1. HOME
  2. 書評
  3. 「Hockney's Pictures」書評 人間の解放と自由求める「遊び」

「Hockney's Pictures」書評 人間の解放と自由求める「遊び」

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2025年05月10日
デイヴィッド・ホックニー作品集 著者:デイヴィッド・ホックニー 出版社:青幻舎 ジャンル:アート・建築・デザイン

ISBN: 9784861529719
発売⽇: 2025/02/28
サイズ: 23.5×4cm/496p

「Hockney's Pictures」 [著]デイヴィッド・ホックニー

 デイヴィッド・ホックニーの絵を眺めていると、かつてジョルジョ・デ・キリコが、ティツィアーノの絵から絵は何を描くかではなく如何(いか)に描くかという啓示を受けた日のことを、ふと想起させられた。
 このデ・キリコの霊感は20世紀の現代美術を根底から転換させてしまったと言えば大げさだが、この啓示は主題から様式へと超越して、さらにその先の「生きること」をも問題にしてしまったのである。
 主題はともかくとして様式とは何か。私ふうに言ってしまえばそれは遊びなのである。ホックニーを一言で片付けてしまえば、インファンテリズムという目的も結果も無視した快楽、つまり遊びそのものではないかな。
 もし文学者がホックニーのような文体の小説でも書いたら、その小説はハチャメチャな否定の文学として評価されることはあるまい。ホックニーの絵にはモチーフもテクニックも統一感もあるようでない。そんなことはまったく意に介さない狂乱じみた魔術的な遊戯にもてあそばれる観客のひとりにさせられて、かつて如何なる絵からも味わえなかった不思議な体験と陶酔を味わわされるに違いない。
 彼の絵の中の空間は一種の異相空間で遠近法は無視され、三次元が突然何の容赦もなく二次元化され、自然界の色彩感覚は完全に無視。美術の文脈に従うふりをしながらその文脈さえも無視して知性と俗性が混然一体。賢者と愚者が対立するのではなく、ひとりの人間の中で法則や秩序や調和を無視して無手勝流にやりたい放題。幼児と文学者が手に手を取って見事なコラボを演じてみたりする。
 そんなホックニーが求めるものは結局、人間の解放と自由である。だけど頭でっかちの言語人間には彼の無分別が理解し難く、危険人物として映るので、深くかかわらないほうが身の安全でしょう?
    ◇
David Hockney 1937年、イギリス生まれの現代美術家。絵画、写真などメディアを駆使して作品を制作。