあまり正確に訳されていないようです。キリスト教についても、村岡花子先生はメソジスト教会の信徒でいらっしゃいましたので、『赤毛のアン』に聖書からの引用が多いことは、おわかりだったと思います。しかし日本ではキリスト教徒は人口の1パーセントと少なく、読者に馴染みがないため、読者のために、『赤毛のアン』にある聖書の言葉も省略なさっています。それもキリスト教に不案内な昔の読者のために大切なことだったと思います。

現地訪問・文献調査を重ねて
――アン・シリーズの中にさまざまな文学作品や聖書からの引用などが登場します。それを調査で突き止めて、詳細な注釈で解説したのも松本さんの大きな功績です。
作中の英文学も、アン・シリーズの面白さの一つです。なぜ引用に気づいたかというと、11歳のアンが時々「汝~してくれたまえ」と古語で話したり、詩の一節のような麗しい言葉や、芝居のセリフのような劇的な英語が出てきたりするからです。これは古典からの引用だと考えて、その出典を探しました。
――今でこそネットで簡単に検索できますが、松本さんが翻訳を始めた90年代前半は、まだアナログでした。今とは比べ物にならないほどの労力とお金がかかっています。

出典探しには、引用辞典が使えることが分かっていたので、ます最初に、アメリカのマクミラン社から、3000頁ある世界最大の引用句辞典を1991年に注文して、調べました。当時はパソコン通信もしていましたので、電話回線でアメリカの議会図書館につないで、シェイクスピア全集をフロッピーディスクに1作ずつ保存して、引用を調査しました。
また1990年代は、英文学全集と英語聖書をデジタル化してCD-ROMに収めた商品が英米で出ていましたので、買い集めました。さらにカナダで刊行されている『モンゴメリ日記』には、彼女が読んだ本や詩が書かれていますので、そのリストを作り、ロンドンの英国図書館とアメリカのハーバード大学図書館に行って、その本のコピーをとり、大量の紙を日本に持ち帰り、スキャンして、まず画像データにしてから、そこからアルファベットの文字を拾うOCRソフトで文字データを作り、検索もしました。1990年代に作ったこのデータベースは、「赤毛のアン電子図書館」として、私のホームページで公開しています。

――個人的にはキリスト教まわりのお話も興味深かったです。モンゴメリが牧師夫人だった時代の物語にはクリスマスのツリーなどが出てこないというお話は、目からウロコでした。
アン・シリーズは牧師夫人モンゴメリが描いたキリスト教文学としての一面もあり、イエスの教えが大切な意味をもって作中に出てきます。モンゴメリが信仰した長老派教会は、「イエスの誕生日は12月25日だと聖書に書かれていない」ことから、16世紀にクリスマスを禁止した歴史もあります。マリラは敬虔なクリスチャンなのに、なぜクリスマスに教会で礼拝やお祈りをしないのか、という疑問が湧いて、長老派教会の教えを調べてみて、その背景が分かりました。もっとも、モンゴメリが結婚する前、そして夫が牧師さんを退職した後に書かれたアン・シリーズには、クリスマス・ツリーやリースが出てきます。

――『アンの娘リラ』は第一次世界大戦を描いた戦争文学としても注目すべき作品です。
第一次大戦でアンの息子たちが出征して戦った戦場は、ヨーロッパの西部戦線で、主にフランス語圏です。またポーランド、トルコ、イタリア戦線の戦場もたくさん出てきます。こうした戦場の地名の翻訳は、第一次大戦の専門書を参照して、正確に訳しました。

そのほかにも、アン・シリーズを訳すためにその時代の文化、歴史、政治、服や食べ物などの日常生活から植物、宗教まで、たくさんのことを調査しました。たとえばカナダ人が『源氏物語』を訳すときは、ただ日本語を読めればよいだけでなく、平安時代の日本全般について学ぶことが大切です。それと同じではないかと思います。
――『赤毛のアン論 八つの扉』には松本さんが各地で撮影したアン関連の写真、そして書影もたくさん載っています。
1991年にアンの翻訳を始めてから2024年までに30回、カナダに行っています。またアン・シリーズに引用されるシェイクスピア劇と英米詩の舞台を訪ねて、ヨーロッパなど15カ国を取材しました。『赤毛のアン論』の写真はその時に撮ったものです。また北米ではアン・シリーズは大人向けに発行された本だとわかるように、原書の初版のカバーも載せていただきました。表紙を見ていただけば、大人の本だとご理解いただけると思います。

文学性の高さを楽しんで
――アン・シリーズの中でもとりわけ松本さんがお好きな一冊と、その理由を教えてください。
やはり第1巻の『赤毛のアン』です。愛と希望、笑いと涙の感動の名作であり、モンゴメリの文章のうまさ、語彙の豊かさ、プリンス・エドワード島の風景の美しさ、すべてが素晴らしいです。もちろんこの第1巻に、英文学、スコットランド民族の伝統文化、アーサー王伝説、キリスト教とイエスの聖杯探索、カナダの歴史、政治など、『赤毛のアン論 八つの扉』で取り上げた魅力のすべてが含まれています。
――モンゴメリは世界では20世紀のカナダ英語文学の作家として高く評価されていますが、日本では児童文学の書き手としてみなされがちです。
絵本や子ども向けの児童書、アニメなどが多いからでしょうか。絵本や児童書や抄訳本は若い読者のために重要です。けれど全文訳を読まれた人は、大人の文学だとご理解されています。実はカナダでも、1980年代までは軽い小説だと思われていたんですよ。それが大きく変わったきっかけは『モンゴメリ日記』全5巻の出版でした。
――松本さんはモンゴメリ学会で研究発表をするなど、近年はアカデミックな方面でもご活躍です。
私の翻訳が1993年に出るまで、日本では『赤毛のアン』は主に短大の児童文学科でテキストとして使われるものだったそうです。私が世界で初めての注釈つき、そして日本初の全文訳を出してからは、日本の四年制大学の男子学生も『赤毛のアン』を研究するようになったとうかがっています。カナダのモンゴメリ学会は、2年に1回開催されています。今後も継続して参加したいと思っています。
――2024年はモンゴメリ生誕150周年でした。2025年4月からはテレビアニメ「アン・シャーリー』の放映もスタートと、ますますアンまわりが盛り上がりそうです。今後の松本さんの出版予定を教えてください。
3月に私が文章を書いた絵本『赤毛のアン』が世界文化社から出ます。画家はプリンス・エドワード島を何度も取材されたちばかおり先生です。美しい水彩画が満載のすばらしい絵本に仕上がりました。
2025年5月には『赤毛のアン』の解説書『なぞとき赤毛のアン』(文春文庫)が出ます。またカナダの映画監督サニー・イー氏が手がけるL・M・モンゴメリのドキュメンタリー映画の撮影に昨年、カナダで参加しましたので、近く公開されると思います。毎年6月に、『赤毛のアン』シリーズの舞台とモンゴメリの生涯の土地を旅する文学ツアーの企画・同行解説をしています。2025年は8月と9月にも実施させていただきます。
――『赤毛のアン論』をきっかけにシリーズに興味を持った読者に、どんなことを期待したいですか。
大人の文学『赤毛のアン』をお読み頂き、モンゴメリ文学の奥深さをお楽しみいただけましたら幸いです。
