永井荷風新人賞・春野礼奈さん「小説家にならないと自分じゃない」#31
春野さんの小説との出会いは4歳までさかのぼる。
「庭でミントを育てていたのですが、それがバッタに全部食べられてしまってすごくショックで。その気持ちを誰に頼まれたわけでもなく、黙々と画用紙に文字にして昇華させたのが原体験です。私にとって物語は『読む』より先に『書く』ものでした。以来、絵本と小説の間のようなものを書くようになりました」
中学1年生の時、「小さな童話大賞」奨励賞を受賞。
「小ぶりな流木ほどのサイズのキリンがペットショップで売られていて、それを女の子が飼うというお話でした。最初は大切にしていたけれど、次第に手がかかるようになり、いなくなればいいのにと思った途端、本当にキリンがいなくなって……という」
純文学めいたお話ですね。その頃から小説家になりたいという気持ちはあったんですか。
「なりたいというよりは、『ならないと自分じゃない』という生まれ持った意思のようなものがありました。〈小さな童話大賞〉のあとも書き続け、高校生向けのコンテストでは毎年のように賞をいただいていました」
5大文芸誌の賞には応募しなかったんですか?
「その頃は自分の経験をベースにそこから物語を作る、私小説に近い書き方をしていたのですが、それだとどうしても限界があって。大学入学後は将来のことや人間関係であまりに自分の心が忙しく、刺激が溢れすぎていて、小説に立ち返る余裕がありませんでした。卒業後は総合職として働くことに」
小説一本で行こうとは思わなかった?_
「そこは冷静に考えて。入った会社はワークライフバランスが整ったところだと言われていたので、小説を書く時間も取れるかなと思ったんです。でも、やっぱり総合職は大変で。社風は合っていて同僚にも恵まれていたのですが、小説を書く心の余裕がまったくありませんでした。本来、アーティスティックなものにしか魅力を感じない魂で生きてきたのに、自ら選択した仕事とはいえ、無味乾燥なデスクワークや数字の正確性が重要な世界に放り込まれ、進みたい道との落差がありすぎて、とても苦しかったです」
29歳で7年勤めた会社を辞め、事情により、縁もゆかりもない地方都市に移り住むことになった。
「生まれも育ちも東京の私は、地方都市のあまりの娯楽のなさに面食らってしまいました。車が運転できないというのが致命的だったのですが、ちょっとカフェで一息つくとか、話題の映画を観に行くとか、気晴らしに雑貨屋で買い物をするとか、友人に会って話をするとか、そういうことが全くできず、抗えない力によって突如として閉鎖的な世界に切り離され、閉じ込められてしまったような、深い絶望を感じました」
そんなとき、ごくごく親しい知り合いだけを対象に趣味で占いをしているという女性と偶然知り合い、興味本位で鑑定してもらうことに。
「その人の第一声が『あなたの前世は小説家』だったんです。書いているなんて一言も言っていないのに。それが妙に腑に落ちて。これまで、何があっても小説から絶対離れない、離れた自分が考えられないと強く思い続けてきたのですが、そういうことだったのか、と。やっぱり私には小説なんだ、と覚悟が決まり、そこから、娯楽がないなら自分の内側に娯楽を作ればいい、徹底的に小説に打ち込めばいいんだ、と気持ちが切り替わりました。しかも書き出してみると、何かに突き動かされて筆が進むような強烈な感覚があり、ものすごく集中できたんです」
2022年から24年の間に複数の賞で最終候補として選出された後、25年には伊豆文学賞優秀賞受賞、5大文芸誌の中のある新人賞の2次選考通過と、いい結果が出るようになった。
そして2025年、第1回永井荷風新人賞を受賞。
受賞作「コーロキの蒐集」は、コーロキという不思議な生き物が出てきたり、完全防音室でイヤーマフの性能検査をする仕事が出てきたり、ちょっとファンタジックな物語。学生時代に書いていた私小説的なものから離れたのはなぜでしょう。
「以前の私は『このときこの人はこう思った』と誰もが共感するような感情を書くのがいいんじゃないかと思っていたのですが、ある時、純文学好きな友人に『感情はなるべく説明せずに、情景や人物の動きなど、言葉ではない部分を使って表現するのがいい小説』と指摘されて。そういう部分を削いでいったら、もともと好きだった不思議なキャラクターや不条理な事象が残ったんです。流木サイズのキリンもそうですが、日常の中にへんなことが混ざっている感じが好きで、だけどそれは自分の好みで書いていることだから軽視していたんです。『え、ここを膨らませていいんだったら無限に書けるな』と、そこから爆発的に書けるようになりました。『コーロキの蒐集』を書いたときも、いい波にのっている感覚がありました」
書いていて苦労したところは。
「もともと数百枚の話だったんです。それを賞の規定で100枚に減らしたんですけど、どこを削るかは悩みました。メインで書いているファイルと、そこから削除したものをとっておくファイルとふたつ作って、削ったり、移植したり。その中でも持ち味であるシュールで不思議な要素は残すようにしました」
コーロキのような存在はほんとうにいると思っていますか。
「いてもおかしくないな、とは思っています。実際、誰かの命日や記念日に家の電気が突然落ちたり、実生活でも論理的に説明できないことがよく起こるんです。ちなみに先ほどの占いでは、私は前世でもシュールで不思議な話を書いていたと言われました(笑)」
なぜ小説を書くだけでなく、応募するのだと思いますか?
「自分が面白いと信じて書いた作品を、同じように面白がってくれる人がこの世のどこかにいるんだろうか、いてほしい、という願いにも似た気持ちがあるからだと思います。応募は〈友達探し〉なのかもしれません」
自分の才能を信じていますか。
「小説を書く能力のことを才能と呼ぶのだとしたら、それは明日目が覚めたら根こそぎ消えていて2度と戻ってはこないかもしれない、そんな油断ならぬ存在だと思っています。だからこそ、今日楽しく小説を書ける力が手元にあるのなら、自分の魂から湧き出す小説を全力で書くという、最高の悦びにあふれた瞬間を絶えず味わっていたいです」
一度、社会の波に揉まれて、小説を見失ったからこそ思うのかもしれませんね。
春野さんにとって、「小説家になる」とは。
「たとえ誰にも読まれなかったとしても、私が小説を書かなくなることは絶対にありません。死ぬまで書き続け、死後も書き続けることだけは、すでに決まっていることなんです。そのうえで、この世で誰かが私の作品に関心を持ってくれ、出版という形で人の目に触れるものになる、それが〈小説家になる〉ということなんだと思います。私が自認することではなく、客観的にみんながそう捉える、ということなのかと」
とても面白い答えですね。受賞して客観的に小説家になったといえると思いますが、今後はどう小説と向き合っていきますか。
「変わらず書き続けて、必ずや小説で身を立てたいです。そのために生活するうえで必要最低限の時間以外はすべて執筆に費やしたい。今は道を歩きながらアイデアを拾い、食器を洗いながら推敲して、掃除機をかけているときも、髪を乾かしているときも、何をしていても頭の中では小説が舞い踊っています。小説を書いている時間以外は停滞であるという意識があるので、映画も美術展も本当に行きたいものだけを厳選して行くようになりました」
すごくストイック!
「それほど止められない猛烈な感情なんです」
【次号予告】永井荷風新人賞を春野さんと同時受賞した湯谷良平さんが登場予定。小川哲さんによる特別版も進行中。