1. HOME
  2. インタビュー
  3. 高山れおなさん句集「百題稽古」 古典和歌の題詠そのまま「新古今集に感じた陶酔、俳句でも」

高山れおなさん句集「百題稽古」 古典和歌の題詠そのまま「新古今集に感じた陶酔、俳句でも」

高山れおなさん

 俳人で朝日俳壇選者の高山れおなさん(56)が、第5句集「百題稽古」(現代短歌社)を刊行した。和歌の古典で詠まれた題をそのまま使った題詠300句からなる。「酔狂で趣向過剰な試み」と言うが、野心的な挑戦。変幻自在に言葉を操る様は、まるで魔術師のようだ。

 《我が孤火(こい)も霜夜は遊べ狐火(きつねび)と》
 「忍恋(しのぶこい)」の題で詠んだ一句。「恋」を孤独の火、つまり自分一人の中で燃えている火と表現し、冬の季語「狐火」を合わせる技巧を凝らした。

 《鏡花幻稿総紅玉(ルビ)や蔦嵐(つたあらし)》
 「蔦」の題で詠んだ一句。嵐の中で舞う泉鏡花の幻のような原稿が目に浮かぶ。ルビの語源とされるルビー(紅玉)を詠み込むことで、振り仮名と宝石との掛けことばとなっている。総ルビの古い書物も想起される。

 「百題稽古」は「ほりかは」「永久」「六百番」の3章で構成され、それぞれ100句が収められた。平安時代の「堀河百首」「永久百首」と鎌倉時代の「六百番歌合(うたあわせ)」で詠まれた題を順番通りに使い、俳句に昇華させた。

 なぜ、このような「酔狂」に挑んだのか。「19歳か20歳で俳句を始めたものの、新古今集に感じていた陶酔を俳句に対して覚えたことがなかった。百首題で作れば、新古今歌人と同じことをやれると思った」

 気に入りの作品の一つが「賭弓(のりゆみ)」の題で詠んだ句。

 《賭弓や刺さりて止(や)むは言の葉も》
 賭弓は平安時代の宮中における射芸行事で、新年の題。的に刺さる矢と、胸に刺さる言葉とを、比喩的に重ねた。「理屈や人生論を打ち出すことは、近代以降の俳句では半ば禁忌とされてきた。それだけにやり残された部分が多いのではないか。今後、自分がそうした方向性の句を作る上で、手掛かりになる句だと感じている」

 やはり近現代の俳句であまり詠まれないのが「恋」の句だが、和歌では一大テーマ。「百題稽古」でも70句が恋の題を詠む。

 「初恋」の題で次の句。

 《命とは白シャツに透く君なりき》
 「別(わかるる)恋」の題で。

 《息白き別れは星の匂ひかな》
 「顕(あらわるる)恋」の題で。

 《新日記白ければ恋顕はるる》
 俳句や短歌に触れた句もあり、中にはドキリとする句もある。

 題が「躑躅(つつじ)」の次の句。

 《短歌(うた)は愚痴俳句は馬鹿や躑躅燃ゆ》

 題が「春雨」の句。

 《春雨や既視感(デジャ・ビュ)のほかに俳句なし》

 「百題稽古」には2人の歌人による解説、高山さん自身が書いた架空の著者インタビューなどが載った栞(しおり)を付けた。「敷居が高いと思う読者に、その敷居を乗り越えていただきたいと思って作った」と言う。

 刊行にこぎ着けた思いを、こう語る。「四季の題の始原にさかのぼり、かつ四季以外の雑・恋の題も包摂して作品化した今回のミッションは、やはり必然性があった。やりきった感があり、俳人としてのキャリアにおける折り返し地点という気持ちもある」

 俳人として心がけている原則がある。儒教の五徳である「仁・義・礼・智・信」をもじった「甚・擬・麗・痴・深」。その意味するところは?

 「甚」=甚(こってり)を旨とし(味付けは濃いめに)、「擬」=古詩に擬(なぞら)え(本歌取りとアナクロニズム)、「麗」=麗しきを慕い(姿は美しく)、「痴」=痴(おろ)かに遊び(中身は狂っていて)、「深」=心は深く(深く生きている感じがほしい)。(西秀治)=朝日新聞2025年5月28日掲載