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【谷原店長のオススメ】松本直也「怪獣8号」 大人の思い詰まったバトル漫画の傑作

谷原章介さん=松嶋愛撮影

 仕事や生活に疲れた大人たちに読んでほしい、そんな温かさと渋さに満ちた作品に出会いました。『怪獣8号』の主人公は、32歳の日比野カフカ。彼の活躍や葛藤を通じ、大人としての等身大の悩み、それから自己実現への逡巡が、ブラザーフットの尊さを絡めながら描かれます。

 こんなふうに紹介すると、繊細な物語だと捉えられるかも知れませんが、とんでもない展開が始まります。舞台は「怪獣大国・日本」。緊迫感に満ちた最初の1コマ目で、「その発生率は世界でも指折りである」と告げられます。

「繰り返します
神奈川県横浜市に
怪獣が発生しています」

「周辺地域の
住民は直ちに
命を守る行動を
とってください」 (本書より)

「フォルティチュードは6」「(本獣の)発生波による津波の心配はありません」が、「被災地のみなさんひき続き余獣に注意ください」――。こんな世界が幕を開けるのです。

 日比野カフカは、かつて、日本に頻発する怪獣を討伐する「防衛隊」の隊員になることを夢見ていました。それは叶わず現在、防衛隊が討伐した怪獣の遺体を処理する清掃業で働いています。ところが、防衛隊ホープである幼なじみ・亜白ミナの雄姿をテレビ画面で見たことから、彼の心に葛藤が生まれます。というのも、カフカは幼い頃、亜白ミナと、「一緒に怪獣を倒そう」と誓いを交わしていたから。これをきっかけに、いっときは諦めた「防衛隊」をカフカは再び志すことになるのですが――。

 この後も、単純に話は進みません。カフカは、ある「事件」がきっかけで、何と自分自身も強大な力を持つ「怪獣8号」に変身する身体になってしまいます。それを目撃した後輩清掃員の防衛隊候補者・市川レノは、のけ反りつつも、彼を拒むことはしませんでした。カフカは、市川レノの協力を得て、正体を隠しつつ防衛隊の隊員選抜試験、初の実戦と、夢に向けて歩み始めていくのです。

 そしてある日、高い知能を持つ謎の怪獣によって、東京都内の防衛隊の基地が襲撃されてから、「怪獣8号」と混在するかたちで、カフカの生きる道が始まっていくのです。

 怪獣の強さを表す「フォルティチュード」、それから「本獣、余獣」といった表現は、どうしたって地震災害を想起させます。これは日本ならではの世界観だとも思いつつ、えたいの知れないものにおびえる恐怖は、海外の方々にもきっと伝わるはずです。世界の災害報道が瞬時に駆けめぐる現代なのですから。

 カフカの変身する「怪獣8号」を中心に、防衛隊の華やかな活躍と、清掃・回収業務の対比が描かれます。市民からの脚光を浴びる防衛隊の活躍の陰で、怪獣たちの死体を回収する清掃業者たち。怪獣8号の力を手に入れる以前、清掃作業を終えた夜、カフカは、「なんでこっち側にいるんだろう、俺」などと、ベッドの中で独りごちる場面も当初はありました。本来、思い描いていた自分ではない人生を生きる彼の思い。痛いほど伝わります。

 経済的、社会的な成功者になれなかった、ということではなく、理想の自分を自己実現できずに、どこか心の片隅にトゲが刺さっていたり、不完全燃焼を抱えていたりする。誰しも共感する部分だと思います。僕自身も同じです。小さかった頃の夢が今、完全に実現できているかと言えば、そうではありません。十分恵まれていることはわかっています。そして実際、ありがたいことに充実した日々を過ごしていますが、それでも僕自身にも、「心の片隅のトゲ」はあります。だからでしょうか、この物語からは、「諦めずに生きることがどんなに大切か」という強いメッセージを感じるのです。

 同時に、強いメッセージがもう一つあります。それは「自己実現だけが正義ではない」ということ。他者のために、ある時はサポート役に回ることで、自分の活路を見いだしていく人物の葛藤や活躍も丁寧に描かれていきます。討伐能力で伸び悩んだ防衛隊員の一人、伊春(イハル)くんは、凄腕の隊員・市川レノにはなれません。けれどもそのぶん、サポート役として、彼なりの関わり方で仲間を助けていく。自分でしか歩めない道を、自分の力で見つけていくということの尊さも、また大きなテーマなのです。

 昔の「少年ジャンプ」の漫画のように、「夢を持って頑張れ!」「折れずに諦めずに突き進め!」という、シンプルな物語ではありません。そこが僕はとても好きです。討伐対象の怪獣さえ、単純な「悪」としてではなく、複雑な一面が付与されていたりもします。敵味方に関わらず、折り重なる一人ひとりのそんな複雑で繊細な感情が、明快でキレのあるカット割り、緩急の効いたページ構成で、唯一無二の魅力へと昇華します。その絵の迫力たるや。ホントに気持ち良い! めくる1コマ、各回最後の1コマで、グッと心を掴まれて、涙腺がウルウルする場面も多々あります。次々と登場する怪獣たちの、おどろおどろしさ、余獣のしつこさも含め、画面から飛び出てくるような臨場感も味わってほしい。

 みんな誰かに支えられ、信じ合っている。ただ一人で生きているのではない。物語を読み進めるうちに、繰り返し強調される、そんなメッセージには、温かさと、少年誌の枠に収まらない渋さを感じます。皆さんもきっと魅了されるはず。日比野カフカの「32歳」は、「中年に差しかかった、オッサン」という設定です。僕からしてみたら、彼はまだまだ若さに満ちあふれてるのですが、それでも、社会の中で生活や仕事に疲れてしまっている、あらゆる世代の人たちに、生きる原点とは何だったかを思い出してほしい。それを思い出させてくれる漫画だと思います。

 僕自身もそうです。誰かに支えられ生きていること、仲間を信じ続けること。原点に戻れます。心だけは年をとりたくないものです。

 作品が連載されたのは「少年ジャンプ+」(集英社)。ジャンプにありがちな強さと設定のインフレーションを決して起こさずに、物語を破綻させずに、ちょうど良いところで一区切りがつきます。「怪獣9号」を倒すまでの間、閑話休題的な、たとえば友情やケンカ、恋愛、ギャグっぽい日常の展開はほぼ盛り込まれません。だから1巻から16巻まで、息もつかせず一気に駆け抜けていく。その爽快感に、たまらない魅力を覚えます。

 日本の最近のバトル漫画としては『呪術廻戦』(芥見下々、集英社)、『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴、同)など、不朽の名作が次々と浮かびますね。それらと比べても『怪獣8号』は、読み応えのある、素晴らしい作品だと思います。

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 サッカー漫画『アオアシ』(小林有吾)は、Jリーグの男子高校生「Jユース」で研鑽を積んでいく少年たちの成長を描いています。青年漫画誌「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)で2015~25年に連載され、夢中になって読みふけりました。それから『僕のヒーローアカデミア』(堀越耕平、集英社)は、「少年ジャンプ」の王道をゆく作品。主人公・デクの「ヒーローになるまでの経緯」を描いた、これも一人の少年の成長譚と言えるでしょう。

 現在、「週刊ヤングジャンプ」(集英社)で連載中の『リアル』(井上雄彦)も強くお勧めしたい。車いすバスケットボールを切磋琢磨の場として、挫折や苦難と向き合い、主人公が光さす方を見つめていく大作です。自信を失いかけ、落ち込む日、これらの作品を手に取ってみてください。あなたの背中をポンと叩いてくれるはずです。……ついつい、多めに紹介してしまいました。「谷原書店・漫画部」、次回は再来月です。(構成・加賀直樹)