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樋口恭介さん注目のSF小説3冊 存在しない可能性への抵抗

    • アンソニー・ダン&フィオナ・レイビー『ここでもなく、いまでもない』(久保田晃弘監修、千葉敏生訳、ビー・エヌ・エヌ)
    • マルセル・シュオッブ『黄金仮面の王』(大濱甫、多田智満子、垂野創一郎、西崎憲訳、河出文庫)
    • 大滝瓶太『花ざかりの方程式』(河出書房新社)

     世界は一つしかない。だが、世界は一つしかないわけではない。

     コスパやタイパが支配するこの現実では、全てが課題とソリューションのペアに還元され、最適化の回路(=ハック)に組み込まれていく。それに対して、スペキュラティヴ・デザインの提唱者ダン&レイビーは明確にノーを突きつける。重要なのは、『ここでもなく、いまでもない』ということなのだと。二人は本書においてデザインの射程を極限まで押し広げる。つまり、存在しない未来のためだけでもなく、存在しないあらゆる不可能性のために創作するということ。二人にとってデザインとは、存在しないオブジェクトを媒介にして、存在しない全ての可能性の輪郭を浮かび上がらせる行為である。そこには虚構=思弁=創造という等式がある。

     この等式は過去のフィクションにも適用できる。マルセル・シュオッブ『黄金仮面の王』は、その思想を百二十年前のフランスで先取りしていた。金の仮面で癩(らい)を隠す古代の王、燃え尽きる終末の地球、眠りに落ちた都市――シュオッブの短篇(たんぺん)群はいずれも数頁(ページ)の掌篇(しょうへん)でありながら、実在しない可能性の時空を精密に実装してみせる。ボルヘスが継承し澁澤龍彦が愛した「架空の伝記」の方法論。それは過去に向けて発射されたスペキュラティヴ・フィクションであり、実在しない人間の生を、実在する散文と同じ解像度で書くことの暴力的な美しさそのものである。

     虚構=思弁=創造という理論に最も自覚的であり、かつその系譜の最先端に位置づけられるのが大滝瓶太だ。数学SF『花ざかりの方程式』は、数式の可能性に介入することで物理的な不可能性を超越する。短篇連作である本作は、いずれも矛盾や齟齬(そご)や重複をかかえる異なる世界線でありながら、同じコードを共有しあうことで、構造的に同値の宇宙であることを示している。表題作では方程式の二次項の末端に花が咲く。比喩ではない。検証したすべての数学者がその植物を視認する。ウェルズの短篇を一本丸ごと作中に織り込む「白い壁、緑の扉」、カフカの『変身』を異常論文化する「ザムザの羽」。作中の挿話はそれぞれ独立しつつも相互参照し、一冊で一つのメタ世界をコンパイルする。奇跡と呼びうる不可能性/一回性の、あり得るはずもない再現性が、数学=コードを経由して文学に仮託されている場所で、散文の必然的な可能性が浮かび上がる。

     共通するのは存在しないものを存在させるための手続きへの執着だ。ダン&レイビーはデザインで、シュオッブは幻想で、大滝は数式と散文技術の交差で、それぞれの不可能性に対して実践的に抵抗する。必要なのは単なる祈りではなく、可能な実装のための技術仕様なのである。=朝日新聞2026年422日掲載