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随筆・エッセイの専門誌「随風」がヒット。仕掛け人・宮崎智之さん「AIに小説は書けてもエッセイは書けない」

宮崎智之さん=種子貴之撮影

文フリのエッセイブース数が7.5倍に

 発売2週間で重版、累計5000部は、文芸誌では異例のヒットといえます。今、随筆は「きてる」んですか?

「きてます。たとえば文学フリマの2019年12月東京開催のエッセイ・随筆ジャンルのブース数と、2024年12月の同ブース数では7.5倍以上になっているんです。それは文学フリマ自体が大規模になっているからでは、と思いますよね。ところが同じ条件で純文学ジャンルのブース数を比較すると1.6倍の増加にとどまるんです。いかにエッセイを書きたい人が増えたかがわかると思います」

 その背景は?

「2019年~24年の間になにがあったかというと、パンデミック。コロナ禍で文芸誌の公募新人賞が盛況になったというニュースもありましたが、「書きたい」と思う人が急増したのだと思います。その中でもエッセイ・随筆はフィクションよりもハードルが低い。noteといったプラットフォームで発表しやすいというのもあると思います。同時に、コミティアなどの同人誌文化の後押しもあってか、30部、40部といった小ロットでの印刷が可能になったことや、独立系書店、BASEなど自費出版したエッセイ集を販売するルートが整ったことも追い風になりました。これらを僕は『表現の民主化』と呼んでいるんですが、その民主化で開かれたところに随筆の参入しやすさがウケたんだと思います」 

 随筆の書き手が増えたのはわかりましたが、「随風」がヒットしたということは、読み手も増えたということですよね。それはなぜでしょうか。

「ひとつの要因は独立系書店にあると思います。これまでエッセイは人気作家やタレントといった有名人が書くことで売れるものが主流でした。でも、独立系書店は無名の書き手であっても、書店主が良いと思ってくれれば積極的に置いてくれる。そして、その独立系書店のファンが『ここに置かれているなら』ということで手に取り、広めていく。そこには大手マスコミが気づいていない文学シーンがあるんです。独立系書店常連の著者もいて、今回、『随風』の企画人を務めてくれた早乙女ぐりこさんもその一人です。
 そしてもう一つ。手前みそながら僕が提唱した『随筆復興』という言葉が広まったというのもあると思います」

 

随筆専門の文芸誌「随風」01号

国語便覧に「随筆」がない!

「随筆復興」とは。

「僕が随筆の面白さと、その不遇に気づいたのは、大学生のとき。明治大学の文学部で日本近代文学を専攻していたのですが、近代文学といえば小説、詩、批評ばかりで、中2病的に人と違うことをやりたいと思って神保町の古書街を回り、教科書に載っていないような人たちの書いたものを読み漁っていたんです。その中で、演芸や下町にまつわる随筆を書いた安藤鶴夫や、『茶話』という随筆を新聞連載していた薄田泣菫(すすきだ・きゅうきん)などと出会い、ここにも文の芸があるじゃないかと思ったんです。
 その思いが大きくなったのが、2022年に『モヤモヤの日々』(晶文社)というエッセイ集を初めて出した時。コロナ禍の日々を日記の形式で綴ったものなのですが、この本をどうPRしようか考えたとき、随筆の不遇を思い出したのです。
 国語便覧を見てみると、近世までは随筆・日記というジャンルがちゃんと項目になって紹介されています。日本三大随筆『枕草子』『方丈記』『徒然草』ならみなさんも記憶にあると思います。ところが、それ以降は小説、詩歌、批評、戯曲、海外文学と出てくるものの随筆はちゃんとした項目としては触れられない。夏目漱石や内田百閒、吉田健一、現代でいえばさくらももこや酒井順子、雨宮まみなど名随筆は絶えず生まれているというのに。
 そこで、『随筆復興』を旗印に、あちこちの文芸誌に随筆の魅力や、文学的価値について書くようになりました。思った以上に反響があり、書店で随筆フェアやエッセイの特集棚が作られるようになりました。その反響のひとつが、今回の『随風』。2023年に志学社という出版社の社長・平林緑萌(もえぎ)さんが随筆の専門誌を一緒に作らない?と声をかけてくださって。平林さんも北杜夫さんのエッセイのファンで、常々もっとエッセイは文学界で注目されるべきだと考えていたそうなんです」

随筆を文学にするには批評が必要

 随筆復興を目指す「随風」、どんな工夫をしましたか。

「まず、書き手は商業出版デビューしている人もしていない人もバランスよくお願いしました。たとえば作田優さんは小説の公募新人賞の最終候補にも残り、商業デビューはまだですが文フリや独立系書店で作品が人気です。浅井音楽さんやオルタナ旧市街さんも独立系書店でファンが多い作家さんです。表紙に並んだ名前を見て、『あの人の新作が読めるなら』と購入してくれた人も多いんじゃないかな。
 それから、随筆復興という文芸運動に自分が加わるんだっていう面白さを感じてくれた人も多かったように思います。発売時には『#随筆復興の春』と僕が勝手に名付けて宣伝したのですが、同じハッシュタグでたくさんの人が『随風』をSNSにアップしてくれました。
 そして、僕が一番こだわったのが、随筆の批評も入れたところ。随筆の不遇には、この『随筆批評』の難しさがあると思うんです。随筆は絶対的な真実を占有した一人称が書くものですよね。そうすると批評が機能しなくなるんですよ。『だって僕がそう思ったんだもん』と言ってしまえるので。けれど、批評なくしては文の芸は蓄積されず、高度な芸術として花開かない。これが、随筆が文学の端に追いやられた大きな要因のひとつだと思っています。そこで、『随風』では柿内正午さん、仲俣暁生さん、横田祐美子さんのお三方に批評をお願いしました。9月発売予定の次号でも批評ページに力を入れようと思っています」

 批評が機能しない随筆を、批評……?

「これは自論ですが『絶対的な真実を占有した一人称が現在に杭を打ち付けて表現するのが随筆なのだけど、その杭は仮固定であって会話は可能である』と思うんです。会話が可能なんだから批評もできるでしょ、っていう。『これは僕がそう思ったんだから何も言わないでください』というのはやっぱり文学とは言えないと思います。この、随筆が〈一人称の真実である〉っていうところには怖さも感じていて。たとえば、『〇〇をやってみました』系とか『〇〇を断罪!』みたいな、注目を集めるために危険なことや派手なことをやったり、過度に誰かを批判したり、そういう隘路に陥ってしまう危険性もエッセイにはあります。そこを開いていくことも随筆復興の使命だと思っています」

 

宮崎智之さん=種子貴之撮影

「随筆復興」をいつか文学史に

「随風」創刊号のテーマは「友だち」だそうですが、なぜこのテーマにしたんですか。

「春、出会いと別れの季節に出るということが決まっていたので書きやすいし、みんなも読みやすいだろうというのと、やはりみんなで『文学シーン』を作っていくぞ、という気持ちもあって。これには当然、『内輪の盛り上がりにみえる』っていう批判もあると思います。ある時点から、つるむのはダメ、『界隈』がニガテって言う人が多くなったと思うのですけど、これまでいろんな文学上のエポックメイキングな出来事も新しい才能も、すぐ埋もれてしまったのは、僕たちがまとまって『シーン』を作らなかったからだと思うんです。だからこの『随風』で宮崎の随筆を読んで気に入ったから、隣の浅井音楽さんの随筆も読んでみようかな、というふうに広がってくれたらうれしいです」

 随筆の魅力とはなんですか?

「たとえばAIに小説は書けても、随筆は書けないんです。随筆にはそれを書いている身体が必要だから。食のエッセイは昔から人気ですけど、AIに食のエッセイは書けないでしょう。食べられないから」

 なるほど!

「AIが小説でも歌でも作れる時代、絶対的に人間でなければ作り出せないものが随筆で、そこに人間のあたたかみとか、さみしさとか、随筆だけの真実の感情があるのだと思います。
 じつは今、海外でも日本の〈Zuihitsu〉が注目されているんですよ。今年2月には『随筆からZuihitsuへ -Zuihitsu as Poetry』という国際オンラインイベントが開かれ、伊藤比呂美さんとアメリカの詩人Kimiko Hahnさんが随筆について語り合ったそうです」

 今後、「随風」はなにを目指しますか。

「日本文学史年表に〈随筆復興〉と載るようなムーブメントにしていきたいです。そのために、書き手の発掘、読み手の広がり、文芸的価値の認知、随筆批評の醸成……とやることは盛りだくさん。随筆コンクールというアイデアも出ています。このブームを一過性のものにせず、2号、3号と盛り立てていきたいです」